感情ちゃんと大丈夫くん

昨年の終わりあたりから、自分の中に「感情ちゃん」と「大丈夫くん」がいることに気がついた。

彼らはぼくの中で日々勝手に遊びまわり、大声で叫んだり静かに座りこんでいたりする。

ぼくは自分の核というか、コントローラーみたいなもので二人の手綱をとっている。

彼らのうち、どちらかを特に大切にしなければならない、ということはない。どちらのことも、尊重してあげなければならない。

感情ちゃんは名前の通り、感情を司っていて、「とっても嬉しい!」とか、「すごく悲しい……」とか、「めちゃくちゃ面白い~」とか、「ふざけんじゃねぇぞ消えろ」とか、「寂しくて心細い」とか、「言葉で表せないくらい感動!」とか、「切なくて、じーんとしちゃう」とか、そういうことを言っている。

大丈夫くんは自分の中の希望とか意思みたいなものを司っていて、「どんなことがあっても、意外と大丈夫だよ」とか、「平気平気、あしたには笑えてるよ」とか、「ぼくが一番、ぼくが大丈夫なこと知ってるよ」とか、「どんな気分になっても大丈夫だから安心して」とか、そんなことを言っている。

片方の力が強くなり過ぎるとバランスを失って、とても苦しい状態になってしまうことを、ぼくは経験的に知っている。

 

 

たとえば、ずっと好きな人にふられてしまったとき。

感情ちゃんは、「すごく悲しい……、やり切れない。この世の終わりみたい。これから先の私の人生、なんの希望も残ってない……」みたいなことを言い出す。

もしかしたら、「どうしてこんなことになるの? 告白するんじゃなかった。そもそもあの人はすごく自分勝手!」とか、そんなことを言って怒り出すかもしれない。

一方で大丈夫くんは、「ふられたからって命が尽きるわけでもないし、なんにも問題ないよ。気分だって三ヶ月もすればかなりマシになってるはずだし、大丈夫。それよりもいま残ってるものを見つめなきゃ。家族だって、友達だっているし、それに一人だって人間は大丈夫なものなんだよ」なんてことを言い出す。

もしも大丈夫くんのことをないがしろにして感情ちゃんの力が強くなり過ぎると、冷静に考えることを本体(自分)がやめてしまって、突発的な行動をとってしまうかもしれない。大丈夫くんが、「大丈夫だよ~」と叫んでいるのを無視して、いつまでも浮き上がってこられないような気分になる。それは辛い。

でも逆に、感情ちゃんのことをないがしろにして、大丈夫くんの力が強くなり過ぎるのも、それはそれで辛い。本体(自分)が、「大丈夫にならなきゃ。ぼくは大丈夫なんだ」と思い込もうとしてしまう。けどそう思おうとしても、感情ちゃんは悲しんだままだから心の底からは大丈夫と感じられないし、そういう「感情ちゃん無視」の状態を引きずると、「何も感じられない」という状態になってしまう。

大切なのは、感情ちゃんと大丈夫くんを、どちらも大事にしてあげるということだ。

よしよし悲しかったんだね、こんなに傷ついたんだから怒るのもしょうがないね、と言ってあげる。その上で、大丈夫くんの声にも耳を澄ませる。しっかり二人の言うことを聞いてあげると、彼らは手を取って明るい方向へと向かってくれる。

「怒り」や「嫉妬」なんかのネガティブな感情は、ついつい否定してしまいたくなるけれど、まず認めてあげる。感情ちゃんの存在をなかったことにせず、認めてあげる。

感情を他者のせいにも、自分のせいにもせず、まずは自分の中に湧きあがったその感情を直視して、認めてあげる。

「そうかそうか、ぼくの中ではこんな感情が生まれたのか。これは、ぼくの感情だ」

それを眺めて、そっとしておいてあげる。

感情は感情ちゃんが司っているものであって、本体である自分は、それを操縦しているだけだ。だから、ネガティブな感情を抱いたって自分を責める必要はないし、感情ちゃんは自分の中にいるものだから、他者のせいにすることもできない。

どうして悲しいのか、どうして怒りが湧くのか、どうして嫉妬してしまうのか。問題の根本を見つめて、考えて、他者に何か伝えるべきことがあれば、伝える。自分の考えを変える必要があるのなら、自分の判断で変える。自分の気持ちや感情に、責任をとる。

感情ちゃんがなぜ嬉しがっているのか、悲しがっているのか、考えてもわからないこともある。自分の中にいるはずなのに、他人みたい。不思議。

でも、仲良くやってこうね。

本体として、二人のことをこれからも大切に尊重して生きていきたいと思う。

誘惑してくれ

画面ばかり眺める理論家は、世界のなに一つも知らない。

いつも恋に飛び込む気分屋は、馥郁たる世界を知っている。

 

 

傍観者でいることが客観的であることだと、一体いつまで思ってる?

上手く立ちまわろうとして、袋小路に追い詰められている愚か者は誰?

本当に欲しいものが、努力なしに手に入る桃源郷はどこ?

 

 

当事者であろう。

正直に、誠実に生きよう。

謙虚に、自分と向き合おう。

さあ始めよう2018年。もっともっと、誘惑してくれ。

大晦日と浴室

この家の中で最も安心できる場所が風呂場だ。

いまは午前一時過ぎで、居間に敷いた布団の上で兄夫婦とその子供たち――私にとっての姪と甥――は死んだようにぐっすりと眠っていた。その居間とふすま一枚で仕切られた和室では、今月生まれたばかりの姉の子供が、姉と一緒に眠っている。

私は二階にある自室から、薄い氷の上を歩くかのようにそろりそろりと一階に降り、風呂場に向かった。途中どうしても居間を通る必要があり、明かりの点いていない真っ暗な部屋の中を、スマートフォンの光で照らしながら進んだ。ドアの開け閉めは、落ちている埃が一つも舞わないのではないか、というくらい慎重に行った。洗面所のドアを完全に閉めてから、わざとらしく大きなため息をつく。

ああ、年末年始は碌なことがない。実家になんか、帰ってきたくなかった。

憂鬱な気分に浸ろうとしたが、そうするには洗面所はあまりに寒すぎた。私は足裏を守るようつま先立ちになりながら、急いで服を脱いだ。裸になると、脱いだ服を洗濯機に入れることもせずそのまま風呂場に入り込んだ。

浴槽のふたは開けっ放しになっていて、風呂場は温かな蒸気で充ち満ちていた。視界がわずかに、ゆらりと揺れたような気がした。寒さに硬直していた体が、糸を緩めたようにだらしなく弛緩していく。風呂椅子に座ると、曇った鏡越しに呆けたような女の顔が映った。

 

 

二つ上の姉が、電話越しに結婚と妊娠を同時に告げたのは、今年の二月のことだった。

「あたし、結婚するから。お腹に赤ちゃんもいる」

「そう」

「……驚かないの? 次は絶対あんたの番だって、口うるさく言われるよ」

「うん、だろうね」

もともと、「結婚しろ、孫の顔を見せろ」とうるさかった両親が、姉の妊娠を機に一層煩わしくなるだろうことは目に見えていた。

八つ上の兄が結婚し、子供を生んだときは、まだ私は姉のことを隠れ蓑にすることができたが、姉が結婚しては、それももうできない。

隠れ蓑のない私は、帰省することをなるべく避けた。春も帰省せず、夏になっても帰省しないと言い張る私に、母はしつこく電話をかけてきた。

「お盆休みくらいとれるでしょう。どうして帰ってこないの」

「……友達と遊ぶので忙しいの」

「あんたね、友達なら週末に会えばいいじゃない。流石に年末は帰ってくるんでしょうね」

「年末? お母さんまだ五月だよ? どうしてそんな先の話いまからしなきゃいけないの」

「だってあんた、お盆に帰ってこないなら年末くらいしかないじゃない。その頃には十和子の子供だって生まれてるだろうし、お正月には実篤叔父さんも帰ってくるんだからね」

「実篤叔父さん? インドからわざわざ?」

母はそうよ、と自信たっぷりに言った。インドから岩手に比べたら、千葉から岩手なんて大したことないでしょう、と。私は何も言えなかった。

「とにかく、年末には絶対帰ってきなさいよ。じゃあね」

電話は一方的に切られて、ツー、ツー、という機械的な音が耳に虚しく響く。悪いのは私ではないはずなのに、なぜか私は、イタズラをして叱られた子供のようないたたまれなさを感じていた。

その電話以来ずっと、年末年始のことを想像するだけで、私は苦虫を噛み潰したような気持ちになった。

親戚の集まりがこんなにも重視されるのは、私が岩手の片田舎で育ったせいだろうか。毎年毎年正月になると、長男である父の家には親戚が山のようにやってきて、それぞれの仕事の話や、土地の相続の話など、それこそ毎年同じような話が繰り返される。そして最後には決まって、「結婚はまだなのか」「子供を生むなら早い方がいい」という話を、親戚の皆からされるはめになる。

去年まではターゲットが姉に集中していたからまだよかったものの、今年からはその矢印が全て私に向くと考えると、身の毛のよだつ思いだ。私はその矢印を、ぎこちない笑顔で全て受け止め、「そうですねえ」などという曖昧な相槌でやり過ごさなければならない。

帰らない、という選択肢も一瞬頭に浮かんだが、そんなことをしては親戚中にどんなことを言われるかわからない。何せ、インドで仕事をしている叔父まで帰ってくるというのだ。

結婚とか子供とか、ほとんど私には呪詛のように聞こえる。

 

 

頭を洗い、体を洗う。

シャワーで流しきれなかったわずかな泡を、浴槽のお湯を汲んで、体にかけることで洗い流す。湯は私の体に沿うことなく、意思的に真っ直ぐ落ちていく。

風呂桶を置いてから湯船に足先を入れる。温度に驚かないように、ゆっくり体を浸していき、最後には肩まで浸かる。しばらくそうしていると、血液が指や足先の毛細血管まで開ききったように流れて、体が熱くなるのを感じた。窓に結露した蒸気が大きな水滴となり、蛇行しながら磨りガラスを下降していく。

誰も侵入してくることのない、安心な空間。風呂場だけは、実家であろうと安心することができる。

いつから、こんなに家族のことが嫌になったんだろう。いつから、実家がこんなに居心地の悪いものになったんだろう。

ゆらゆらと照明の光を反射しながら、水面の下で自分の手がいつもより大きく見える。両の手のひらで湯を掬うと、はたはたと雫が落ちていき、やがて手のひらの皿は空っぽになった。

結婚ってそんなにいいものだろうか。まだ二十四なのに、子供のことなんてもう考えないといけないんだろうか。

幼い頃は、年をとればとるほど、色々なことがわかるようになると思っていた。父の仕事の話や母の世間話が、わかるようになると思っていたけど、現実は逆で、大人になるほど彼らの言うことがわからなくなった。当たり前だけれど、私と父は違う人間で、私と母も違う人間で、分かり合うどころか、考え方の違いをどんどん受け入れられなくなった。違いに向き合うほど、彼らの古臭い考えを拒否したくなった。

実家を離れて、一人で暮らすことはとても楽だ。離れて、家族や親戚と都合のよい距離を保つこと。父と母には感謝している。私をここまで育ててくれたこと。でも、近くにいると辛くなるのだ。近づくほど、嫌いになる。

息を大きく吸い込んで、湯の中に沈み込んでみる。周囲の沈黙すら遠ざかって、自分の心臓が脈打つ音が聞こえる。

不思議と苦しくなかった。ゆっくりと数を数える。いち、に、さん、し、ご、ろく。息を口から一気に吐き出すと、遠くの方で太鼓を叩いたような、くぐもった音が聞こえて、私は泡と一緒に勢いよく湯船から顔を出した。

 

 

風呂からあがり、体を拭いて自分の部屋に戻る。居間を通るときは、空き巣に入ったかのように足を忍ばせる。それぞれ二歳と五歳になる姪と甥は、兄と義姉に挟まれてぐっすりと眠っていた。

電気ストーブを点けたままにしておいたおかげで、二階の自分の部屋は暖かいままだった。スマートフォンを手に取って、明かりを消してから布団の中にもぐり込む。スマートフォンは暗がりの中で見ていると、その明るさにときどき驚いてしまう。手のひらで光る、ぼんやりと青白い光を眺めている私は、客観的に見たらきっと酷く醜いのだろうな、と思う。

画面の照度を最小にしてからTwitterのアプリを立ち上げると、深夜であるせいかタイムラインの流れは遅かった。タイムラインの一番上、つまり最新の呟きは、Twitter上でのみ繋がっている、「自称」専業主婦のアカウントのものだった。彼女が本当に専業主婦なのか、私が知る術はない。その人の呟きの内容は、『何でも質問してください』という文言と共に、「質問箱」というサービスに繋がるリンクが張ってあるものだった。「質問箱」は最近流行っているサービスで、要は匿名の質問を送ることのできるサイトのことだ。

私は正直、「質問箱」なんてTwitterに投稿する人の気がしれないと思っている。有名人じゃあるまいし、自分に興味を持つ人間がそんなにたくさんいるとでも思っているのだろうか。

その専業主婦のことは、好きな歌手やアイドルが似ていたからか、フォローされたのでフォローし返しただけだった。彼女のアカウント名は、『Towa』。プロフィールページに飛ぶと、案の定、質問箱からの質問はほとんどきていなかった。数少ない質問は、『何カップなんですか?』とか、『旦那さんはなんの仕事してるんですか?』といった、下らない質問ばかりだった。それに対して、その専業主婦は恥ずかしがったり、嫌がる素振りを見せながらも結局は応じている。私は、我が意を得たりとばかりに、彼女のツイートを遡っていった。こんなサービス、自己承認欲求の強い人が堂々とその欲を満たすためのものに過ぎない。

しばらく彼女の過去のツイートを眺めていると、リアルタイムで彼女が新たに呟いたことに気づいた。

『暇だから、なんでもいいから質問してください』

私は思わず苦笑する。それからつい、ただの気まぐれで、そのツイートのリンクボタンを押してみた。『早速なにか質問してみましょう』という言葉と、その下に空欄の表示された画面が表示される。

少し考えてから、この専業主婦の暇つぶしに付き合ってあげることにした。本当は専業主婦なんかではなく高校生かもしれないし、そもそも女ではなくおじさんかもしれないし、誰なのかもわからず、たまたまフォローしていただけだけれど、半ばボランティアみたいな気持ちで質問を送ることにした。

『Towaさんは、年末は実家に帰ってるんですか?』

フリック入力でそれだけ書くと、私は雑な手つきで、『質問を送る』ボタンを押した。

返事はすぐにきた。

『はい、今月産んだばかりの娘と一緒に実家に帰っています』

新しい呟きが、私の送った質問の画像とともにタイムラインに流れる。

あきれた、と思う。産まれたばかりの娘がいるのに、携帯なんていじっている暇はなかろう。それとも、本当はやはり専業主婦なんかではないのかもしれない。

もう一度質問画面に飛び、質問を送ってみる。

『娘さんが産まれたばかりなのに、携帯なんていじってる暇あるんですか?』

いじわるな質問を送ってしまったから、無視されるかと思った。しかし予想に反して、返事はすぐに呟かれた。

『もうすぐで授乳の時間ですが、娘がぐっすり眠っているので大丈夫です』

思ったより普通の返事が返ってきたので、なんだか拍子抜けした。そして、そんな風に感じている自分を、意地が悪いとも思った。

想像しているより、普通の人なのかもしれない――。

我ながら単純だけれど、返事の文面を見てそう思った。

時刻はすでに午前二時半を回っていたが、私は勢いに乗って、さらに質問を送ってみた。

『Towaさんは実家が好きですか?』

やはり間を置かず、彼女はすぐに呟いた。

『実家は正直、あまり好きではありません。でも年始に親族が集まるので、帰らないわけにはいかなくて、仕方なく帰っています(笑)』

私はしばらくのあいだ、画面に見入ってしまった。文字のひとつぶ、ひとつぶが、転がるように私の中に入ってきて、内側で私にくっついた。口の中で小さく、返事の文面を復唱する。「実家は正直、あまり好きではありません。でも年始に親族が集まるので、帰らないわけにはいかなくて、仕方なく帰っています」

同じだ、と思った。私と同じだ。

どこの誰だか、顔も、年齢も、住んでいる場所もおそらく違う人が、私と同じようなことを感じている。

その事実は、私の思い込みかもしれなかったが、私を少なからず驚かせ、同時に慰めた。

私は彼女のことをもう、非常識で自己承認欲求の強い専業主婦だとは思わず、心の暗い部分を分け合った近しい存在のように感じた。

私はもう一度、質問箱のリンクへと飛び、空欄部分を文字で埋めた。思いの外長い文章になってしまったが、匿名であるということが私に勇気を与え、私は返事がくるよう半ば祈るような気持ちで、『質問を送る』ボタンを押した。

タイムラインを一番上までスクロールしてから、何度も画面を指で下に引っ張る。十二回目の更新の操作をしたところで、私の質問の文とそれに対する返事が、タイムラインに現れた。

『Towaさん、何度も質問してすみません。私もいま年末で実家に帰っているのですが、年始にある親戚の集まりが嫌で仕方がありません。私はまだ未婚ですが、両親や親戚から毎年、「まだ結婚しないのか」と責め立てられます。実家の居心地がすごく悪くて、そして毎年これが繰り返されることを考えると、とても辛いです』

質問ともいえないようなその文に対する返事は、びっくりするほど短かった。

『逃げちゃえばいいんじゃないんですか』

簡潔で無責任なその言葉が、私の胸を打った。逃げちゃえばいいんじゃないですか。

トンネルの中で大声を出したみたいに、頭の中で言葉が反響する。そうか、と思った。そんなに嫌なら、逃げちゃえばいいんだ。そんなことをしたらどうなるとか、色々と考えるよりももっと、物事は簡単なのだ。嫌なら逃げるか、逃げないで嫌なことを受け入れるか。

実際に行動に移すことなんて、しっかり考えたことがなかったけれど、逃げるという選択肢だって、私にはあったんだ。

妙にすっきりと澄んだ頭で、私はTwitterの画面を閉じ、代わりにインターネットの画面を開いた。夜行バスのサイトに繋いで、岩手から東京へと向かう便を検索する。いまは、大晦日の午前三時。夜行バスの中で年を越したい人はそう多くないらしく、当日にも関わらず、大晦日発の夜行バスは空きがまだ四席もあり、価格も3,200円と、とても安かった。

予約画面に飛んで情報を入力し、予約を完了させる。それからスマートフォンを切って、充電器に繋いだ。

布団に再び潜り込むと、直前までスマートフォンの画面を見ていたからか、瞼の裏に四角や三角の星が瞬くような気がした。

 

 

姉の十和子から電話がかかってきたのは、正月の気配も街からすっかりなくなった一月の末のことだった。

「もしもし、お姉ちゃん? どうしたの」

私はちょうど自分の家で、風呂に入っているところだった。いつものようにスマートフォンを浴室に持ち込んでいたので、電話にはすぐに出ることができた。

「もしもし沙耶? どうしたのじゃないわよ、あなたふざけてるの?」

姉は口にした言葉と相反して、いまにも笑い出しそうな声で言った。

「ふざけてるのって……、何が」

私は姉が何について言っているのか、わざと知らないふりをする。

「いまのいままで音信不通だったじゃない。正月のあいだ中、何度うちの親があんたに電話かけたことか」

「三十七回よ。はじめてこんなに不在着信溜めちゃった」

そう言うと姉は、我慢できなくなったようにあははと笑った。

「あたしもこの電話、繋がるとは思わなかったもん。でも繋がってよかった」

うん、と私は言って、スマートフォンを持っていない左手で湯船の湯を掻いた。ちゃぽん、と間抜けな音が響く。

「……あんたいま、お風呂入ってるの?」

「うん。でもどうして」

「水の音がするもの。それに声がやたらと響いて聞こえる」

そう、と答えて、再び私は湯を掻く。ざば、じゃば、ちゃぽん。姉には、こちらから電話をかけようと思っていた。聞きたいことがあったけれど、こちらから切り出す勇気がなかった。

「お姉ちゃん。お父さんとお母さん、何か言ってた? 私、勘当されちゃったかな」

勘当される、というのは、半分は冗談だったが、半分は本気だった。それくらいのことを、彼らはするのではないか、と私は恐れていた。

姉は、「沙耶さあ」と言って、少しのあいだ黙った。私は緊張と諦めを浮かべながら、姉の次の句を待った。しかし姉の言葉は予想外のものだった。

Twitterって、やってる?」

「は?」

「だから、あんたTwitterやってる?」

「……やってるけど、なんで、いまそんなこと」

私は戸惑って、言い澱んだ。姉は受話器の向こうで、少し微笑んだ気がした。確かではないが、そんな気配がした。

「多分だけどさ、大晦日の日に質問箱で質問送ってきたでしょ。実家の居心地が悪いんですって。あのアカウント、あたしだから」

姉は得意気な様子で、すらすらと話し続けた。

「ほら、アカウント名のTowaって、十和子だから、Towaなんだし。気付かなかった?」

私は口からあぁ、とも、うぅ、とも言えない相槌を発した。驚いて、何を言えばいいのかわからなかった。少ししてようやく冷静になり、

「……でも、どうしてあの質問が私だってわかったの? あれ、だって匿名じゃない」

と姉に尋ねた。

「あたしも、最初はまさか、と思ったわよ。実家での親戚の集まりが嫌な人なんて山ほどいるだろうし。でも、あたしが質問箱で、『逃げればいいじゃない』って返事したその日に、あんた実家からいなくなったから、もしかしたらそうかなって」

私は再び、あぁ、とも、うぅ、ともつかない相槌を打った。こちらの声はきっと浴室内でよく響いて、姉の耳に間抜けに聞こえるだろうと思った。

「お父さんもお母さんもね、沙耶のこと怒ってなんてないわよ。ただいきなりいなくなったから、すごく心配してる。……ううんごめん嘘。二人ともちょっと怒ってる。でも、勘当なんてするわけないよ」

「そうかな。私は、あの人達がよくわからないから」

「あたしもさ、結婚して子供産むまでは、あの人達は自分のことなんてどうでもいいんだろうなって思ってた。ただ結婚して、子供産んで、『一族の繁栄に貢献させるための存在』としてしか見てないのかと思ってた。でもそれは違くて、あの人達は単に視野が狭いだけなんだよ。結婚して、子供を産むことこそが幸せなんだって、思い込んでる。子供たちが幸せになってほしくて、そう言ってるだけなの」

「うーん、そうかな。だとしたら見当違いも甚だしいけど」

「そういうもんよ。まあ、あたしは結婚も出産もしたから他人事で言えてるだけかもしれないけど。兎に角、あたしが言いたかったのはそれだけ。声聞けてよかった、またね」

電話を切ると、ほっとしたのか肩の力がゆるゆると抜けたのがわかった。浴槽から出ないまま、手を伸ばして洗面台にスマートフォンを置く。

足を伸ばして、つま先を湯船の上に出す。足の爪は昨日塗った藍色のペディキュアが、夜みたいに光っていた。

両親が私のことを想っているのなら、私は一体、何から逃げたんだろう――。

両親や親戚の、「結婚や出産が幸せ」という価値観を、私が変えることはできないだろう。その違いに向き合うことから、私は逃げたのかもしれない。正面から向き合うのは、あまりに疲れるから。

浴槽の底にある、新月の月のように黒く丸い栓を抜くと、溜まったお湯が栓の外れた穴に轟々と流れ込んでいく。水位が低くなってくると、渦を巻くようにしながら残りの水が消えていく。この小さな栓ひとつで、これだけの量のお湯を塞き止めていたということが私には不思議だった。

体についた水をバスタオルでふき取って、化粧水だけつけてから髪をドライヤーで乾かす。パジャマに着替えて、部屋のベッドの上に腰かける。浴室に持ち込んだせいでわずかに濡れたスマートフォンを、バスタオルでぬぐってから実家の電話番号を押す。

違いに向き合うことが疲れるのなら、せめて同じ方向を向いていたい。

父に何を言うか、母に何を言うか、頭の中で上手くまとめられないまま、私はいつまでもいつまでも、電話の呼出音を聞いていた。

選手宣誓

あなたがもし、「自分の人生クソみたいだな」って思っていたとしても。

ぼくは、あなたが生まれてきたことに、「おめでとう!」って言いたいな。

「希望を持て」って、すごくつまらない言葉だと思う。そんな抽象的な言葉ではだれも救われない。誰でも、希望は持ちたいに決まってる。

それでも、希望が見えない、持てないから、苦しいんだよね。

できる限りで、ぼくはあなたの苦しみや悲しみに寄り添って生きていきたいな。辛いことを辛いって言うのは、全然悪いことなんかじゃないよ。

 

障害者だろうと、セクシャルマイノリティだろうと、ホームレスだろうと、引きこもりだろうと、無職だろうと、ブスと呼ばれようと、ウザいと言われようと、社会不適合者と呼ばれようと、「必要ない」なんてこと絶対ないよ。

あなたはこの世界に絶対必要だ。

 

自分の考える理想があって、それに全然届きようもなくて自己嫌悪に陥るとき。

周囲からの心ない言葉に、傷ついてどうしようもないとき。

好きなあの人から愛してもらえなくて、どうしようもなく悲しいとき。

誰からも認めてもらえない、愛してもらえない、誰も救ってくれないと感じるとき。

そりゃあ苦しいよ、しんどいよ、泣いても喚いてもなんも変わんなくて絶望しちゃうよね。苦しいときは苦しいって言っていいよ。悲しいときは悲しいって言っていいよ。寂しいときは寂しいって思っていいよ。

「こんなこと考えちゃダメだ」なんてこと、ひとつもないよ。

 

あなたがクソなんじゃなくて、社会がクソなんだよ。周囲がクソなんだよ。

何か、自分じゃない、ほかのもののせいにしちゃってもいい。あなたは悪くない。

絶対に悪くないよ。大丈夫。絶対に、大丈夫。

 

 

 

でも、ほかの何かのせいにしたところで、なんにも変わらなかったんだ。

社会がクソ、あいつがクソ、自分は絶対に悪くないって思っても、なにひとつ変わらなかった。

寂しい、寂しい、なんで誰も自分を救ってくれないんだって思っても、なにひとつ変わらなくて。

 

だけど変えられるものがひとつだけ残っていた。

他者は変えることができなくても、自分が変わることは、きっとできる。

きっと、自分を救えるのは自分だけなんだと、思う。

それはとても孤独のような気がするけど、でも、大丈夫だよ。あなたの孤独に寄り添おうとしてくれる人がいるよ。近くにいなくても、世界にはいっぱいいるよ。

そして誰よりも、あなたが、あなたに寄り添ってあげられるよ。

 

不幸でいることは簡単だ。

愚痴さえ言っていればいい。

「あれが最悪」「これがクソ」「あいつがいなければ」「こいつなんてクソ」

不平不満を言ってさえいれば、不幸でいられる。楽ちんなんだもん。

考えることをやめないで、感じることをやめないで、自分を見つめることをやめないで、幸せになりたいな。

 

もっと、もっと、もっと、幸せになりたいな。

 

誰かに救ってほしい、認めてほしい、愛してほしい。

それと同じくらい、誰かを救いたくて、認めたくて、愛したい自分がいる。

選ぶのは、自分。

 

自分をきちんと見つめたら、自分はすでに認められていて、愛されていて、救われたんだ。

幸せなんだって、わかったんだ。

でもやっぱり、もっと幸せになりたい。貪欲かもしれないけれど。

 

与えるでも、奪うでもなく、与え合うことが大切なんだって、誰かが言っていた。

与え合って、もっと幸せになろうね。

いつでも、あなたのことを想っているよ。想っていたいよ。想っているよ。

 

 

 

ぼくは希望を持っている。ユーモアを持っている。愛を持っている。

あなたが生まれてきたことに、「おめでとう!」と言い続けます。

あなたの悲しみに寄り添い続けます。

あなたとともに、歓びの花を咲かせ続けます。

ぼくはぼくに、誓います。

荒野にて

恋愛はオプション

あったら楽しいかもね


性別はオプション

昨日は女で今日は男

なくたって構わないかもね


ルールはオプション

3人で付き合えば楽しいし

裸で外歩いたっていいかもね


人生なんて荒野

とがった風が痛い

どっちに行きゃ幸せ


どこに立ってるかわからないなら

目を瞑れ  耳を塞げ

私が私の色を見つける


瓦礫の中に咲く花を

血みどろになりながら探し出せ


心の中に荒野

全部壊してしまえばいい

どうせなら楽園創りあげたいね

生きる歓びを、命の花束を

原宿にあるデザインフェスタギャラリーに行って、ホリウチ ヒロミさんの個展を見てきた。

原宿駅なんて普段降りることがないから、観光気分で竹下通りに入ってみると3分も経たずに後悔した。祝日ということもあってか、道は人、人、人。クッキー缶をじゃかじゃかと引っくり返したような人混みを、縫うようにして早足に進んだ。

やっとの思いで竹下通りを抜けて、原宿通りという名の裏道に入ると、パーカーのフードを目深に被った兄ちゃんたちがいっぱいいた。

東京は本当に、場所によって住んでいる人種が違うなあ、と思って歩いていると、白い壁に黒い字で、「DESIGN FESTA GALLERY」と書かれた建物が見えて、僕は少しほっとしながらそちらに向かった。

その会場はWEST館とEAST館に分かれていて、展示スペースとしていくつもの部屋があったので、たくさんの人が個展なりなんなりを開いているようだった。

僕はヒロミさんの絵を見に来たつもりだったけど、折角だから、見終わった後でほかの人の作品も見てみようと思った。

 

ヒロミさんのことは、Twitterで知った。

どういうルートで知ったのか忘れたけど、ヒロミさんはペン画を描かれていて、その作品の画像をTwitterで見て、勝手にフォローしたんだと思う。

僕は絵に関してまったく無知なんだけど、単純に、「なんだかとても力強い絵だなあ」と思ったことを覚えている。

僕はTwitterで、好きな歌手とか好きな作家を多くフォローしているので、それと同じような気持ちで、「好きな絵描きさん」としてヒロミさんをフォローしていた。

だから、展示会場に入ったとき、在廊されているご本人に、

「あ、知ってる顔だ。えーと……OK君だ」(OKは僕のTwitterアカウント名)

と言われたとき、(えええなんで認知されてるの!!!)と思ってめちゃくちゃ焦った。

「ブログ読んでるよ。綺麗な文章を書くよね」

とも言われ、僕は思わず「ええっ!! ありがとうございます!! お恥ずかしい!」と答えた。お世辞だとしても嬉しくて、同時に本当に恥ずかしかった。

僕は何かひとつのことに、命を削る勢いで取り組んでいる人を本当に尊敬しているし、そういう人はえてして孤独なのに、それを受け入れる軽やかな雰囲気を持っている人とか神様じゃんと思っていて、要はヒロミさんはそんな感じだった。

僕がヒロミさんの絵を見ているあいだ、展示スペースに来る人来る人、みんなに話しかけていて、どこからいらっしゃったんですかとか、遠くからありがとうございますとか、全員にお礼を言っているようだった。

ヒロミさんと、「大森靖子はインストアLIVEで全員と握手してくれる」みたいな話になったとき、

「すごいよな~。俺絶対できないもんな~」

とか言っていて、いやいやあなただってしてるじゃないか、と僕は心の中で思った。

 

尊敬できる人と会うとき、「もっとすごい自分で会えたらよかったのに」と思う。自分をよく見せようとして、緊張したり恐縮し過ぎたりしてしまう。

「この絵は構図が計算されている感じがして」とか、上っ面の見栄を張った言葉なんかじゃなくて、もっと丁寧に、思っていることを口にすればよかった。

人との出会いとか、人生なんて全部出たとこ勝負なんだから、いつだって「そのときの自分」で勝負するしかないのにね。

堂々と、人と向き合えるように、もっと精進しなければ、と思った。

 

 

 

話は少し離れる。

僕は最近、とても強く感じていることがあって、それは「生き辛い社会だなあ」ということ。

高校のときや、大学に入りたての頃は、尊敬する有名人なんかが、「いまはとても生き辛い時代で」などと言っていても、あまりピンと来なかった。だけど最近はすごく強く感じる。

僕は、「生きる」とは、ただ心臓が動いている状態をいうわけではないと思う。

「人が、その人自身の能力や個性を伸び伸びと発揮する」ことが、「生きる」だと思う。

生きることは、喜びだ。

犬は走る能力があるから、大きな公園を風のように縦横無尽に走り回るとき、彼は生きている。しっぽをぶんぶん振って喜ぶ。

鳥は大空を舞うときに生きるだろうし、魚は水を自由に泳ぐとき、生きるだろう。

犬も鳥も魚も、狭い狭い檻や水槽に入れられて、彼の能力を発揮できなくなったら彼はもはや生きていない。文字通り、「死んだ」ように生きることになる。自らの能力を発揮できないことは、悲しみであり、ある種の死だ。

そういう意味で「生きている」人間は、いま少ないと思う。

いまは価値観が画一化されていて、「常識」や「良心」から外れたことをすると一斉に非難の対象となる。インターネットやSNSの影響もあって、少しでも何かをやらかしたらすぐに拡散・炎上するし、自分の意思よりも世間の目の方が優先度が高いような気がしてしまう。

逆に、「常識」や「良心」に従ったことならなんでもやっていいし言っていい、みたいな風潮もあって、正しさの暴力でめっためたにされる人をよく見る。

世の中の「常識」に、生まれてから死ぬまで沿えるような、そんな人なんていないと思う。誰だって間違いを犯すし、なぜその間違いを犯したのかを周囲が想像しようとする優しい社会であってほしい。「生きられる社会」であってほしい。

会社で上司の理不尽な要求に笑顔で応えなければいけないとき、悲しいのに接客のために無愛想になれないとき、僕らは死んでいる。

自分の「欲求」や「意思」や「感情」を、無理矢理にでも曲げなければいけないとき、僕らは死んでいる。

死んで、死んで、毎日死んで、そのうちに感じることができなくなる。「自分」が何を感じているのかがわからなくて、ただ周囲に要求されていることを感じている(と思い込む)機械みたいになる。

それは、苦しい。

苦しいけど、周囲の期待を押し切って、自分の意思を貫くことはもっと苦しい。勇気がいる。仲間はおらず、信じられるのは自分の「生きたい」という衝動だけだ。

みんな楽をしたいから、そっちの道を選ばない。

でも本当に苦しいのはどっちの道なんだろう。僕は最近考えている。

 

 

 

ヒロミさんの絵を間近で見たときに感じたことは、「生きてる!」ということだった。

もっと言うと、「一緒に生きてる!」という感じを、僕は印象として持った。

今回の個展で一番大きな絵は、高さが2mくらいあって、横幅も3mくらいはあったと思う。たくさんの骨たちが、同じ方向を向いて行進していくような、駆けていくような、勢いのある作品だった。

骨は多様な形をしていて、たくさんの花や蔦が、そこに咲いたり絡んだりしていた。

頭骨からは当然だが、表情を読み取れない。そこに描かれている動物たちが、いったいどんな感情を抱いて、どんな表情をしているのかはわからない。

でも、「生きてるよ!」とその絵は言っていた。生きてる! 生きてる!!

喜怒哀楽で言うならば、間違いなく「喜び」だったと思う。「喜び」というよりは、「歓び」。生きていく上で、避けることのできない悲しみ、怒り、苦しみ。でもそれらを感じる僕らは、「生きてる!」。

決して痛みを無視した上で成り立っているわけではない、「生きる」ことの困難さや苦しみを内包した上での、ふつふつと湧いてくる内的な歓びが、その絵からは存分に発せられていた。

そして描かれたたくさんの生き物(骨)たちは、その歓びを共有しているように見えた。人間としてですらなく、生物としての、生きとし生けるものが感じることのできる歓びで、彼らは繋がっているようだった。

それは大きなエネルギーで、花は狂ったように咲き乱れ、骨からは涙なのか汗なのか、それとも何か違うものか、わからないけど溢れ出るものがあった。

「僕ら、一緒に生きてるよ!!!」

この絵のタイトルはなんですか、とヒロミさんに尋ねると、絵の右隣りにあるあれがタイトルだよ、と言われた。

絵の隣を見てみると、骨を組み合わせた可愛らしい文字で、「ALIVE」と描かれたタイトルがあった。

そうか、ALIVEか!

個展のタイトルが、「ALIVE」なのは知っていたけど、特に強く気に留めていたわけではなかった。

でもその大きな絵のタイトルが、「ALIVE」だと知ったとき、「あぁ!」と、なにか腑に落ちたような、納得したような気になった。

そして同時に、「生きる」ことの孤独さに目がいきがちだった自分にとって、「生きる」ことで繋がれる歓びがあるのだということを、その絵が教えてくれたような気がして、とても嬉しかった。

 

ヒロミさんの個展会場を出ると、頭が熱で浮かされているような、脳みそがぐらぐらと揺れているような気がして、僕はぼーっとしてしまっていた。

会場に入るときは、ヒロミさん以外の作品も見てから帰ろうと決めていたのに、「もうこれ以上インプットは無理!」と頭が言っていたので、僕は素直にそれに従うことにした。

会場からぽんっ、と一歩外に出ると、もう一つの出口から、ちょうどヒロミさんも外に出たところだった。

「あ」

とお互いに顔を見合わせて、どうもと会釈してから別れた。

目の端に映る、「生きている」ヒロミさんは、やっぱり軽やかでやわらかな人に見えた。

yes

寒い夜に 星を見にあなたと待ち合わせ

心が浮き立って落ち着かないな 貸してくれた本返せなくて

闇に揺れる木々の音聞こえるほど 怖がっているから 話して

 

月のない空 燃える砂と赤い光

揺れる青い炎見つめているのは 甘いココア飲みたいからじゃない

yes を言ってほしいのは 僕だけじゃない

 

一時間に五回だけの流れ星 本当は見逃したって構わない

北の空さがして

いつまでも寝転んでいたい 勇気出して触れた首筋は 温かい

 

もう二度と 会えなくなる日が来るのは 寂しい

でもやっぱり 会えるのは嬉しい

あなたの生々しさに 絡まってしまった自由を

ひとつひとつ 優しく指で解いて

 

笑い飛ばしてみたい 愛しんでいる思い出も 過ぎ去る切なさも

自転車引いて 送ってくれる帰り道

隣の気配 いつもより遅くなる 足どり

 

あなたの物語 僕の物語

泣いたり 笑い転げたり すべてに yes と叫びたいの

もうすぐ朝が来る