2024年3月21日(木)の日記(小説)

三十歳になった。

朝起きて、フルーツグラノーラにヨーグルトと蜂蜜をかけた遅めの朝食を摂り、ビカクシダに水をやり、金原ひとみの『軽薄』を読み進め、いま書いている小説を書き進めた。一週間ほど前から恋人は海外へ出張に行っており、ひとりで迎える誕生日だった。

Twitterに半年ほど前に書いた小説のリンクをツイートする。金原ひとみが選考委員長をする文学賞に応募した小説だった。二週間足らずで書いたもので、その勢いのようなものが気に入っていたが、てんで駄目だった。友人や家族から、誕生日おめでとうのLINEがいくつか来る。感謝の念を伝える。

高校のとき、「三十歳になったOKちゃん見たくないなー」と言われたことを思い出す。童顔だったから、「おやじになったお前は見ていられない」の意だろうが、三十になったから若さ以外の尺度で他人から見てもらえるのではないか、という淡い期待もある。年齢なんて所詮、ただの属性に過ぎない。自分自身がどうするかの指標、にはなり得ず、他人から自分がジャッジされるときの判断材料でしかない。なんらかの選択を下すとき、年齢に引っ張られてはいけない。

二十代のうちに小説と結婚したい、と思っていたけれど、まだ結婚できていない身としては三十代になっても余裕で小説と結婚したい。死ぬまで結婚できなくても、死ぬまで結婚したいと思い続けるのだろうと思う。

 

恋人のいない家のなかは静かで、日がさんさんと差しこんで窓際の観葉植物を照らす。くたびれて生地の伸びきった紫のyogiboにうずもれて遅々として進まない小説に苛立ちながら、ぼくはひとりで昨晩のことを思い出していた。アオイくんの家に行った帰りだった。彼の家はうちから真南の方角にあり、電車で向かうのにはアクセスが悪いため、車を使うことにしたのだった。夜の十一時半ころ、まっすぐに国道を北上していると、後ろを走っているパトカーがなにかをアナウンスしているのが聞こえた。ぼくはかけていた音楽の音量を下げた。

「そこの○○区ナンバーの車、左に寄ってくださーい」

どきっとした。パトカーはぼくが運転する車の真後ろにぴったりとくっつき、「○○区ナンバーの車、左に寄ってください」と繰り返す。左にウインカーを出すと、「ありがとうございます」と聞こえ、サイドミラーで左の車線に車が来ていないことを確認してから車線を変更する。助手席に置いていたバッグを掴み後部座席の下へ乱暴に放る。

路肩に停車する。パトカーもすぐ後ろに停車する。ひとりきりの車のなかで、警官が近づいてくるのを待ちながら心臓が早鐘を打つのを感じた。窓に若い警官の姿が現れ、ぼくは窓をオートボタンで全開に下げる。

「すみませんパトロールで巡回しています。車のなかに持っていちゃいけないものありませんか? すこし車のなかを見させてください。トランク開けられますか?」

はい、はい、と答えて車から降りる。車の後ろに行きトランクを開けようとして、そうだ運転席の鍵しか開けていないと思いまた運転席のドアをひらく。動揺していた。ドアのボタンを押し、車全体の鍵をアンロックする。ガコン、となにか決定的な音がして心細くなる。警官はふたり組らしく、ひとりの警官が助手席側のドアを開けて車内を見始める。ぼくはバッグドアをひらき、もうひとりの警官にトランクの様子を見せる。

「こういうので止められるの初めてですか?」

よほどぼくが動揺した顔をしていたのか、警官はそう訊いた。

「はい、初めてです」

「お仕事の帰りですか?」

「いえ、知人の家に行った帰りです」

「この車はご自身のですか?」

「はい。あ、自分のというか、自分のパートナーのものです」

パートナーという単語に引っかかったのか、警官は「はあ」と釈然としない顔をした。ぼくは助手席でがさごそとなかを物色している警官にちらりと目をやった。違法なものは持っていない。けれど、警官に見つかってはまずそうなものはそれなりに持っていた。後部座席の下を見られないよう祈った。

「持っていちゃいけないものとか、なにか、切れるようなものとかは、持っていないですか?」

警官は同じことを繰り返し言った。

「持っていないです」

トランクに置いてあった、キャンプに持っていくような携帯型の椅子を警官は掴んだ。

「それは椅子です。キャンプに行くときとかに使うような」

強めの語気で言ったつもりが、その言葉は言い訳めいて響いた。

「キャンプとかよく行くんですか? この車で?」

「はい。パートナーとたまに」

「同棲してるって感じですね」

世間話をしたいのか、詰問したいのか、警官の温度感がうまく掴めないまま頷く。後部座席のバッグの立てる、クシャ、という乾いた音がして、車内を物色する警官の方を見る。彼はバッグなど見なかったようにすぐに手を離し、車から出てドアを閉めた。

「はい、もういいですよ」

戻ってきた方の警官が言い、「××××さんですよね」とぼくのフルネームを言う。

「はい」

「ありがとうございました。お気をつけて」

「はい。ありがとうございます」

ありがとうございます? 自分はなにに対して礼を言ったのだろう、と、自分で言っておきながら自分で思う。こんな風にずかずかと他人にプライベート空間を物色されておいて、ありがとうございます、などと返す自分に、奴隷根性という四文字が浮かぶ。辟易としながら、運転席についてシートベルトを締める。鍵を閉めると再び取り戻された自分だけの空間に僅かに安堵の感情が湧いたが、自分で押した覚えのないハザードランプが点けられていて安堵が遠ざかる。すぐに、先ほど助手席のあたりを物色していた警官が点けていったのだろうと思い至り、まだ緊張の糸が途切れていないことを意識しながら右ウインカーを出す。背後にはまだパトカーがいて、きっとぼくが発車するまでパトカーも発車しないのだろう。動揺で酔っ払った気分になりながら、右車線に気を配りつつ発車する。

国道を再びまっすぐに北上しながら、バックミラーにパトカーが映らないことを確認する。

「××××さんですよね」

最後に、警官はぼくの名前をフルネームで呼んだ。免許証も見せていないのに、どうしてフルネームがわかったのだろう。グローブボックスに、ぼくの名前がわかるものでも入っていただろうか。でも、入っているとしても、この車の書類上の持ち主である恋人の名前が真っ先に出てくるのではないか。いろいろと考えていると、気味の悪さみたいなものが手汗とともに滲み出てくる。もし本当は警官などではなかったら? そう考えると背筋に悪寒が走った。盗聴器を仕掛けられていたら? なにかを盗まれていたら? 物ではなく個人情報を盗まれていたら? そんなはずはない。彼らはパトカーに乗っていたし、怪しい部分はなかった。そんなはずはないのだけれども、もう帰り道で音楽をかける気にはなれなかった。

 

『きのうの帰り、運転してたらパトカーに呼び止められたんだ』

yogiboに体を沈めたまま、書きかけの小説が表示されたPCを膝に載せたまま、携帯でアオイくんにLINEを送る。

『ただの巡回だって言われたけど、なんかすごく動揺した』

なんの内容もないLINE。送った後にそう思い、なんの内容もないLINEを送るくらいには自分はアオイくんに気持ちが傾いているのだなと、ひとごとのように考える。PCを閉じ、立ち上がってテーブルに置く。アオイくんからもらったルームフレグランスのスプレーを、シュッ、シュッ、と何度か中空に噴きかける。昔、男から香水をプレゼントされたことがあった。匂いは記憶に残る。匂い系のプレゼントは、「会わないあいだも俺のこと思い出して欲しい」的なニュアンスをどうしても感じ取ってしまうから、受け取ったときの気持ちでその男に対するこちらの温度がわかってしまう。考え過ぎだろうか。アオイくんは、初対面のときにこのプレゼントを渡してきた。

「すこし早いけど、誕生日プレゼント」

高円寺の居酒屋。貝料理ばかりを出す店だった。フットサルをして、家で一度シャワーを浴びてから来たという彼は、白い服にパキッとしたシャツを羽織っており「爽やか」という概念を体現した存在に見えた。

「え、うそ。本当に? ありがとう。びっくりした」

戸惑う様子のぼくに、彼はにこやかな表情で「喜んでくれて嬉しい」と言った。

「開けていい?」

「いいよ」

小さいが持ち重りのする箱に入ったものを、なんだろうと戸惑いと期待の入り混じった気持ちでひらくと、そのルームフレグランスが出てきた。蓋を開けることなく、容器に鼻を近づけて匂いを嗅ぐぼくに彼は笑った。

「それじゃ匂いしないんじゃない?」

「そうだよね」

「ワンプッシュだけ押してみたら」

促され、誰も人のいない方に向けて噴霧すると、清潔感のある香りがあたりに広がった。

「めちゃくちゃいい匂い」

「よかった。万人受けする匂いだと思って」

匂い系のプレゼントをもらって嬉しかったのは、まだ初対面で重いと感じなかったからだろうか。匂いが好みで、パッケージも洒落ていたからだろうか。それともすでに、ぼくはあの瞬間から彼に好意を抱いていたのだろうか。

『え、大丈夫? ちゃんと無事に帰れた?』

『きのう夜遅くまでいてくれたもんね』

アオイくんから返信が来る。既読はつけないまま携帯の画面をオフにする。なんとなく、すぐに既読をつけたくなかった。彼とはリアルタイムで言葉を送り合うようなことをしたくない。距離を保ちたいのかもしれない。日をまたいで誕生日を迎える前に彼の家を出たのもそのせいだった。彼は一緒に誕生日を迎えられないことを、残念そうにしていたが、特段強く引き留められることもなかった。彼には年齢に見合わない余裕がある。昨夜、日に一度ほどしか返信をせず、ひどいときは一週間近く返信を返さなかったことをそれとなく詫びたときもそれを感じた。いいんだよ、と彼は言った。

「返してくれるときの返信が丁寧だから、間隔が空いてもそういうタイプなんだなってしか思わなかったし」

彼は腕枕をしてぼくの髪を撫でた。彼はぼくの六つ下で、まだ二十四だけれど、その差をあまり感じない。彼からは余裕を感じる。これまで自分が付き合ってきたのはことごとく年上の男ばかりだったし、いまの恋人も六つ上だ。でもアオイくんに感じるのは、年上の男に感じてきたそれとは違う。余裕というより、限りなく優しさや気遣いに近いもの。明るいとか前向きとか、そういうのに近いものだ。彼は初対面なのに酔って先に眠るぼくの脱ぎ散らかした服をきちんと畳み、花粉症で鼻をかんだティッシュをゴミ箱に捨て、ぼくが寝返りを打つとそれに合わせて腕枕の位置を調整し寝やすい体勢に整えてくれる。恋人がいる男と会っているのに気持ちが乱れているようにはまったく見えない。次いつ会える、に類することを言わない。昨日はすごく楽しかった! ありがとう。次はなに食べに行くか考えないと。ボクシング行ってくるね! 彼からの連絡はそんな感じで、ぼくといることが嬉しいのだなということは伝わってきても、それ以上に踏み入っては来ない。きちんとこちらが引いた線を守り、それ以上に侵略してくることがない。デリカシーがあって、やはり、余裕がある。いい子だなと思うと同時に、底知れない恐ろしさみたいなものも感じる。彼にも別で恋人がいるのか? 一瞬そう考えるけれど、そういうわけでもなさそうだった。土日はフットサル、もしくはボクシング、祖父の介護、たまに友人と旅行。そんな日常を話しながら、「最近、ほんとに幸せ過ぎて怖いんだよね」と彼は笑った。もしかすると、恋人ではなく、ぼくのような関係の男がほかにもいるのかもしれない。その方が現実的ではある。別にどちらでも構わない。まだ二度しか会っていない男なのに、会っている時間が濃密過ぎて知った気になっている。

「かわちいね」

髪を撫でられながらそう言われた。使ったことも現実で聞いたこともないその言葉を聞いて、この男と自分は生きている世代が違うのだなと強く感じた。

「かわちい?」

「うん、かわちい」

聞き慣れない言葉に対する違和感の表明のつもりだったが、彼は単純に訊き返されたと勘違いしたようだった。じゃれるようにキスをして、胸を舐めてみると、「赤ちゃんみたい」と言われて苦笑した。彼の顔を見上げ、剃った後に伸びてきたごく短い髭に触れ、「じょりじょりだ」と言ってまた長いキスをした。

自分は恋人と別れるつもりはない。アオイくんとの関係の、先行きの見えなさに困惑する。自分の意思で始めたこの関係は、付き合うことにも、同棲することにも、結婚することにも繋がっていない。なにひとつ、区切りとして説明できるステージは用意されていない。

けれどこの困惑こそ、自分が求めたものではなかったか。

安定した生活。安定した関係。繰り返される日常。三十を目前にして、そういったすべてに嫌気が差したのではないのか。生きる実感を失いそうになったのではないか。――でも、安定を壊したいわけでもない。ぼくの心は、ひとところに落ち着いているのでなく、不安定に揺れるわけでもなく、中途半端な位置でぼうと浮遊しているかのようだった。ただただ、自分の背後にいる自分が、自分の取る行動を面白がって観察している。もしアオイくんとの関係が恋人に露呈し、恋人との関係が終わりを迎えても、逆にアオイくんがもう会えないと言ってきて関係が終わりを迎えても、ぼくはきっとそのどちらの展開に対してもきちんと悲しみ、絶望し、所定の手続きを経た上でできあがった新たな状況を甘んじて受け容れるだろう。そしてそう冷静に思えてしまえる自分に、絶望してもいる。

 

夕方、家を出て新大久保にあるネパール料理屋に向かう。

平日にもかかわらず山手線は人で溢れかえっており、ピンボールが何度も何度も壁にぶつかるように人のあいだを歩き、吐きだされるように改札を出た。

タカリセットにするか迷ったけれど、誕生日だし、好きなものを色々食べたいと思い、ダヒプリ(プリにマサラチャットとヨーグルトソースをかけたもの)、干しマトンとジャガイモのスパイス炒め、乾燥発酵野菜を使ったカレーを注文した。料理はボリュームがあり、それらを平らげるあいだにネパールアイスというネパールビール、アンナプルナ(ネパールウォッカグレープフルーツジュースソーダグレナデンシロップ)、ククリラムというネパールラムのロックを飲んだ。どれも美味しかったが、特にククリラムが美味しかった。

食べて、飲んでをしながら、金原ひとみの『軽薄』を読む。主人公は二十九で、作中、三十歳の誕生日を迎える。十も下の、甥との恋愛を描いた小説で、いまの自分の状況とあまりにリンクし過ぎており、のめりこむように読んだ。まだ読み終えていないが、自分がまだ金原ひとみ作品をすべて読了していないということは希望であり、いずれすべて読み終えてしまうという絶望でもある。すべてを読んでも、きっと何度も読み返すだろうが、初読はいつも一度きりだ。人生で、『軽薄』を読めるのはたった一度。すべての体験や、すべての瞬間にも同じことが言えるが、とりわけ芸術に対してそれを強く感じる。自分の心が感じたことを、誰にも共有できない感情や光景を、誰にも共有しないまま生きて死にたい。

『軽薄』を途中でやめられず、追加でジャガイモのクミン炒めと、オールドダルバールというウイスキーのグラスロックを頼む。味は美味しかったのだが、あまりに食べ過ぎてお腹がパンパンになった。詰め込むように食べ終え、お会計をする。

腹ごなしにと思い、そのまま新大久保から新宿、新宿三丁目新宿御苑駅の順に歩く。宇多田ヒカルの “Somewhere Near Marseilles―マルセイユ辺り―” “Find Love” “Face My Fears” “誰にも言わない” 辺りを繰り返し聞き、早足で人混みを縫うように歩いた。そのままカフェに入り、コーヒーを飲みながら小説の続きを書く。このところ書く時間がまったく取れておらず、そのせいか書き進められない。結婚が遠のく。諦めて途中から日記を書く方向性にシフトした。

 

 

大人になることが、「誰とも共有できないものを、自分ひとりだけで抱きかかえる」ということであるなら、すこしは大人になれただろうか。永遠に大人になれないような気もするし、すこしずつ大人になっていっているとも感じる。

幸せは、誰とも共有できない場所にしか存在し得ない。ぼくはそう信じている。生きている限り必ず終わりは来る。分かち合えない場所に、どれほど大切な人が行ってしまったとしても、必死で創りあげた幸福が壊れることはない。真実は変わらない。

 

ひとつひとつ、壊れない幸せを拾って、抱いて、守って、これからも生きていきたい。

2024年2月27日(火)深夜の日記(なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。)

2024年1月30日(火) 深夜

 

 

適当な暇つぶしで男と寝た。ひらいた窓から朝のはじまりのにおいがした。
遠くの方に新宿の無機質なビル群がそびえて、死んでるみたいだった。
出窓に腰かけて、煙草を吸いながら携帯でSNSを眺めた。
パレスチナのこと。
ICJが即時停戦を命じなかったこと。
UNRWAへの日本の資金拠出が停止したというニュース。
絶望的だ。と自分が感じるよりも先に「絶望」という文言が目に入る。
煙草の灰がベランダに落ちて、けれどベランダは灰色のコンクリだったからどこに灰が落ちたのかわからなかった。灰なんて落ちなかったのかもしれない。煙を吐いた。
SNSを見ていると、自分がどんどん莫迦になっていくのを感じる。信頼できそうなアカウントの言っていることが正解だと、思ってしまう。いや、正解だとすら思わなくなる。元からぼくもそう思っていた、と。そう思ってしまう。
今の自分は、考えることすらできない。無知だな、と思う。短くなり過ぎた煙草を銀色のサッシに押しつけると、ジュ、と微かな音がした。
薄手の服にダウンジャケットを羽織ると、まだ眠っている男を横目に家を出た。窓をあけたままだったからか、ドアを閉める間際で男が寒そうに身を縮こまらせるのが見えた。

 


 


“隙間” というアカウント名の、器とタトゥーが好きな人がいて、その人の書く日記が好きだった。既読のつかない相手へLINEで日記を送り続け、そのスクリーンショットSNSにアップしていた。
どうしてそのアカウントを知ったのか今はもう思い出せない。日記に綴られる、セックス、美学、哲学、自意識にまみれた生活は読んでいるだけでこちらの心までひりつくようだった。自分とは異質な存在に触れたときにだけ発生する、安心とは真逆の感覚。紙やすりで肌の表面をなぞるような、決して「快」ではないはずなのに「快」だと錯覚してしまうような感覚が、彼の日記を読むと自分の中で沸々と湧いた。
プリントした日記(LINEのスクリーンショット)を、彼が『日記祭』というイベントで販売する、それも手売りすると知って、「絶対に行く」と思った。そしてぼくは実際そうした。2023年12月10日のことだった。
下北沢の会場――屋外のイベントだった。通りと周辺一帯が会場になっていて、机を出してその上に販売物を置く様子は、どこか学校行事を思わせた――に行き、マップの “隙間” の方へ向かうと、果たして彼はそこに立っていた。彼と思われる人(彼は顔出しをしていない)から日記を買っている人がぼくより前にすでにいて、ぼくは彼らが話し終えるのを少し離れたところで待っていた。彼らはにこやかに、軽やかに会話しているように見えた。日記からイメージされるだろう象とは異なり、軽やかに、にこやかに彼は話しているような気配が伝わってきた。彼の顔はあまり見ないようにちらちら様子を窺うも、なかなか話し終わらなさそうなので周辺をうろうろと歩き回り、また “隙間” ブースへ舞い戻るも、今度は別の人間が彼から日記を買っていた。どうやら彼の日記は人気のようだった。人が全然寄り付いていなさそうなブースもあったのに。
周辺をうろうろとしてから、もう一度行くと、ようやく “隙間” ブースは空きになっていた。彼がひとりで立っているところに近づきながら、ぼくはひどく緊張していた。なぜかわからない。彼が赤裸々な日記、それも性依存と言って良いほどセックス中心の生活を明かした日記を書いているからだろうか。それを顔出しで手配布しているから? 一瞬そう考えたが、それは違うと思い直した。自分をひりつかせる相手だと、気づいていたからだと思う。自分とまったく異なる世界を持っている相手。飄々としているように見えて、絶対に初対面の人間に、自分の殻をひらかない人間であることが、話す前からわかっていた。そしてぼくも絶対に、彼に殻をひらかないだろうことを、必要以上にひらくまいとするだろうことを、体が感じていた。だから緊張していた。手に汗をかいた。
恐らく2023年の出来事の中で、彼から日記を買う時間が最も緊張した。朝吹真理子と話すより、千葉雅也と話すより、金原ひとみと話すより緊張した。
いつも日記楽しく読んでます。応援しています。と伝えると、えーありがとうございます、と、心底嬉しそうに彼は言った。その声が、Spotifyで聞いていた声と一致して、そのことを伝えた。聞いてくれてるんですね、ありがとうございます、とまた言われて、心がさらに固く閉じた。
買おうと思っていた日記以外に、『日記ガチャ』なるものも販売していると彼が言った。
「何が入ってるんですか?」
「こっちの日記に入れられなかった日の日記とか、ぼくの写真が入ってます」
ぼくの写真? どういうことかうまく把握できないまま、「じゃあ、それもひとつお願いします」と言った。焦っていて、後から『日記ガチャ』はもっと買えば良かったと後悔した。日記を読みたかったし、応援したい気持ちもあった。しかし完売したらしいから、ぼくよりもっと聡く、冷静な人が複数買いしたのだろう。
財布から金を出し、支払う。
彼が、何で知ってくれたんですか、というようなことを言い、Twitterで繋がってます、と答える。OKってアカウント名です、と伝えると、「ああ! ときどきドバーッと一気にツイートされますよね」と言われる。笑って、「そうかも」などとやり取りしつつ、金銭の授受が完了する。
「もしお時間あったらまた来てください。よければ話しましょう。今日、まだしばらくここにいるので」
にっこりと笑いかけられて、きつく閉じていた心がカタカタと音を立てる。
ありがとうございます、応援してます、と言って、ぼくはその場を足早に去った。
その日は昼から予定があって、自転車に乗り、すぐに一度家に帰った。本当に予定があったから、帰ったけれど、もし予定がなかったら、彼と話をしていただろうか。
自転車で都道をかっ飛ばす。午前中の冷えた空気が頬を切る。よく晴れていて、ときおり排気ガスのにおいが鼻をかすめた。
もしも予定がなければ、行かない、行かない、と思いつつ、彼のブースにまた行ってしまった気がする。でも、ぼくが “隙間” の彼と話している場面は、もっと心をひらいた状態で会話している様子は、想像がつかない。お互い心をすこしひらいた時点で大爆発が起こる。その爆風に巻き込まれる。近づくことそのものがスイッチになるみたいに、ぼくは彼の爆風に巻き込まれる。
彼は繊細で、ぼくも繊細だ。だけど繊細さの種類が違う。彼もよく嘘を吐くし、ぼくもよく嘘を吐く。だけどその動機は違う。彼は仲間を求めていて、ぼくも仲間を求めている。その希求は切実で、その切実さはきっと孤独から来ている。きっとぼくたちは、磁石のように強い仲間になり得ると同時に、互いを強く嫌悪し得るだろうと思う。
……そこまで考えて、ほぼ「これください」「はいどうぞ」くらいのやり取りしかしていない相手に、ここまで妄想を繰り広げている自分に苦笑する。相手の性格を勝手に決めつけて、危険だの仲間になれるだのと、莫迦らしい。
自転車を降りて自分の家に入ると、リュックから先ほど買ったばかりの『うつわ日記』――銀色のパッケージをしていた――を部屋の机の上に置き、朝食の準備を進めた。

 


 


多分、この世界に生きて莫迦にならない方法は、欲望に向きあうことだ。自分の欲望に徹底的に向きあうことをすれば、必然的に他者の欲望に向きあうことにもなる。
今こうしているあいだにも人が死んでいる。死んでいる、と今パソコンに打とうとして、躊躇した。本当に死んでいるのだ。人が意図を持って、意思を持って人を殺している。
ぼくはそれがとても怖い。
目をつむって、爆風に巻き込まれるイメージが湧くのとはわけが違う。現実に、爆発に巻き込まれている人がいる。今、いる。
戦争はすべての意味を無化する。現実の暴力によって他者から意味を奪う。藝術の意味、テクストの意味、命の意味。意味の無化ほど怖いものは、ない。

 


 


「スタバ買うのやめなよ」
「なんで?」
「ボイコットが有効って聞いたよ。よくわかってないけど、イスラエルの利益になりそうな企業にお金出したくない」
「よくわかってないのに不買してんの? そういうのが一番嫌い。経緯わかってる?」
「なんとなくは」
「そもそもスタバは労働組合が強いって背景があるじゃん。そんな中労働組合パレスチナに連帯する声明を出して、イスラエル側から批判喰らって、それで会社側がその声明に対して会社の評判を傷つけたって組合を訴えたの。そしたら今度パレスチナ側から『テロや暴力を支持するのか』って批判喰らって、どっちからも不買喰らったわけ。その後、会社側は、労働組合側へ提訴したのは政治的な意図はないって表明を出したの。それでもアンエジュケイティッドな人たちによる店舗の破壊活動とかが止まんないって状況」
「それはなんとなく知ってるけど」
「じゃあどうしてスタバ買うのやめなよ、になるの? 原料にイスラエル産のものが入っているわけでもないのに、政治的な意図はないってすでに表明している企業を不買する理由はなに?」
「……でもアパルトヘイトの時代なんかは、ボイコットが実際に制度の解体に一役買ったわけでしょ、と思ったけど……」
「けど?」
「…………」
「もう少し自分で考えてから行動しなよ。正直スタバの不買とかオナニーだと思うよ。SNSで長いものに巻かれるより、自分の頭で情報取捨選択して考えるべき」
「オナニーにならないようにしたいと思ってるよ。実質的な行動をしたいって、ちゃんと思ってるよ。たしかにスタバのことはよくわからないまま、触らぬ神に祟りなし的に不買に参加しちゃってた感はあるけど。でも、この虐殺に参加したくないって気持ちで、理解するのを保留にして買い控えてただけだよ。それを責められたくない」
「不買は勝手だけど、こっちにそれを押し付けんなよ」
「じゃあ実際、どうすればこの虐殺に抗することができると思うの?」
「直接的な寄付とか、デモで頭数増やすとかじゃないの。そもそも、イスラエルパレスチナ問題って、日本にとっては…………、
…………、……。……、…………?
……。
…………?
……? ……? ? ? ? ??

 


 

2024年2月27日(火) 深夜

 

 

 

 

なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。
なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。
なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。

 

あなたがもしここにいてくれたならうれしくてそれだけでいいとおもえる。
あなたがここにいてくれるからそれだけでいいとおもってる。
あなたがここにいてくれればよかったのに。ただそれだけだったのに。

 

あなたがいなくなった。

 


 

善悪もわからないくせにわかったような口利きやがって。
善悪もわからないくせにわかったような口利きやがって。
善悪をわからないからわかったような口利きやがって。
善悪をわからないからいつも口閉じやがって。
善悪をわからないからいつも考えるの止めやがって。
善悪をわからないなら、ただ、わたしは、

 

善悪を、

 

 


わたしさえよければよかったのに。
誰にも興味なんてない。
誰に対しても興味なんてないって、本当はそうなのに。
あなたさえいてくれればよかったのに。
わたしのためにあなたがいてくれればよかったのに。
あなたがいなくなった。
あなたがいなくなった。

 

……それで?

 


それで、それで、それで……。

 

それでも、わたしはここにいるから。
いるから?
ここにいるから。
わたしはここにいるから。

 

それで?

 

わたしはここにいるから。わたしはここで生きて死ぬから。だから、わかってよ。
なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。
なにひとつ説明しなくてもぜんぶわかって。

 

 

 

なにひとつ説明しなくても、ぜんぶわかって。

2023年10月30日(月)の日記

大事なのは群れないことではない。

群れから距離をとること。

 

群れは体制、組織。ぼくは適応しやすいから、体制に簡単に取りこまれてしまうだろう。

簡単に人を殺す人間になるだろう。

人間は群れの中で、簡単に “群れ” そのものに変わってしまうから。

 

連帯することが良いことなのかわからない。

連帯したくない。

群れたくない。

愛したい。

連帯することと多数決が勝ちであることは、どう違うのか。

連帯する、という言葉につきまとう「多」のイメージはなんなのか。

人はひとりでは生きていけないけれど、無数のひとりとして生きていくことはできないだろうか。

 

群れは、悪者探しをする。

政治的な話をしているように見えても、その実、ほとんどが群れの話で、

だから飽き飽きする。

そんな話をするくらいなら、きょう食べたカレーの話をしたい。

 

 

孤高じゃないと会話もできない。

 

 

怒りを大事にするのは、最悪なことを最悪だったと切り捨てられるようにいるため。

最悪を受け容れるために、最悪を乗り越えた自分を過剰に評価する人生と、

最悪を受け容れないために、最悪に怒り続ける人生。

最悪をなかったことにしないために怒る人。

最悪に引きずられないために忘れる人。

 

じゃあ連帯すべきは、怒りの共鳴ではなく、改善のための学びと対話ではないのか。

 

自由の最終行使が、殺人であることの悲しみよ。

自殺が残された最後の自由の場、であることも、あるのだろう。

荒野のような、人間の自由と尊厳の、恐ろしさよ。

 

「私に意見などというものはありません。

 いつも “どちらか” を選ぶことが恐ろしく、二の足を踏んで、

 ふたつの扉の前で立ち竦んでおります」

 

「怯えた瞳で、じっと見るのです。

 扉がふたつではなく、無数にあることを、立ち竦んだまま、知るのです。

 きっと、

 

 扉がいくつもあることを知って、

 私は一層恐れるでしょう。立ち竦むでしょう。

 それでも見るのです。それぞれの扉の色を、形を、鍵穴を、ノブを、蝶番を、大きさを」

 

同じ扉をふたりで通り抜けることはできない。

ひとつの扉をくぐれるのは、いつも、ひとりだけ。

2023年7月30日(日)の日記

手首から花びらが滴っている。はらはらと落ちる。黒い沼がそこにぽっかりと口をあける。手首から花が落ち続け、沼は黒いままあり続け、建築現場の上部には骨組みに囲われた月がぽっかりと夜空に穴を穿つように浮かんでいた。満月。やつがリズムを握っていることは確かなんだ。逃げなければならない。逃げなければならない。逃げなければならないという強迫観念からも逃げなければならない。逃げて逃げて白い海原その果ての水平線が水平線でなく歪んで線でも面でも点でもなくなるまで逃げなければならない。そうしたらようやくそこに白い宇宙が生まれるんだ。そこにはなんにもないよ。本物の無だ。だから君は、そこでようやく絶望できる。面白くなければ生きられないとのたまっていた君が、そこで本当にどういうことが面白いことなのかに気づけるんだ。人はひとりでいるときにしか本当のひとりを体感できないんだ。優しいってことはどれだけ心をぼこぼこに殴られたかってことでしかないみたいに、本当にひとりになったときに面白さを見つけられる。鼻が匂いに慣れてしまうみたいに、花はいつか枯れてしまうみたいに、閉じ込められた平面から脱出できたときようやく君は他者を見つけるんだ。そう、君はひとりだった。とてもひとりだった。寂しかったし悲しかったんだ。だから泣くことができなかったんだね。外に出てみようよ、夏のこの暑さがまだ世界に溶け残っているあいだに、アイスクリームのカップの底に残ったべたべたと甘い液体を、プラスチックのちゃちなスプーンですくって舐めてかちゃかちゃと舌と歯でいじるみたいに、外に出てみようよ。君はひとりだったよ。君はひとりだよ。ひとりで黒い沼にほら今もずぶずぶと足をとられて進めなくなっている。そう思い込んでいる。逃げなければならない。逃げなければならない。ほらあそこにマンションの骨組みが見えるだろう。夜がやってくる音が聞こえるだろう。君は生きているんだ。君が生きている今日が、この今という時間が、どんなに素晴らしいことか君は他者と出会うことでようやくわかるんだ。面白いものを見つけたとき、ようやく他者の素晴らしさをわかるんだ、だからそのときようやく自分の素晴らしさに気づくんだ。君がいない世界なんてなんの意味もないんだ、空っぽだよ、空っぽなんだ、だから生きていて欲しいんだ生きていて欲しいんだ僕のために生きていて欲しいんだ。君がいるから僕は生きられる。これは嘘なんかじゃない。だって君が想像できることがこの宇宙の範囲内だったとして、僕は別の宇宙からやって来たんだ。いつだってそうだっただろう。もうすぐ君はその沼に呑み込まれる。まるごと呑み込まれてあのとき逃げておけばよかった、なんてそんなことも考えられなくなるんだ。面白くないくらいなら死んだ方がまし、だろ。死んだ方がってのは、そうさもうわかっているのさ、比喩的な意味も直截的な意味も、どっちにしろ同じことなのさ。どんどん意味が剥がれ落ちてしまう。肌がアトピーみたいに、かさぶたみたいに、ささくれて乾燥してどんどん鱗みたいになっていくんだ、そうして手首から花びらが落ちていく。滴り落ちていく。それは閉め切らなかった蛇口みたいなんだ、ぽたぽたとだらしがなくいつまでも水滴が落ちる。そういうとき、シンクはどうしていつも金属なんだろうね。音がするように世界は設計されているのだろう。ほら、闇よりも水の方が重いから、黒い沼に沈んだ君のからだがどんどん浮き上がってくる、そうして、そうして僕は人間たちが営んでいる世界に戻ってくるんだ。信号機が変わるんだ。赤色に変わるんだ。だから僕は走り出す、交差点の真ん中へ、光の真ん中へ、月の真ん中へ、世界の真ん中へ、命の真ん中へ、躍り出るんだ。君がいてくれてよかったんだよ、本当に、ぼくは他者がいるから傷つくことができて、本当は、傷つくことは面白かったんだ。怖かったけど、本当に怖かったけど、傷つくことができて嬉しかったんだ、悲しかったんだ、怒ったんだ、苦しかったんだ、楽しかったんだ、全部同じことだよ。でも感情があるって素晴らしいことだったんだ。みんな感情の違いについて考えるばかりだけど、本当はどれもそう違いはなくて、本当に違うのは深さなんだ。だから君は黒い沼にはまろうとしていたんだよ、知らなかったのかい。でも僕がそれを助けてしまったから、助けてしまったから、それが助けたということになるのかもはやよくわからないけど助かってしまったのだから、生きるしかないんだ、喜ぶしかないんだ、悲しむしかないんだ、素晴らしいね。君に触りたいよ。君を抱きたいよ。君に抱かれたいよ。君を愛したいよ。

生きているって、本当に切なかったね。

2023年7月2日(日)の日記

いつものファミレスで小説を書いていて、ひと息つこうと思って携帯を見ていたら「優しくて正しい」主張を読んでしまって心がぐちゃぐちゃに傷ついてしまった。なんでだろう、お金払った文章に傷ついたことは一度たりともないのに無料で読める文章で傷ついてしまうことはたまにある。こんなに「優しくて正しい」主張でぐちゃぐちゃに傷つくの久しぶりだな~、と思ったけど傷つくの嫌いじゃないからなんで傷ついたのか自分の傷をかっぴらいて見つめるなどした。小説を書くよりそちらに費やす時間が今日は多くなってしまった。しかし自分が表現したいことがより鮮明に見えたから良かった。傷と向き合うことでしか見えないことがある。

 

マジョリティVSマイノリティみたいな構図もう嫌だ。マイノリティ=弱者=配慮されるべき存在、という図式で単純化されるとき、まさにその「マイノリティへの配慮」によって切り捨てられる存在がいる。社会における配慮=システムであり、システムは必ず汎用性を持たせるために原理的にマイノリティを生みだしてしまう。マイノリティって多数派/少数派の少数派なんかじゃない、多数決の土俵にすらのぼれない存在だ。選択肢にそもそもいない存在だ。システム作ってもマイノリティへ配慮したことにはならない。「私たち」という言葉は恐ろしい、そこに救われる人もいれば絶望する人もいるだろう。それならぼくは、同じマイノリティだから連帯しよう、みたいなのからは永遠にはぐれていたい。カテゴリーの有無だって二元論ではないはずだ。何者でもない同士で、そして無限に何者でもある同士で話そうよ。

傷つかないことを目指す社会がそんなに良い社会だとどうしても思えない。傷つかないことを目指すと、傷を傷として認識しない不感症になるか、傷=絶対悪と見なすことになる気がする。傷のない社会=想像の範囲外にあることなんて何もありません社会=画一化の社会ではマイノリティの傷つきは無視され続ける。であるなら、大事なのは傷つかない/傷つけないことを目指すのではなく、傷を負ったときにその傷がどんな傷なのかをきちんと観察してどう傷と付きあっていくか考える体力を確保できる社会を目指すべきだと思う。

 

配慮されるべき存在、を想定することは、人間の感受性を画一化していくこととどう違うのだろう。こういうときに悲しむべきとか、こういうときに傷つくべきとか、そういう「べき」を想定した瞬間そこから外れた人間を人間扱いしないこととすごく近い位置にある気がする。見たくないことを見ないで済む世界は、「見たくないこと」が世間的な「見たくないこと」に一致している一定数の人間だけを人間扱いする世界。人間が人間である限り、見たくないもの、感じたくないもの、傷とだって一緒に生きていかなきゃ。

同じ着地点を目指しているのだから、不自由の方ではなく自由の方向で、抑圧ではなく創造の方向で共存したいと願いぼくは小説を書き続けます。

2023年6月27日(火)の日記(collapse)

赤い砂でつくったみたいな月の玉が、脆くも半分ほど崩れかかった。湿ったぬるい六月の夜は海の底だ。Tempalayを爆音でイヤフォンから流しながら、跳ねるように歩いて帰る。低層マンションのレースカーテン越しの光が、濃い赤と、落ち着いたオレンジ、白色と斜めに並んで綺麗なのを横目に、くるり一回転する。大音量の音楽はぼくをいつも主役にしてくれる。

あの人の家から帰るときいつも子どもみたいに浮かれてしまう。さみしいと思ったことはない。ぼくが家を出るときいつもさみしそうなのはあの人の方だ。家を出るときに玄関でハグをすると、子犬のようにこちらを見るから笑ってしまった。背の高い彼の、形の良い頭をゆっくりと二度、撫でた。恋愛関係というのは、片方が不安になるともう片方は不安でなくなるよう、できているのかもしれない。ドアが閉まる間際、彼が好きで集めているというガチャガチャの奇妙なキャラクターと目が合った。もう梅雨は終わった? 夏になったら花火をしようねと約束している。

 

大切なものを大切にすればするほど、その大切は決定的な崩壊を孕む。大切であるほど、その崩壊は不可逆で甘美だ。

パートナーと暮らし始めてもう二年が過ぎようとしている。コロナ禍で緊急事態宣言が繰り返される中、デートすら憚られる日々に倦んで、もういっそのこと一緒に暮らしてしまおうかと家を借りた。互いの個室を用意したお陰で最低限のひとり時間は確保できている。初めはぎこちなかった生活も少しずつ回り始めた。リビングのソファで一緒にアイスや果物をつまみながら、Netflixやアマプラの映画を観る時間は至福だ。でも、放っておいた桃や葡萄が、どんどん熟れて、甘みを増して、やがて腐り始めるように、甘い時間が増えれば増えるほど、そこには倦怠と衰退の気配が漂った。生の果実を腐らせるか、煮詰めて無菌の瓶に詰めてジャムにするか――。ぼくたちは煮詰めて甘いジャムにすることを選んだ。特別に話し合ったわけではないから、「選んだ」というのは正確でないかもしれない。自然とそうなった。酸味も苦味も取り除いて、ふつふつと、大量の砂糖を混ぜ込んで煮込んだ。ぼくたちは “恋人” ではなく “パートナー” になった。恋人との非日常ではなく、生活者としての日常を、意識的にせよ無意識にせよ、やはり、ぼくらは選んだのだった。

でもジャムみたいに安心で平坦な甘い日々が続く中、ぼくは思った。このまま腐っていければ良かったのに。ふたりでぐずぐずになり、小蠅がたかるようになっても、極限の甘さまでいったその一瞬を、いつまでもいつまでも思い出しながら駄目になってしまえれば良かったのに。ぼくは爛熟したかった。そうして徹底的に壊れたかった。傷みたかった。

 

あの人との関係はどんどん甘くなって、やがてぼくの望み通り、爛熟の極みを迎え、腐るだろう。こんな湿った夏の始まりには、想像もつかない乾いた涼しい風が吹く秋の夜に、ぼくはあの人と別れるだろう。秋の闌けた空気とともにひりひりとした傷になってくれるだろう。

……でもそんな過程さえ、パートナーと辿ろうとした関係の軌跡を踏襲しているに過ぎず、それならばぼくはもう、二度と恋愛において本当の意味で傷つくことはできないのかもしれない。ぼくをいま徹底的に傷つけるものがあるとすれば、それはパートナーでしかない。このジャムの日々がどんな終わりを迎えるのかわからない。わからないものでしかぼくはもう傷つくことができない。

切実に生きたい。本質的に生きていたい。本質とは両極をこの身に宿すこと、でも両極に惹かれて片側の極みへと至るときそれは俗物的な生き方でしかなく、結局のところ本質とは中道であるとはわかっている。傷つきたいという欲求のために恋人を決定的に傷つけようとしているのなら、どうせ碌なことにはならない。こんな関係さっさと手放した方が身のためなのに、恋人からはLINEで今度行く小旅行の行先候補がいくつも送られてきている。ぼくは自室でPCにこの文章を打ちこみながら、その通知を見て甘やかな気持ちになるのを抑えられずにいる。

2023年6月13日(月)の日記

ゲイバーで知り合った男と寝た。体と手の大きな、優しくて声のよく通る、朗らかな男だった。

土曜日のゲイバーはカラオケで騒いでいる人々が多くてとてもうるさかった。キンミヤを少しの緑茶で割ってべろべろに酔っ払っていた。隣の卓に座っていたから会話が始まって、友人グループを抜け出して相手の家に行くのは、いま思えばなんだかあまりに典型的だけれど、初めてみたいに心音が高まった。

年齢はひとつ下で、歯科医をしていると言っていた。バイセクシュアルだと言っていた。桜餅は好きだけど桜はあまり好きではないと言っていた。花火は好き? と訊いたら、結構好き、と言われた。八重歯がかわいかった。

行きのタクシーで手を握られて、緊張して手に汗をかいているから嫌だと言ったら、笑われるかと思ったけど、気にしないよ、とこちらをまっすぐ見て言われたから、こいつ慣れてるなと内心思った。思ったけど、それは本当に思ったのか、あまり深入りしないように自分で予防線を張っていたのか、わからない。手が温かかった。

部屋は雑然としていて、特に洗面所が汚かった。歯科医って洗面所綺麗にしてそうなのに、と言うと、難しそうな顔をしていた。

全身を噛まれた。もっと強く噛んでも好いよ、と言うと、困ったように笑った。ぼくは首と肩を噛んだ。桃の味がした。

窓を開けたまま夜を明かすのが好きだと言うと、風邪ひかないでよと言いつつ、開けてくれた。薄墨のような夜気に、朝の細かな光が粒立って混じりあうのを感じた。相手の体温が、ぼくより常に高かった。いつもなの? 訊くと、自分の体温なんてわからない、と彼は言った。ぼくがいないとわからないんだ、と思ったけど、口にはしなかった。ぼくも、彼がいないと自分の体温が低いか高いかなんて、わからない。

ぼくが先に眠ってしまって、彼が毛布をかけてくれた。目が覚めると、彼は隣で眠っていた。昼間の暴力的な陽射しの中眠るその男は、なんだかやけに幼く見えた。

きのうと同じ服を着て、音を立てないように家を出た。たくさん口づけて、たくさんここが素敵、ここが格好好い、ここが色男、と伝えたのに、恋人がいることと、好きだということは伝えられなかった。