ホサナ

部屋の机に、無造作に飾ってあるデルフィニウムの蒼。鮮やかで。目をつむると、

 

じん。

 

と染みるような、ブルーの中にちょこんと紫が滲んでいるのも可愛くて、

「かわいいね」「綺麗だね」

と一人、よく声をかけていて、つぼみがイルカのようだからというのが名前の由来、紫陽花のさらさらとしたブルーも美しい、青が守ってくれる6月は、大森靖子の叫ぶ声が揺らす空気の振動のその周期、ポップコーンを持つその手の角度、PINK色のその毛先が排泄物だとして、世界は極彩色ときどきグロテスク、哀しみまで君の身体の一部なら、忘れたわ忘れたわ忘れたわ。忘れたふりをして、っていうか汚いことは忘れたいそれすら美しさの一部ならその身体の歴史だけ信じて '今' だけ全肯定していくよ忘れたよ、東京は真っ黒ナチュラルボーンBLACK BOX展まよいこんだら目をつむれ、キラキラと光るその口から出る好きなマンガ好きな映画海外サッカーの話

 

おすすめの小説を教えてほしいぼくがそれを好きになりそうかは関係なく君のおすすめの小説を

 

君は美しいものをとても沢山知っているね、ぼくの人生よりも、ぼくも、トライアングル、浮かぶ死の海、ATフィールドで突き放しても突き放されてもときどきはうれしくって抱き合おうね、それだけは絶対約束忘れない。

 

 

ごめんただの日記。

多分クチナシの花は、絶対いい匂い

クチナシの匂いが立ち込めて、6月の夜は海の底。

湿度の高い夏の夜は情緒がありすぎて、植物たちの生気が永遠みたいな密度で香ってくる。「わっしょいわっしょい、夏じゃ夏じゃ!!」って、騒がしければ騒がしいほどに、終わった後のさびしさが際立つようで、夏は永遠と刹那がきっと同居している。

 

 

「『絶対に正しい』と断定することは怖いことだよ」と先日、友人と電話をしているときに言われた。

たしかに、そうだけど、「絶対にこれが正しい(もしくは間違っている)!!」と、主張することが大切な場面はあると思う、とぼくは反論した。

 

この世界に絶対なんてないからこそ、絶対って言わなきゃいけない場面だってあるんだよ。多分。

 

そう思っていた。

友人とは、「なんだか上手くわかりあえなかったね」と言って電話を切った。少しさみしかったし、くやしかった。

 

 

敬愛する歌手の大森靖子さんが、新曲『draw(A)drow』に寄せたコメントで、

きっとこれから私がつくる世界とて、絶対にも透明にも永遠にもされてはならず、これが人生と思った遺作ですら、また新しい誰かの斬新な希望に壊されるべきものだと思うので、その刹那のなかでなら絶対的な感情として曲にぶつけてもいいのかなという強い気持ちになれた楽曲でした。

と言っていた。

このコメントを読んで、自分の中で沈殿していた澱のようなものが掬われて、優しく撫でられて綺麗に溶けた気がした。なんて優しくて強い、世界への接し方なんだろうと思った。

 

友人の言っていたことは正しかった、と思った。彼の言う通り、『絶対に正しい』なんてことはあるべきではないし、誰かが全人生を賭けて表明した態度ですら、永遠な世界の見方として君臨すべきではない。輪郭の硬い、許すことも認めることもできない絶対神がきっと戦争を起こす。

 

でもそういう世界だから、その刹那の中で「絶対!!!」と言うことはきっと許されるよね。それが希望であるならば、その意見は、感情は、認めてもいいよね。いずれ壊され、覆されるものとしての一意見。決して、なかったことにも絶対にもさせられない一感情。

ぼくが言っていたことも正しかった、と思った。

 

ぼくは「客観視する」ということが苦手なのだけど、このことに関してようやく俯瞰で見られるようになった気がした。でもきっと、気づけばこの俯瞰もいつしか無意識に主観にすり替わっていってしまうから、マトリョーシカのように、いつでも俯瞰で見ようとしなければいけないね。

 

 

絶対と俯瞰を繰り返して、どんどん大きな世界を見られるようになるといいな。

昼と夜が繰り返されるように、矛盾を孕んだこの魂で破壊と再生を繰り返していきたい。日が繰るごとに、どんどんまばゆい朝を迎えられるように。

 

 

この夏が終われば枯れてしまうクチナシの花が、「わっしょいわっしょい!!」と、お祭りみたいに濃い香りをまき散らしている。

みんな自由だ

酔っ払っている。勢いで書く。

 

なんの因果か武蔵小金井にいる。前回の記事武蔵小金井駅のことを書いたからか。

なんて単純、なんてアホ。

ほんなら千葉の記事書けばよかったじゃん、千葉帰れるし。

そのうちアメリカの記事でも書いて、「気づいたらアメリカ」みたいなことになっているかもしれない。それはそれで楽しそう、万歳。

 

 

明日は大阪に行く予定だ。企業の最終面接なんだけど、「交通費もらえるしラッキー♪」と思っていた自分は、もっと万全スタイルで大阪観光できると思っていた。過去の自分に言ってやりたい。

甘いぞ自分。もっとアホだぞよ自分。

 

 

暇だから、きょう新宿の紀伊国屋書店で立ち読みした「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」の感想でも書こうと思う。著者はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。ナイジェリアのイボ民族出身の作家だ。

 

皆さんは『フェミニスト』と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。男と完全に平等な権利を得て、バリバリ働いている女性? スカートを履かずネイルもしないパンツスタイルの女性? 独身を貫いて男になんて見向きもしない女性?

正直なことをいうと、ぼくは『フェミニスト』『フェミニズム』という単語を最近知った。恥ずかしながら。……だからあまり、それらの言葉が持つニュアンスを特別知らずに生きてきたんだけれど、世間一般的には『フェミニストな女性』は『結婚になんて見向きもせず、パンツスタイルで露出はせず、世間的にはアンハッピーで攻撃的、そしてセックスは嫌いで男に媚びるのなんて大嫌い!』っていうイメージがあるみたい(?)。

チママンダはそれを見事に覆す。自ら『ハッピー・フェミニスト』を名乗り、しなやかに女性の多様な生き方を肯定する。「結婚がしたくて、スカートを履いてマニキュアを塗って男に媚び、セックス大好きな女の子」だって『フェミニスト』になれるのだと彼女は言うだろう。

 

じゃあ彼女がいう『フェミニズム』って何?

おそらく、彼女が言う『フェミニズム』とは、ジェンダーにとらわれることなく、それぞれの人間がそれぞれの特長・性質を活かして周りの目を気にせず生きる、そのことを肯定する、……そういうことでしかないのだろう。そしてそうあるために、現代の女性は特別な苦労をしている。「女性である」というだけの理由で。そのことを彼女は問題視しているのだ。

「40にもなって彼女まだ結婚してないんだって。あの性格じゃ相手見つからないだろうね~」「彼女ってスカート絶対履かないよね。足太いから自信ないのかな(笑)」「彼より収入も学歴も高いけど、言ったら彼が傷ついちゃうから秘密にしてるの」

『女だから〇〇』という言説は、男女平等が叫ばれている現代でも往々にしてあると思う。女なんだから気を使えて当然、女だから無邪気にふるまうべき、女は男におごってもらう方がスマート、etc.

逆もまたしかりで、男はすぐ泣いたらいけない、男はマッチョでなんぼ、男はものをハッキリと主張できるべき、etc.

でもここで勘違いしてはいけないのは、全然泣かない男はNGではないし、ミニスカートを履いて出会い系を使っている女子高生もNGではないということだ。

 

あまりジェンダーとかなんやらかんやらに詳しいわけでもない、というかほとんどまったく知らないのだけれど、これまでの「ジェンダー論」は黒だったものを白、白だったものを黒にしようとする流れが強かったのではないか。

これまでは管理職に男性が多いよね、それなら女性の管理職も多くしよう。

これまでは毛がなくて足が細くてスカート履いてる女性がかわいかったよね、それなら毛がボーボーの足が太いパンツスタイルの女性も肯定しよう。

……こういうカウンタースタイル的な "フェミニズム" は、それまでの規範を無視しているようで実はすごく媚びている。 "それまでの規範" があるからこそ、新しい規範ができているだけで、黒を白、白を黒にしてもその線引きの位置は変わっていないのだから根本的な部分に変化がないのだ。

チママンダはその線引き自体をなくそうよ、と言っているように感じた。

それぞれの人がそれぞれの線を引いて、楽なように過ごそうよ。他人がその線引きにとやかく言うことはやめて、それを認め合おうよ。

 

きっと人間としてこの世界に生きる以上、その線引きから完全に自由になることは不可能だろう。これまで生きてきた中で、美醜やそれを含めたあらゆる価値観について、ぼくらは社会から多大なる影響を受けていて、価値観の形成に社会が関与していないとは言い難い。

けれど、社会があるから個人がある、のではなく、個人があるから社会がある、のだとぼくは思いたい。

社会が持つ問題を無視せずに(「女性というくくりでなぜ問題を見るのだ。それは人間社会としての人間の問題だ」と言っても、結局それは「女性だから」起こっている現代社会の問題なのだ)、個人が生きやすく生の自由を存分に謳歌できる社会になれば、それほど素敵なことはないと思う。

 

酔っ払っている、という書き出しにもかかわらず、なんだか小難しいことを書いてしまった。

でも、チママンダの提唱する「フェミニズム」の姿勢は、女性に限らずゲイやトランスジェンダーやデミセクシャルやAセクシャル、つまりはこの世に生きるすべての人間を漏れなく網羅した楽園への道しるべなんじゃないかなあと思っている。

 

はあ。めっちゃ眠い。

でもそろそろ大阪行き新幹線に乗ってきます。

たこ焼きめっちゃ食べてきてやる。

いつか会いましょう ~その2~

前回(いつか会いましょう ~その1~)の続きです。

 

 

 

夏といえど午前1時、外は少し肌寒かった。

知らない街で、真夜中で、お金もない私は途方に暮れて、駅の近くでしゃがみこんでいた。時刻も遅く、お酒を飲んだ後ということもあり、かなり眠かったため、私はしばらくのあいだしゃがんだままうつむいていた。

 

ふと、携帯を見てみると、先ほどまで飲んでいた友人から連絡がきていた。

「いきてる?」

「死んだ~」と返信して、「ぼく電車どこから乗った?」と訊くと、「新宿」と返ってきた。総武線に乗るはずが、間違って反対側の中央線に乗ってここまで来たようだった。

新宿駅に入るときにはSuicaを使って入ったのだから、財布は、電車で眠りこけているうちに盗まれたのだろう。

「どうしよう~」と友人に泣きつきながら、財布をなくしたときどうやって家に帰ればいいかを携帯で調べていたが、携帯も電源残り数%。八方塞がりな状況だった。

 

ここで夜を明かしたとしても、一文無しのためどうしようもない。電車に乗るお金も、ましてやタクシーに乗って帰るお金なんてない。けれど、かなり眠かったし、とりあえずもうこのまま、ここでしゃがんだまま夜を明かそうかなと思い、再びうつむいてうとうととしていた。もう盗られるもんなんもないし、と、半ば開き直っていた。

眠ろうと思っても、眠気はあるのに不思議と眠れず、どうしようかなあ、と思っていると、突然大きな声で話しかけられた。

「おう、どうしたの!」

顔を上げると、陽気そうなおっちゃんが目の前に立っていた。

「俺はね、人のオーラが見えるんだよね。陽なのか陰なのか。すごく落ち込んでるねー」

酔っ払いに絡まれたかと思い、私は少し身を固くした。

「あ、はい……」

「どうしたのこんなとこでしゃがみこんで」

「あ、いや、友達とお酒飲んでたんですけど、千葉に帰るつもりが酔っ払って逆方面に来ちゃって」

どこで飲んでたの、と言いながらおっちゃんは私の隣に腰かける。近くで喋っているのに5メートル離れた人に話すような大きな声は、しかし不思議と威圧的ではなかった。

「新宿です」と言うと、彼は笑った。

「か~!! 馬鹿だね~!! 千葉帰るつもりがムサコまで来ちゃったんだ!!」

オーラが見える、などという彼は、冷静に考えれば怪しい、というかむしろ関わるの危険だろって感じなのだけど、絶望的な状況で陽気に人から話しかけられたことを、私は少し嬉しく思った。

それで、「実は財布もなくしちゃったみたいで……」と打ち明けた。すると、彼はさらに大きな声で笑った。めちゃくちゃ大きな声でガハガハ笑うのだけど、それはただの酔っ払いの下品な笑いというより、心を許した仲間に向ける親密な笑いのように響いたので、私は彼に対して親近感と、それでも少しの警戒心が綯い交ぜになったような気持ちでいた。

「いやでもムサコまで来ちゃうなんて馬鹿だよな~」

とりあえずこれ飲みなよ、と言って彼は私に缶コーヒーを差し出した。差し出された缶コーヒーはすでにプルタブが開いていて、なぜか真ん中あたりがベコンと凹んでいた。

一口すすると、それはすっかり冷めていて、わざとらしい砂糖の甘さが口に広がった。でもそのときは、それが不思議と安心感のある味に思えた。

「なんでここ凹んでるんですか」

缶の凹んでいる部分を指さして尋ねると、

「これさっき酔っ払って何回も道路に放ってたから。缶って以外と硬いのな」

おっちゃんはなんでもないことのように言った。  

「うちに泊めてやってもいいけど、とりあえず警察行こうか。ほら、あそこに警察署あるから」

私がコーヒーを飲み終えると、彼はすぐそこを指さしてそう言った。真夜中で暗かったし、うつむいてばかりいたから気がつかなかったけど、確かに駅の目の前には警察署があった。

やはり、彼は酔っ払いではなくて親切な人の好いおじさんなのだ、と私は思った。

 

警察署には無表情で少しだけ体格のよい女性警官と、優しそうだけれど冴えない色黒の男性警官がいた。

「こんばんはー」

私が男性警官の方に事情を話すと、彼は遺失物届けを奥から持ってきて、ペンと一緒に渡してくれた。

私がそれを書いている横で、おっちゃんは大きな声で喋りはじめた。

「ねーちゃん、こいつおもしれーんだよ! 千葉まで帰ろうとしたのになぜかムサコまで来ちゃって財布ないんだってよ!!!」

なぜか少し嬉しそうに喋る彼の声は、酔っているのかもともとなのか、やはりとんでもなく大きくて、私は彼が警察に捕まるのではないかとハラハラした。女性警官がおっちゃんに、「うるさいんで、少し静かにしてもらえますか」と無愛想に言うと、「別に悪いことしてるわけじゃねーんだからいいだろ!」と返すものだから、私は苦笑しながらも内心は本当にドキドキしていた。

「いや、うるさいんで。5デシベルくらいで話してもらえませんか?」

女性警官は彼のことをただの酔っ払いだと思っているのか、至極冷静だった。彼女の声は、3デシベルくらい。

「ねーちゃんは名前なんていうの?!」

相変わらずおっちゃんは、100デシベルくらいで話すけれど、女性警官ももう諦めたみたいだった。

「え、私ですか? ……私は三浦です」

「三浦ちゃん! 三浦ちゃんはもっとヒューマンを出した方がいいよ!!!」

ヒューマン!!! ヒューマンて!!! 私も笑ったけど、三浦ちゃんも少し笑っていた。

遺失物届けには、財布の中に入っていたカードなども書かなければいけなかったけれど、何が入っていたのかうろ覚えな上、眠気と酔いで面倒になっていたので私はそれを少し適当に書いた。

三浦ちゃんは私の事情を聞くと、「一応、警察でお金貸すこともできますよ」と、やはりぶっきらぼうに言った。

「そうなんですか?」

「家までいくらかかります? 千円くらいなら貸せます」

彼女がそう言うと、

「あー、大丈夫、今日は俺がなんとかするから」

とおっちゃんが言ってくれた。彼は私の面倒を完全に見てくれるようだった。

「もしかしてそれって、ラグビーの××ってブランドのやつですか」

三浦ちゃんは、おっちゃんの服装を見てそう言った。あ、三浦ちゃんヒューマン出し始めてる、と思って私はちょっと笑った。

「あー、よく知ってるね! そうそう、ラグビーの××のやつ。動きやすいからいいんだ」

「でもそれ高いですよね」

「三浦ちゃんラグビーやってたの?!」

「いえ、でも動きやすいんで、いいなと思ってて」

私が遺失物届けを書き終えると、男性警官は、「書き終わりました? そしたらこれ、遺失物届け出番号なので、持っててください」と言って番号の書いた紙を渡してくれた。

「よし、それじゃ行くか! 三浦ちゃんじゃあなー!!」

三浦ちゃんはヒューマンを出しかけたけれど、軽く首を下げるだけで最後まで反応は薄かった。私も「ありがとうございます」とお礼を言って、警察署をあとにした。

 

おっちゃんが歩く後ろをついていきながら、私は彼にもお礼を言った。

「ありがとうございます、本当に助かった」

「いやいや、だって駅前でうずくまってて、これ以上ないほど落ち込んでるように見えたからさー。俺、新潟で暮らしてるんだけど実家がムサコなのよ。で、明日帰るからホントにタイミングよかったよなー」

真夜中と明け方の真ん中みたいな時間に、まったく知らない土地で、まったく知らない人について歩いているという嘘みたいな事実が、可笑しかった。いい人に拾ってもらえたという安心だけがあって、海の底みたいな夏の夜に浮かぶ、駅前のたくさんの明かりのあいだを、泳ぐようにゆらゆらと二人で歩いていた。エネルギーの塊のような彼に影響されたのか、眠気も遠くにいってしまい、目はピンと冴えていた。

どこに向かっているのかな、と思っていたら、彼はするりと日高屋に入っていった。夜中に発光する店は、光る深海魚のようで、私も彼に続いて深海魚に食べられた。

 

時刻は午前三時過ぎだったけれど、店内はそれなりに混みあっていた。

「さっきまで俺も飲んでたんだけどさ、まさかこんなことになるとはなー」

店に入っても、彼の声は相変わらずの大きさだった。店内の人がこちらを見た気がしたけれど、私も段々そんな彼の声に慣れてきてあまり気にならなくなった。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

「これと、これと、餃子と、あとハイボール。なんか飲むか?」

正面に座った彼が私に尋ねる。私は財布を持っていないから、当然ここは彼のおごりということだが、ここは甘えておこうと思い、「私も同じので」と言った。

「実家だから親もいるけど、今日はうちに泊まっていきなよ」

「うん、ありがとうございます」

 

注文を終えて一息つくと、突然、

「お兄さん、屋台かなんかやってたの?」

彼が私の後ろに向かって話しかけたので振り向くと、小太りで赤と黒のアロハシャツを着た、ガラの悪そうなおじさんが私の席の後ろを通るところだった。サングラスをかけて少し白髪がかった坊主頭をしていて、ヤクザというには程遠いけれど「チンピラ」という言葉が似合いそうな雰囲気だった。一瞬おっちゃんの友達なのかと思ったけど、「お兄さん」という呼びかけ方から、彼がただ一方的に話しかけただけなのだとわかった。本当に、誰にでも話しかける人だ、と私は思った。

「え、ああ、自分ですか? はい、テキヤやってたんです」

チンピラは見た目によらず、突然話しかけられたことに少し戸惑ってからそうこたえた。

「ははは! やっぱりそうだったの! どう? 儲かった?」

「まあボチボチですかねえ」

おっちゃんの話しかけ方はあまりに突然だったけれど、それと同時にあまりに自然だった。そうして会話が成り立ってしまう。彼にはそういう、人の気持ちのすぐ隣にすうっと入っていってしまえる何かがあった。

「お祭りかなんかあったんですか?」

私が尋ねると、「え!! 知らねえの?!」とチンピラ、もといテキヤのおじさんが言った。

「あー、こいつ酔っ払って間違ってムサコまで来て、財布失くしたやつだから知らないのよ」

おっちゃんが代わりにこたえて、「昨日と今日、この辺りで祭りがあったのよ」と教えてくれた。そして視線をテキヤのおじさんに戻し、彼はまた話しだした。

「兄ちゃん、地元ここ?」

「そうっすよ」

「なに中?」

「北中です」

「え!! マジで?! 何歳?!」

「42です」

「えぇーーー!! 俺の二個下だ!!俺も北中」

私は取り残されたまま、よくわからないなりに会話を聞いていた。

「え! じゃあ高崎さん知ってます?」

「え、高崎知ってるよ?!」

「いま店の外いますよ」

「え! マジで!!!」

おっちゃんはそう言うと、テキヤのおじさんと一緒に、まだ注文した料理も届いていないのに店の外に出ていってしまうので、私は本当に取り残されてしまった。私は一人置いてけぼりで座っていたけれど、「高崎さん」がおっちゃんの同級生なのだろうと思い、面白そうだから私も店の外に出た。

 

店の外では3人の男たちが立ち話をしていた。一人はおっちゃん、一人はテキヤのおじさん、そしてもう一人は、二人に比べるとやや弱々しそうな、でも常識人風に見えるおじさんだった。そのおじさんと並んで見ていると、テキヤのおじさんは明らかにガラが悪いけれど、おっちゃんはおっちゃんで、顎にヒゲを生やしていて、サーフィンでもやっていそうな少しやんちゃな印象があった。

「マジ!? 高崎と会うと思ってなかったわー!!」

「俺もカズと会うとは思わなかったよ」

3人のおじさんたちは仲良くわーわーと騒いだ後(主に騒いでいるのはおっちゃんだったけれど)、やがて解散して、私とおっちゃん――カズと呼ばれていた――は日高屋に戻った。

 

席を随分と外していたような気がしたけれど、まだ料理はやってきていなかった。

「いやーマジで高崎に会うとは思わなかったなー」

おっちゃんは興奮した様子で呟いていた。

「あいつ中学のときの同級生で、同じサッカー部にいたんだけどさ、昔はあいつの方がモテてたんだけどなんだか老けちゃってたなー」

やがて料理が運ばれてきて、すでにたらふく飲んでたらふく食べた後だったけれど、やってきたポテトサラダや餃子を、私は美味しく食べられた。ハイボールも、味が薄かったけどその安っぽい味がとても良かった。おっちゃんはそれから、私を拾う前は高校の同級生と飲んでいたのだと話してくれた。

「さっきカズって呼ばれてましたけど、お名前伺ってもいいですか」

私はそのときになってようやく、彼に名前を尋ねた。もう随分と仲良くなったような気分だったから、それは不思議な感じがした。

彼はヒロカズというのだと名乗ってくれた。

彼が名乗った後、私も名乗った。

「ヒロカズさんは今いくつなんですか?」

「俺? 44」

そのとき私は22歳だったから、彼は私のちょうど2倍生きているのだった。

「お仕事は何されてるんですか?」

「家具作家」

彼はそう言った。家具作家として生活していて、新潟で妻と、子供3人と暮らしながら、木のテーブルや椅子を作っているのだと。

私も、今は大学院で研究をしていること、その研究の内容や自分の夢について話した。そのときの私は(今もだけれど)、研究が自分の本当にしたいことには思えず、「その研究はどう役に立つの?」と彼に訊かれたとき、あまり上手にこたえられなかった。でも自分の本当にやりたいことは研究じゃないんだ、と格好の悪いことを言っても、彼はうんうんと聞いてくれた。彼は私の話をよく聞いてくれ、彼に話をしていると、深い部分で私のことを理解してもらっているような気になった。

「でも大学の人とは、あんまりこういう話できないから嬉しいです。周りには、大学院に入って忙しくなってからは特に、自分のことで精一杯になっちゃって、周りのことを考える余裕がない人が多いから」

「そうかー、でも今の若い人からそういう話を聞くと少し悲しくなるなぁ」

 

ほかにも仕事に関して話を聞いていると、彼は、「最終的には誰かの役に立つっていうところだから」というようなことを言っていた。そしてこうも言っていた。

「作品をつくるときは、やっぱり孤独だよ」

孤独? 私が尋ねると、

「作品を作っているあいだはずっと孤独だよ。それに作品っていうのはやっぱり、認めてくれる人がいないと何にもならないから」

しばらく話をしていると、まったく私は彼のことを尊敬してしまっていた。オーラの見える怪しい100デシベルおじさんではなくて、成熟した一人の大人だと思った。

彼はとてもオープンマインドで、ひらいている人間だった。「心をひらく」というのは、自分の弱さもずるさも認めた上でさらけだすということで、本当に強い人間しか世界に対して心はひらけない。でも彼は世界に対して心をひらいているから、誰に対してもすぐ、相手がひらいている分だけ近づくことができる。

私たちは夜明け前の、武蔵小金井の、地域の祭りが終わった日の日高屋で、たくさんの話をした。

その内容のほとんどを、今は忘れてしまった。

でも、彼のオープンマインドさを忘れることは決してないと思う。周りの目なんかに負けない、自分がいたいようにいるという強さと自由さ、そして突拍子もないユーモアと他人を思いやり、勇気づける優しさ。彼は44歳になったときの、私の目標になった。

 

日高屋を出たのは午前4時を過ぎた頃だったと思う。

まだ暗いけれど、うっすらと空が朝の気配を滲ませて、それから逃げるようにタクシーに乗って彼の実家にあげてもらった。ヒロカズさんの両親が寝ているから、起こさないように静かに家に入り、布団を敷いて横になった。テレビの画面が消えるようにあっという間に眠りに落ちた。

 

 

朝、まだ八時頃にヒロカズさんに起こされた。お酒をたくさん飲んで、風呂にも入らずに寝た自分の体は酒と汗のにおいがするような気がした。

居間には、ヒロカズさんの両親がいた。昨夜は暗くてわからなかったけれど、居間から見える庭にはたくさんの植物が茂っていて、開け放たれた窓からは心地いい風が吹いてきた。外は気持ちよく晴れていて、昨日の体を引きずった私とは対照的に、新しくて清々しい一日を始めていた。

「こいつね、千葉に帰ろうと思ったら酔っ払ってムサコに来ちゃって、財布なくして困ってたから俺が拾ったの」

彼は昨日から何度か繰り返した説明をもう一度言った。彼の声は、昨夜のようにもう大きくはなかった。

「そうなの、千葉から。大変だったねぇ」

お母さんは、「こんなこと日常なのよ」とでも言うみたいに、見知らぬ男の子が家にいることにまったく驚かなかった。

テーブルの上には、久々の息子の帰省に腕をふるったのか、朝ごはんがところ狭しと並んでいて、私もご馳走になった。

白ごはんとお味噌汁、だし巻き卵、畑で採れたというトマトのサラダ、同じく畑で採れたという茄子の煮物、野菜の肉巻き……

最後には、昨日お父さんが買ってきたのだというプラムまでご馳走になった。

ご飯を食べながら、ヒロカズさんは高校生の娘さんが今度オープンキャンパスに行くことや、「あいつ食品に興味あるとか言い出して」などという話を両親に話していた。お父さんは話を聞いているのかいないのかわからないぐらいずっとニコニコしていて、お母さんは私に「おかわりいる?」と訊いたり次々とおかずを運んできたりしていた。

ご飯を食べ終えると、お母さんが私に、「カンパだから」と言って三千円をくれた。お父さんも二千円をくれて、2人からは合わせて五千円を頂いた。もちろん、後日そのお金は返したのだけれど、「カンパだから返さなくていい」なんて言って、見知らぬ子にお金をあげ、ご飯までとことんご馳走してあげる人がいるなんて、「世の中捨てたもんじゃないな」って思った。本当に。

 

ご飯を食べ終えると、ヒロカズさんは、「じゃあ材木置き場に寄ってから帰るから」と言って、支度を始めた。ヒロカズさんは私を駅の前まで送っていくと言った。

家の前に停めてあったトラックに乗せてもらい、彼の両親にお礼を言って家を出た。

トラックで駅に向かうあいだは、「これから新潟まで帰るんですか? 睡眠時間短いし、気をつけて帰ってくださいね」「いやーなんか不思議な縁でしたね」みたいな、中身のあまりない話を、まだ眠い頭を引きずりながらしていたように思う。

駅に着くと、「スキーにでも遊びにきなよ」と言って、ヒロカズさんは名刺と、彼のやっている工房のパンフレットをくれた。また会おう、と言って握手をして、それから私は車を降りた。信号が青になって、進んでいくトラックに手を振って見送った。

 

朝の武蔵小金井は明るくて活気があり、昨夜私がしゃがみこんでいた場所とはまったく異なる表情をしていた。

JRの改札をくぐり、電車の席に座ると、日常に無理矢理ひっぱり戻されたような気がした。

座席で先ほど渡されたパンフレットを開いてみる。小さくすっきりとしたスツールやテーブルなど、木そのものを活かした家具たちの写真が載っていた。

電車に揺られながら、いつか、と思った。いつか自分でお金を貯めて、彼に家具をつくってもらおう。それまでに、私も彼のような自由さと優しさを、身に着けられるだろうか。

お酒が運んだ遠い場所から離れながら、私はぼんやりそんなことを考えていた。

いつか会いましょう ~その1~

お酒が好きだ。それでついつい飲み過ぎてしまって、下りエスカレーターを最後まで駆け上がったり、電車の中でしゃがもうとしたら身体に力が入らずでんぐり返しをしたり、なんていう醜態を定期的にさらしてしまうのだけど、その日もご多分に漏れず私は相当酔っ払っていた。

 

 

1軒目はたしかスペイン料理の店で、エスカルゴとかよく知らない名前の料理なんかをつまみながらワインを数杯飲んだ。

一緒に飲んでいた友人はイタリアンだかフレンチだかの店で店長をやっていて、ワインの銘柄に詳しかった。「赤と白どっちがいい」と彼が言うので、私は「白」とこたえ、あとの細かいチョイスはほとんど彼に任せた。彼がワインを選ぶあいだ、私は目の前の料理を楽しむことに専念した。

やってきたワインは赤も白も、どちらも文句なしに美味しかった。

 

 

まだ夕方くらいから飲み始めていたから、1軒目を出ても外は明るかった。

季節は夏で、湿度の低いすっきりと晴れた日だったから、私たちは適当に辺りを散歩することにした。

西の空が橙から水色へ、水のように透き通ったグラデーションになっているのが美しかった。

 

早い時間から飲むお酒はいい。ちょっといけないことをしている気分になれるし、なによりも「まだ一日は長いぞ」という、お祭りが始まる前みたいなワクワクした心持ちになれる。

けれど、酔いは待ってくれない。

ふらふらと着色ガラスのように彩度の高い空を眺めながら歩いているうち、私は酔いが血液にのって身体中を回っていくのがわかった。

友人に、「酔った?」と訊かれて、「酔ってない。まだ大丈夫」とこたえた。

実際、意識ははっきりしていたのだけど、「酔った?」と訊かれると、私は謎の負けず嫌い精神を発揮して大抵「酔ってない」とこたえてしまう。

 

それに比べ友人は、集合する前から「お先に」と言ってワインの画像を送ってくるような人だ。「会う前からフラフラにならないでね」と返すと、「まだ4杯しか飲んでない」と返ってくる。「いつも何杯くらい飲むの? 夜が本番だからペース配分よろしく」と伝えると、「ワインなら3本くらいかな。それ以降はだいたい、ヤバくなるから飲まないようにしてる」とのこと。私は、単位「杯」じゃなくて「本」なんだ、と思って笑った。

 

 

散歩しているうちに、公園の近くにあるピッツェリアが目に留まって、彼が「入ろう」と言った。

オープンテラスになっていて、開放的な雰囲気のいい店だった。店にはお客さんが一人も入っていなかったので、「大丈夫かな」と思ったけど、友人は構わず中に入っていった。

簡素な木製のイスに腰かけると、彫りの深く色白な、日本人らしからぬ容姿の店員がやってきて注文を訊かれた。私たちは1軒目ですでに食べていたので、食べ物は軽いおつまみだけにしてまたもワインを頼むことにした。彼は飲みたかった銘柄があったようだったけど、それが店に置いていないと知って渋々違う種類のものを注文していた。

 

座ったテーブルからは、いくつも並んだ空のワイン瓶の奥に、レンガで作られた立派なピザ釜が見えた。

「ピザ食べられるお腹がなくて残念だね」などと言っていると、途中でヨーロッパ系の外国人が1人で店に入ってきてピザを注文したので、なんとなく嬉しくなった。

彼は、店の隅の方の席で、1人でむしゃむしゃとピザを食べていた。その、食べているだけなのだけど、あまりにも「外国人」然とした様子がかわいくて、私はなんだか笑ってしまった。少し酔っていたのかもしれなかった。

 

 

ワインを飲みながら、「なんのために」仕事をしているかだとか、「仕事のどういうところにやりがいを感じているか」などを、友人に対して根掘り葉掘り訊いた。あまりに仕事の話ばかりしているものだから、友人は「なんで俺こんなに仕事のこと話してんだろ」とちょっと困った顔をした。休みの日なのに申し訳なかったかな、と、私は酔った頭でぼんやり考えていた。

 

 

2軒目を出る頃には、さすがにもう外は暗くなっていた。ワインをたらふく飲んで、私は良い気分で酔っていたし、若干眠くもなっていたんじゃないかと思う。

けれど友人は、「よし、もう1軒行こう」と言い出した。断ればいいのに、私はやはり謎の負けず嫌い精神を発揮、「よし行こう! じゃんじゃん飲もう!」と行って2人で新宿へ向かった。

 

 

正直、それからのことはほとんど覚えていない。

地下にあるバルのような店で、「あの子かわいい」「あの子すごくかわいい」と同じ女の店員さんのことを友人にひたすら言い続けていたことは薄ぼんやりと記憶にあるのだけど、その後はいつの間にか、泥に沈むように眠りの方へ意識が落ちていた。

気がつくと私は電車の席に座っていて、駅員さんに「これ回送になるから起きて」と起こされるところだった。反射的に飛び起きて、寝ぼけた頭で改札に向かう。

 

後で聞いた話によると、友人は最後の店で飲んだ後、私のことをホームまで送ってくれ、そこで別れたらしい。

 

私は駅の改札前で途方に暮れていた。

まず、自分が今いる駅がどこだかわからなかった。飛び起きた駅は私が知っている駅ではなかった。眠気と酔いでぼうっとする頭の中で、どうしよう、と考える。

改札の前で立ち尽くしていると、駅員さんが近づいてきてこう言った。

「もう駅閉めちゃうから、出てもらえる?」

それに対して私は、とんちんかんな返答をした。

「ここどこですか」

「え? ここ? 武蔵小金井だよ」

「千葉行きの電車ってもうないですか?」

「もう電車は全部終わっちゃったよ」

携帯で時刻を確認すると、なるほどすでに午前1時を回っていた。

千葉に住んでいるのに、「武蔵小金井」などという訳のわからない駅にいる、というだけで十分に恐ろしいのに、もっと恐ろしいことがあった。

「あの……、すみません、財布がなくて」

 

ポケットの中にいつも入れている財布がなかった。

背負っていたリュックの中を探っても、引っくり返してもどこにも財布は見当たらなかった。

駅員さんに財布の届け出がないか訊いても、「うちにはないね~」とのこと。駅の中をざっと見回し、財布が落ちていないかを確認しても結局見つからなかった。

「うーん、とりあえず駅閉めちゃうから、いいよ。改札通って」

駅員さんはそう言うと、Suicaなしで改札の外に出してくれた。……というか、無一文のまま見知らぬ土地の真夜中に、放り出されてしまった。

 

 

 

お酒って怖いね! 続く。

ありがとう『通天閣』

みかんのゼリー食べたいいい、って思いながらこのブログを書いている。

でも行かない、いま感じたことを書ききるまでは我慢我慢、と思って書きまする。多分みかんゼリーよりは大事なことだという気がする。

 

2015年の2月に『サラバ!』を読んで衝撃を受け、それ以来大好きになった小説家の西加奈子さん。

ぼくが彼女の作品をとても好きな理由は、どの小説も読むだけで今の自分を肯定してもらえたような気分になるから。ううん、もっと正確に言うと、自分で自分のことを肯定できるような気持ちになるからで、陳腐な言い方になってしまうけど読後に「前向きに」なれるからだ。

そんな彼女が単著で出した小説をとうとう全部読み終わってしまった。

 

最後に読み終わったのは『通天閣』という題名の小説。大阪にある通天閣を中心として、猥雑で胡散臭く、そして下品な街「ミナミ」に生きるしょーもない人々の生活の話だ。

コンビニで売られる懐中電灯なんかを工場でひたすら組み立てて生計を立てている44歳の男と、ニューヨークに行くと突然言い出した恋人に対し、責めるような気持ちでスナックに勤め始めた三十路くらいの女の人が主人公。

工場勤務の男の方は、前日に食べた牛丼の空容器や発泡酒の缶に囲まれる部屋で暮らしていて、家族もなく、毎日コンビニの蕎麦とお稲荷さんセットを食べ続けた結果病気してしまい、昨日も今日も明日も、変わり映えもなければ希望もない、まあつまりは「どーしよーもない生活」を過ごしている。

女は女で、働くスナックに勤める従業員はとんでもない人ばかりで、焦ったときに「タラー」と言いながら指で汗を表現する子(!)、酔うと「マ〇コ」を連発する子(!!)、果てには自分の吐いたゲロで会計をごまかしぼったくるオーナー(!!!)、なんていうとんでも環境で生活している。ニューヨークに旅立った恋人から来る電話は5日に一度から1週間に一度、2週間、1ヶ月と延びていく。

物語の詳しいあらすじはここでは省略するけれど、この2人の生活だけでなく、作中に出てくるほかの多くの人々――列が進んだことに気づかない観光客用のタクシーに「前、空いてまっせ。」と知らせることだけに精を注ぐ老人、化け物みたいに化粧が濃く生理のにおいにやたら敏感なオカマ――の生活も、まあどうしようもないものばかりだ。

 

ぼくは今、大学院2年生でちょうど就職活動真っ最中なので、多分人生のかなりの部分を費やすことになるであろう「仕事」に関連して、「なんのために生きるか」とか「自分の命の使い方」とかを考える時間が最近増えてきている(年齢的なものもあるだろうけど)。

そうしたとき、あくまでぼくの考えだけど、やっぱり「世の中をもっとよくする」「より多くの人が生きやすい社会をつくる」「誰かを救う」っていう目的のために働きたいよな、なんていう崇高な目的を掲げてしまって、でも現実の自分の生活とあまりに崇高なその目標との乖離に驚いてしまって落ち込んでしまう。

だって現実の自分の生活は……うぅ、こんなこと格好悪くて本当は言いたくないのだけれど……、毎日なんのためにやってんのかもわかんない研究を、「信念も何も持ってねぇなこいつ」とか上司に対して思いながら、けれど時には怯えながらやっていて、つまりは「どーしよーもない生活」なのだ。

 

でも、きっと誰しも同じような気持ちは持っているんじゃないかなあ、いや持っていてほしいなあと思うんだけれど、「いま私/ぼくがやっていることって、いったい何になるっていうんだろう?」みたいな空しさはあるよね。この仕事クソみてぇだな、とか、時間を浪費している気がする、とか、何してんだよ自分、とか、そういう瞬間。そういう瞬間をごまかすために娯楽に走ったり、美味しかったご飯をツイッターにお洒落風にアップしてみたり、自撮りでたくさん「いいね」をもらったり。

誰かに救ってほしい、認めてほしい、愛してほしい。

 

通天閣』には、こんな一節がある。「マメ」とは、ニューヨークに行ってしまった恋人のことだ。

『夢に向かって頑張っていないと駄目なのか、何かを作っていないと駄目なのか。自転車でバイト先に向かい、阿呆の相手をして、マメのことだけを思って眠る生活をしている私は、駄目なのか。

「きらきらと輝いて」、いないのか。』(文庫 p171)

クリエイティブなことをしている人は、もちろん素晴らしい。ぼくが今こうして文章を書いているのも、西加奈子さんが『通天閣』を書いてくれたからだし、それに勇気づけられ突き動かされたからだ。すべての芸術はそうやって鏡のように自分自身の心と向かい合わせてくれるし、揺るがないメッセージを届けてくれる。何かを創作する人は神様のようで、「よりよい社会」を作ることに強く貢献していて本当に本当に尊敬する。

けれど、そうじゃない人は無価値なんだろうか。ニートで働きもせず、親の金で一日中部屋に引きこもって漫画やゲーム三昧、ご飯は部屋の扉から親がすっと差し出してくれる、そんな人は?

友達も家族もいなくて、顔が気持ち悪くて不潔で周囲の人からは嫌がられ、誰もその人が死んでもしばらく気づかないような生活を送っている人は?

毎日会社に行っていて、友達もそれなりにいて、だけど毎日はのんべんだらりとして代わり映えせず、ときどき自分のやっていることに意味を見いだせなくなってしまうような人は?

それぞれのレベルでそれぞれの人生で、そのことを意識しやすいかしにくいかが違うだけで、きっと心の奥の奥で望んでいることは一緒なんだと思う。

 

物語の途中、男が勤務する工場にやってきた新入りに子供が産まれる。その新入りは嫁からの電話を受けて、

「産まれたっ!!!」

と叫ぶ(文庫 p192)。町中に響き渡るような大声で、嫁からの知らせを受けて、我が子の誕生に喜ぶ。この世界に新しく生まれた命は、無条件に祝福される。

普段はどもってばかりいるその新入りの台詞は、新しくて眩い光がバッ! と瞬いたかのように強烈で、神聖で、圧倒的なものだった。

 

誰かに救ってほしい、認めてほしい、愛してほしい。

でも本当は、「産まれたっ!!!」その瞬間に命は祝福されているんだった。忘れてた。

今日も明日もその先も続く、のんべんだらりのしょーもない毎日でも、やり過ごすみたいに毎日を暮していても、そっか。ぼくたちは生きてるんだった。産まれたんだった。すでに愛されているんだった。そういうことを、『通天閣』は感じさせてくれる物語だった。

 

何かクリエイティブなことをしなくては!!! 世の役に立たねば!!!

半ば強迫観念みたいにそう感じていた最近の自分にとって、「こんなしょーもない人もおんねんで~。別にそんな焦らんでもええねんで~。」って西さんに言ってもらえたようで、とても救われたし嬉しかった。ありがとう西さん、ありがとう『通天閣』。

 

……とは言いつつ、1ヶ月後くらいにまたぼくは焦り出すんだろな。

ま、いいや。ゼリー買いにコンビニ行こ。

はじめてのブログ

生まれてはじめてブログを始めちゃった。

 

Twitterじゃ文字数が少な過ぎるし、わざわざツイートしてタイムラインに載せることでもないよなぁ、みたいなこと、でも書き留めておきたいなぁ、なんてことを書こうと思っている。

 

あんまり人に見られることを意識せず、思ったことを思いついたままに書こうと思う。

文章がうまくなるといいなぁ~