朝が来る

夜明けのまえに、外に出る。

青々とした藍色の空に、まだいくつかの星が出ていた。

誰もが眠りについていて、町はとても静か。ピロロロ、と鳴く鳥の声と、やわらかなスニーカーの立てるひそやかな足音がするだけ。世界に僕だけしかいないような気持ちになる。あまりに静かだから、手に持って出てきたiPodもイヤフォンを耳にすることなく、ぶらぶらと垂らしたまま歩いている。

電車の線路沿いの道にくると、家の屋根の向こうの空がうっすらと赤くなっているのが見えた。朝焼けが迫ってきている。

 

空の色が昔からとても好きで、高校生のころ毎日のようにガラケーで空の写真を撮っていた。季節や時間帯によって変わるその色や模様が単純に美しくもあり、「今日しかこの空模様は見られない」と思うと、画像として残しておきたかった。

友だちに、「空の写真撮る人って病んでるらしいよ」と言われてびっくりした。

「え、僕ほぼ毎日空の写真撮ってるんだけど」と言うと、

「めっちゃ病んでるじゃん」と笑われた。たしかに空の写真撮るのって、病んでるっぽいな、と思って僕も笑った。実際はめちゃくちゃ元気だった。

季節の変わり目や朝焼け、夕暮れから夜にかけての空が特に好きだった。景色の淵が赤く色づいていて、そこから紫や藍色の空が広がっていく。春はピンクとか水色とか、ぼんやりとしたパステルカラーが多いのに、夏になるにつれて透き通ったような青や赤など、はっきりとした色合いになるのもおもしろい。

千葉に来てから、空の写真を撮ることはしなくなった。

「千葉の空は狭いなあ」とよく思う。仙台の空はもっと広かった。空の広い土地が好きだ。こっちに来てから、歩道橋や線路沿いの道が好きになったのは、空が広く見えるからかもしれない。

空の広い場所で綺麗な空を見る度に、「自然の美しさに人間は勝てないなあ」と、おじいちゃんみたいなことを考える。

でも本当にそう思う。

早朝の空は特に、なんだかとても大きな力に包まれているような、自分の魂がとても自由だというような気分になる。どんな未来にもできる、「今日」という日を何色にでも塗れる、清々しい自由さだ。

 

夜明け前の静けさに満ちた町を散歩していたら、刻一刻と空は変化して、いつの間にかきれいに晴れた眩しい朝が来ていた。車の通りも少し多くなって、人々が活動を始める。

朝の光の、暴力的なまでに希望に満ち溢れた眩しさ。強制的にリセットさせられる光。

朝に日光を浴びると、幸福感が増したりやる気が出たりするらしいけど、本当にそうだ。お天道様の力はすごい。喜びのスイッチが無理やりにでも押されてしまう感じ。

夜があって朝がある。哀しみがあって喜びがある。

当たり前だけど、うまくできてるよなあ、と感動する。人間も自然の一端なのだと実感する。

座席のあるコンビニに行って、お味噌汁を食べながらガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読み始める。読み進めるうちに、うとうとしてしまったからコンビニを出て、YUKIの『朝が来る』を聴きながら家路につく。

帰る途中に見た、綺麗な朝の光は写真に写さなかった。

あまい

おいしいご飯つくったら後片づけしたくないよう、朝はすきなだけ寝ていたいよう、学校はすきなときにだけ行きたいよう、心細くてさみしいときは傍にいてほしいよう。

 

「今この瞬間を生きる」とかあんまり意味わかんないしむずかしいからなるべくずっと一緒にいよう、過去のことはすぐ忘れちゃうからめんどうな顔しないで何回も同じこと話して、運動なんてたいへんだから痩せても太っても悲しい顔しないで、本は読みたいときに読ませてピアノ弾きたいときに弾かせておいしいご飯つくって。

 

あーひとりなんてぜんぜん無理だから依存しちゃいたいなあ。

 

このゲーム朝から晩までやってるからさすがに飽きちゃうな、「毎日カレーでもいい」って思ったけど実際に三食カレーなんて余裕で飽きちゃうな、この曲むかしはすきだったのに聴きすぎて飽きちゃったな、すきだけど同棲はしたくないなだってずっと一緒にいたら飽きちゃうでしょ。

 

あー毎日毎日おんなじことばっかで飽きちゃうなあ。

 

「まぶしい」と「ねむい」はとてもよく似ていますねえ、「まぶしい」は「あかるい」と同じはずなのに不思議ですねえ、そういえば「あまい」と「ねむい」もとてもよく似ている。

とてつもなく長くて、とてつもなく深くて、とてつもなく暗いことが永遠なのでしょうか?

ええ、ええ、よくわかっています。

とてつもなく短く、とてつもなく煌めいていて、とてつもなく鮮やかな永遠もあるのだということを。

あーでもそれは疲れるからまた今度にしましょう、とても疲れるから。

とりあえずなにもしないことから始めましょうか。

 

あーぼくがぼくに飽きちゃうのがいちばんおそろしいなあ。

でもあまいのはやめられないなあ、とけそう。

夏の明け方、純粋な欲望

夢も見ないで目覚める夏の明け方、ゆっくりと白んでゆく外の景色を眺めながら、季節が動くのを肌で感じている。

早朝は季節をもっとも感じやすい時間のひとつだ。

私は秋が好きで、秋は突然にやってくるから好き。春と夏の境目や、秋と冬の境目はグラデーションなのに、秋ははっきりと「きょうから秋!」と肌でわかる。匂いでわかる。それは恋みたいで、だから私は夏、まだ夜が明けきらないころに起きるとそわそわしてしまう。

 

きっとまだ来ない、でもいつか絶対に来るなにかを待っている。

 

人なんて簡単に死んでしまうんだって、いつも忘れないで生きている人に憧れる。エアコンをつけないで、扇風機にあたりながら服の内側にじっとりと汗をかいている。冷たい烏龍茶を飲みながら明けてゆく空を見て、「きょうも暑くなりそうだなあ」とぼんやり思っていると、家の前の道路を猫が駆けていった。おじさんがサンダルを引きずりながら歩く音が、向こうの方から聞こえてくる。

 

 

 

幼稚園のとき、竹とんぼをつくろうという企画があった。

記憶はおぼろげで、あまりよくは覚えていないのだけれど、すでにできあがっている竹とんぼに好きに色を塗ってみんなで飛ばして遊ぼう、というような内容だったと思う。

同じ組のみんながそれぞれ自分の竹とんぼをつくり終え、外に飛ばしに行っているあいだ、どういうわけか私はまだ部屋の中にいた。理由は覚えていないが、作業が遅くてまだ自分の竹とんぼをつくっていたとか、作り終えていたけどなんとなく外に出そびれたとか、そんなことだろう。部屋の中には私以外に誰もおらず、しんとしていた。

そして同じく、どういうわけかわからないが、そのとき部屋の中にぽつんと、無造作にひとつの竹とんぼが置いてあった。それは私の竹とんぼではなかった。

私は自分でどんな色の竹とんぼをつくったのかを覚えていないけれど、その竹とんぼの色はよく覚えている。

それは羽の両側が綺麗に緑色に塗られていて、軸の部分は赤や黄色、青や紫を使ったカラフルなものだった。

私はその竹とんぼをじっと見た。

自分の分の竹とんぼもあるのに、そしてそれは自分の好きに色を塗れるのに、その竹とんぼはどうしようもなく綺麗に見えた。自分の竹とんぼよりもずっと素敵に、ずっと魅力的に。

私はその落ちていた竹とんぼを拾った。そしてこっそりと、自分の袋にしまいこんだ。

外に出て、自分の分の竹とんぼをみんなと一緒になって飛ばして、それから同じ組のみんなで部屋に戻ると、自分の竹とんぼが見つからないと先生に訴えている子の声が聞こえた。私は聞こえないふりをして、おそらくその子のものだろう竹とんぼをうちに持って帰った。

 

その竹とんぼをその後どうしたかは覚えていない。

家に持ち帰ったあと、その竹とんぼをたくさん飛ばして遊んだ記憶もなければ、じっくりと鑑賞して大切に保管していた記憶もないし、たぶんそれほど大事にはしなかったのだろう。

私にとってはあれが、はじめて人のものを盗んでしまった経験だったように思う。

別にそのできごと以来、よく人のものを盗むようになったわけではなく、またそのような記憶もないのだけれど、昔のことをほとんど覚えていない自分が、なぜだかいつまでもあの竹とんぼのことは忘れられない。こどもはときどき、とても残酷なことをするけれど、その純粋で恐ろしい欲望が私の中にも宿っているのだなあ、ということが、このできごとを思い出す度に感じられる。

 

 

 

冷蔵庫からこのあいだつくったラタトゥイユを取り出して、ベッドの上で食べる。

とても冷たくて、はちみつを入れてあるので少し甘い。

はちみつを入れてみたのは、調べたレシピにそう書いてあったからではない。なんとなく、はちみつを入れたら美味しそうだと思って、入れた。そうして実際、それは美味しかった。

 

「大人になる」ということが、そういうことであればいいのにと思う。

 

こんなことを言ったら「大人」に怒られそうだけれど、竹とんぼを盗まなかったら知らなかったことだって、私にはあったのだ。

私の中の、きわめて動物的な感情をなぞった上で、誠実に判断する。あらゆる規準が、自分の内部をまっすぐに見つめた上でできあがっていくのでなかったら、どんな人が大人なのか私にはわからない。

私は少しずつ大人になっているから、もう人のものを勝手に盗んだりはしないけれど、秋の訪れにはいつまで経ってもどきどきしている。

まだ誰のもとにも訪れていない今年の秋を心待ちにしながらラタトゥイユを食べ終えると、私はもう外が完全な朝になっていることに気づいた。

夕立が通り過ぎて

夕立が通り過ぎて。

うっかり熱中症になってしまいそうな小学生に体当たり、一目散に逃げて嘘みたいなコンビニでひと休みすれば、定点観察したように星空が人類を通り過ぎていくのが見えたかもね。

たくさん買ったスイカは冷蔵庫に入りきらなくて、ぬるくなったから終わりかけの恋愛みたいな味がした。誰かと関わるのは楽しいですか。

三日月を待つたくさんの幽霊。それをぼんやり眺める私。

体育の授業が嫌いだから、昔家族と見たシュールな映画くらいにずる休みしたあの子の悪口を言っている。

鳴らない雷の音は、いつまで経っても聞き飽きない。

車のヘッドライトを浴びながら、落っこちた坂道の果てからぶん投げた自転車のかごを被れば、警察官から職務質問されて彼らの望んでいるだろうことを供述。無事逮捕。

トーテムポールの落書きは裏側から見れば君たちの孤独にそっくりだったね、なんて退屈な自由。ナイフを翳せばなんでも思い通りになるなんて、そんな幼稚なことは考えたこともなかったけど、いつかはきっと幸せになれるんだって口にはしなくても思っていたでしょ? 生温かいままの夢を、レンジで温めることもなくズタズタに切り刻んで、それでも残ったものだけ本当にしたかったけど、SFみたいに恐ろしい自動機械に囲まれて、物語はバッドエンドな予感。まあ、あなたにはどうでもいいことだろうけど。

いつかチュニジアに行くんだって、君は言っていたけどそもそもチュニジアの位置を君は知らない。多分おそらくマシュマロ以上にやわらかな太ももの5㎝下から見える空に飛んでいる7羽のうさぎは絶対にチュニジアに辿り着かないだろう。卵よりも重い物体が空に浮かべる意味がわからない。今にも壊れそうな雲の隙間から垂れ落ちるのは練乳とイチゴソース。べとべとになった君のわがままが、私のエゴと同じくらいには汚かったからオーディオから大音量で安っぽいJポップを流す。+と-を足したらゼロになるって思ってたでしょ。過去をなかったことにするなんて絶対にできないって知らないから、高校生は簡単に青春なんてやれちゃうんだね。美化することでしかセンチメンタルになれないなら、いっそのこと老人ホームに入ればいいのかもしれない。

オレオレ詐欺がなんだかわからないくらいにはディズニーランドに行っている知り合いが、私のことを友人だと思っているのかは知らないけどフェイスブックに一緒に写った写真を載せていたのを見て、たくさんの彗星が隕石として地球に降り注ぐのはあと何年後だろうと妄想している。

「外に出るのが怖いなんて、不健康だよ」と言えるような人に憧れている君が好き、とつぶやいている人を見て、私には存在しなかった人生をこの人は持てているのだな、と当たり前のことを感じながら、そのことをどうしても美しいとは思えない自分は、歪むことも歪まないこともできなかった出来損ないみたいだなと曖昧に感じた。そう感じて、まだ曖昧にでも感じることができる自分の曖昧な人間らしさに曖昧に安心して、隕石の降り注いだ地球にはシェルターができて、その中に閉じこもって暮らすこととこうしてインターネット越しの世界しか知らない今は果たしてどれくらいの差があるんだろう。

 

もしもし、寂しいですか。

 

うっかり熱中症になってしまいそうな小学生に体当たり、一目散に逃げることが本当にできたのなら、警察には捕まるかもしれないけど私は生きているって実感できるかもしれない。それは私の哲学がなんの役にも立たないことの証明になるのと同時的にあなたの常識がなんの意味も為さないことと同質であるのに、それでも生き延び続ける社会のシステムは人間が初めから奴隷だったことを示しているんだって、お母さんは教えてくれなかったことばかりの毎日を過ごすのは私だけなのかな。言葉は口にした瞬間からフィクションなのに、口にする前のその塊がノンフィクションだなんて誰が言えたろうね。夜の帳が下りて、なんにも見えなくなったあとの方が人と関わることが本質的になるような気がしてしまう、それは君の孤独が誰にも届かないのと比例するんだろう。

 

もしもし、よく聞こえません。

 

狂っているのは、私か、あなたか。

徒競走で1位になった子を恨めしそうに見ることを始めた瞬間から資本主義の犬になったのと同じだねって、無料のユーチューブしか見ないあなたにだけは言われたくなかった。同じ言葉が同じ概念として理解されることなんて、人が人を「わかる」ということがどういうことかわからない。

私はあなたの方こそ狂っていると思っていて、そう考える自分の正しさが揺らいだときこそ優しさが芽生えるものだから、全部狂っていると思うことはとても楽だ。影響を受けやすいとは、何か。私は影響を受けやすいから、私の正しさはいつでも揺らいでいる。影響を受けやすいのに、私は優しくなれない。

 

もしもし、聞こえますか。

 

もしもし、聞こえません。

 

もしもし、もしもし。もしもし、もしもし。もしもしもしもし。もしもし、もしもし、もしもしもしもし。もしもしもしもしもしもしもしもし。もしもし、聞こえません、もしもしもしもし。もしもし、寂しいですか。もしもし、もしもし。もし、もし、聞こえますか。聞こえていないのなら、悲しいです。もしもし、聞こえません。

 

 

パソコンの前から立ち上がる。窓を開ける。

夕立が通り過ぎたあとの、世界。

虚構のベールを脱げ

先月、大森靖子のライブに行った。

大森靖子 2017 LIVE TOUR “kitixxxgaia”』の東京公演。場所はお台場のZEPP Diver City。

彼女の3rdアルバム ”kitixxxgaia” を引っさげたアルバムツアーの最終公演だった。

 

会場に入ると、まずステージに目を奪われた。

床も壁も全体が黒い空間の中で、ピンク色の十字架がステージの上に立っていた。

そしてその十字架を守るように、背後には、青と紫と赤をそれぞれ基調とした、3つの大きな絵がスクリーンのように垂れ下がっていた。祭壇のようだった。

ピンク色の十字架の手前にはドラが置いてあって、それもまた儀式に使う道具のように見えた。

会場に入ってすぐは、お客さんもまばらだったけれど、開演時間が近づくにつれてどんどん人が集まってきた。ライブハウスだからスタンディングで、ステージは思いの外近かった。

なにかに祈るみたいにして、彼女がステージに登場するのを待った。

じっと息を詰めていると、バンドメンバーがステージにやってきて、大森靖子もやがてステージに登場した。彼女は真っ白いドレスのような服と、同じく真っ白なベールを頭にまとってステージに登場した。

 

「感情のステージに上がってこい」

 

彼女はステージ中央のマイクめがけてそう言うと、手に持った桴を大きく振り上げドラを叩いた。

倍音の多い荘厳な音が鳴り響くと、バンドメンバーがコーラスで宗教音楽のような和音を歌い始める。真っ黒なライブハウスの中、そこだけライトで眩しく輝くステージは神々しく、たくさんのファンに見つめられる大森靖子は神のようだった。

神はステージ上からある一点を、じっと見据えていた。彼女の一挙手一投足が、指の動きの一本一本までもが、見逃してはならない瞬間を描いていた。

ぼくは彼女が歌い始める前の、その前奏から既に泣いていた。なんで泣いているのかはよくわからなかった。その日のぼくは特に嫌なことがあったわけでもないし、なにか思い詰めていたことがあったわけでもなかった。

だから、「きっと一曲目だから感動して泣いているのだろう」と思った。

人前で泣くことなんてそうそうないし、ライブに集中しよう、と思って、少ししてから泣き止んだ。

 

でも結局、ぼくはライブ中に2回や3回どころではなく、何度も涙を流した。

一曲目のように「あ、泣きそう」と思って、「感動している」感じで泣くこともあったし、全然泣くつもりなんてないのに、さらさらと汗が流れるような感じでいつの間にか泣いていることもあった。そういうときは、泣くつもりなんてないから、手で何回顔をぬぐってもさらさらと涙は流れ続けた。悲しいわけではまったくなかった。

強いて言うならば、「赦されている」ような感覚だった。

 

 

 

 

 

幼いころから、自分の感情を抑えて、周りの気分を害さないように生きてきた。

周囲から浮かないように、必死だった。周囲から浮かないためのルールには、明文化されたものもあれば、不文明なものもあった。孤立しないためには、所謂「空気を読む」ことをしなければならなかった。

 

まだぼくが幼稚園や小学校に通っていたころ、隣のマンションに住む同級生たちからよく野球に誘われた。

ぼくの家は一軒家で、隣には野球ができるくらいには大きな公園があった。遊具は少なく、同級生はその公園で野球やサッカーをして遊んでいた。

ぼくは家でゲームをしているのが好きな子どもで、運動は苦手だし好きではなかった。しかも誘ってくる幼馴染のグループは皆、少年野球団に入っていて野球が上手く、ぼくは到底そのレベルには届かなかった。

いつも家のインターフォンが鳴るとびくりとした。母親が玄関に出て、幼馴染がぼくを呼ぶ声を聞くのがとても嫌だった。母親に頼んで具合が悪いことにしてもらったり、家にいないことにしてもらったりしたかったけれど、「自分で行きたくないって言いなさい」と最後には諭され、渋々玄関に向かった。

幼馴染の何人かが外に立っていて、「野球しようぜ」と誘ってくる。初めは「あんまり気分じゃなくて……」などと言って断ろうとするも、毎回相手の勢いに押されて断りきれなかった。「野球好きじゃない」の一言が、どうしても言えなかった。仲間外れにされるのが怖かった。

公園でする野球は、「ミスをしないか」という不安を感じながらするから、いつも緊張していた。気の強い幼馴染に叱られ、ときに褒められ、野球が終わって家に帰るとき、いつも安心した。「なんとかやりおおせた」という達成感からか、「楽しかったかも……?」などと思って、自分の行動を無理に合理化しようとしていた。

 

学校では、大人が基本的に正しいと思っていた。

ぼくは先生が言うことをお利口さんに聞き、クラスでは優等生だった。大人は自分のことを認めてくれて、粗野で野生的なクラスメイトとは違う安全な生き物だと思っていた。

だから、みんなが先生の悪口を言うのを聞いて、複雑な気持ちになった。でも周囲から浮かないために、その悪口に乗っかることもあった。いざ悪口に乗っかってみると、前から自分はその先生のその部分は嫌っていたのではないか、という気がした。

自分の本当の気持ちなんて、どこにもなかった。

あるのは周囲への順応だけで、嘘をつくことはとても簡単なことのように思えた。

中学校に入り、好きな女の子の話をするときも、だから嘘をつくことは簡単だった。自分は男が好きなのだとぼくが気づいたのは中学1年生のときだったけれど、中学生のあいだは性に関することにまだ関心を抱いていない純粋な男の子を演じることで乗り切った。本当は好きな男の子がいたし、普通に性にだって興味を持っていた。中学3年生に上がるころには、「性にうとい純粋なぼく」は確実に周囲から浮いていたけれど、男が好きなのだと言うよりは随分ましだった。

 

学校の外では、法律や良心が絶対的に正しいと思っていた。

横断歩道で信号無視をする人は正しくないし、気軽に「あいつ死ねばいいよね」などと言う人は軽蔑していた。

高校生のとき、姉と外出する機会があって、一緒に歩いていると姉が当然のように信号無視をしたので驚いた。

「なんで渡るの」

と訊くと、

「え、だって車来てないじゃん」

と答えられた。

確かに車は来ていなかった。短い横断歩道だったし、危険はなかった。でも、車来てなくたって信号無視は駄目じゃん、と心の中で思った。

ぼくは、誰かになにかとても嫌なことをされても、「死ねばいいのに」とか、「いなくなればいいのに」とか、そういうことは思わないようにしていた。代わりに、「きっとその人にもいい部分があるはず」と思うようにしていた。「嫌いな人いる?」と尋ねられれば、「嫌いな人はいないよー、いるとしても苦手な人かなー」と答えていた。そんな自分が好きで、酔っていたのかもしれなかった。

 

大人になって。

色々なことを経験して、それまで考えていたことが本当に正しいことなのか、疑わしくなってきた。

信号無視がよくないのはなぜ? 見晴らしがよくて左右が1 kmほど見渡せる横断歩道で、左右どっちからも車が来ていなくても、信号が赤なら絶対に渡ってはいけないの? かつて姉を軽蔑した自分が言う。

とても執拗な嫌がらせを受けて、その人をどうしても許しきれない人が、「あんな人なんていなくなればいいのに。死ねばいいのに」と友達に言ったとき、友人が「死ねばいいなんて言っちゃだめだよ」と言ったらその人はどう感じると思う? かつて「死ねばいい」なんて、どんな状況でも言ってはいけないと思っていた自分が言う。

それまでぼくが「ぼくの考え」だと思っていたことは、本当にぼくが考え、感じていたことなのだろうか。幼馴染のグループ、学校の友人、大人たち、法律、社会、国家、世間。いろいろなものの顔色を伺って生きてきた。相手が期待することを感じようとし、いつの間にかそれが「自分の感じていたもの」だと思っているのではないか。

 

幼い頃、友人の野球の誘いを断れなかったぼくは現在、大学の研究室でも教授の顔色を伺って、ご機嫌を取ろうとしてしまう。笑いたくないときにも、愛想笑いをしてしまう。

 

 

 

 

 

大森靖子のライブで、何度も泣いてしまった理由が、ライブに行った直後はよくわからなかった。

ただ、「感動したんだな自分」くらいにしか考えていなかった。

でもそれだけの理由ではなかったような気がして、こじつけでいいから色々と理由を考えてみた。けれどどれも釈然としなくて、ライブに行ってからしばらく、大学に行き、本を読み、友人と会い、ということを繰り返しながらどこかでずっと考えていた。

あの日の気持ちはなんだったのだろう。なんでぼくは泣き続けたのだろう。

そうして生活を続けているうちに、ふと気づいた。

あのライブでは、総ての感情が赦されていたからだ、と。

大森靖子の曲の歌詞は、日常の中で生じたやるせなさだったり、だめだめなときの気持ちだったり、自分の中の劣等感だったり、そういう感情を歌ったものが多いように感じる。それは日常の中で簡単に誰かには見せられないもので、見せるとしてもごく一部の親しい友人もしくは恋人くらいだろう。

でもそれだって、親しい友人に話すほどのことではないかも、恋人に言ったら嫌われちゃうかも、という気がして言えないことの方がきっと多い。気持ちが正しく伝わるかだってわからない。

Twitterに書こうかな、と思っても、「メンヘラ」とか「病んでる」とか思われそうで書けないことの方が多いかもしれない。愚痴アカウントを作ったとして、誰からも見られていないのは虚しい。

誰かに聞いてほしい、わかってほしい、話したい、でも自分のこんな気持ちは誰にも話せない。

誰にだって、元気がないときや寂しいとき、甘ったれたいときはあるはずなのに、それを吐き出した瞬間に「不適切だ」と言われてしまう社会。どす黒い気持ちを受け止めてくれる受け皿が、いまの社会には少ない。だからぼくたちは、その気持ちをなかったことにして、見なかったふりをして感情に蓋をする。感情までもが自分自身のものではなくなり、周囲から求められる偽物の感情をつくる。偽物の感情を合理化するために、偽物の思考が生まれ、偽物の行動をとる。どんどん自分が「自分」から乖離していき、虚構の自分ができあがっていく。

でも、大森靖子のライブでは違っていた。

あのライブのあいだ、確かにぼくは赦されていた。

どのような感情を抱くことも、どのようなことを考えるかも、どのように振る舞うかも。

現代の社会で生活を行う中で抑圧されがちな感情や、振る舞いや、思考を、大森靖子は音楽という芸術に昇華してぼくらに届けてくれる。「こんなことしてもいいんだよ」「こんなこと思ってもいいんだよ」と、包むような優しさで歌ってくれる。

 

ライブの最後、彼女はマイクを通さず、生声でこう言った。

 

「あなたがあなたのことを醜いと思っても、今日私が見たあなたは、嫉妬もできないくらい圧倒的に最高でした! それを覚えていてください!!」

 

 

あのライブのあいだ、ぼくは完全には感情のステージに上がりきれていなかったかもしれない。

周りの人とぶつからないかな、手を挙げたら後ろの人がステージを見えなくなってしまうのではないかな、足下に落ちているペットボトルの水が邪魔だな、拾った方がいいかな、いや拾っても邪魔になるよな、でも誰かが踏んで転んだら嫌だな。

周りを気にして、そんなどうでもいいことをライブ中に考えてしまったりもした。

それでもぼくは涙を流したし、あのライブのあいだはとても生きている感じがしたんだ。

今度、大森靖子のライブに行くときは、もっと自分を曝け出したい、もっと感情のステージに上がりたい。虚構のベールを取り去った自分で臨みたい。

ライブに来ていたファンの方々は皆素敵で、とても曝け出していた。アンコールで靖子ちゃんは「きょうあった嫌なこと選手権」というのを開催した。「きょうあった嫌なことを言って、一番最悪なことがあった人が絶対彼女という曲のソロパートを歌える」という選手権だったんだけれど、当てられたファンの方々は本当に赤裸々なことを語っていて、とても素敵だった。それをみんなが温かく見守っている雰囲気も、とても素敵だった。

ライブハウスの中に、新しい地球が一個、できたみたいだったなあ。

いつでもそっちの地球に住めるように、ぼくもなりたい。

そう、ライブのあいだも勿論だけれど、本当はいつだって虚構のベールを脱いで、感情のステージに上がっていたい。靖子ちゃんが、そっちのぼくの方が最高だよと言ってくれたから。

 

周りに期待されて作り上げられた偽物のあなたより、あなた自身の感情や、思考や、行動で作り上げられた、本物のあなたの方が美しいです。

あなたは絶対に美しいです。

本当に美しい人を、汚いと言わないでください。

ぼくはぼくに誓いたいです。美しいぼくを汚さないでください。

ぼくはきょうも、感情のステージに上がりたくて生きています。

あまい秘密

白色のタイルをひとつひとつ、オレンジ色に塗っていく。

なるべく色むらがないように、ていねいに四隅まで塗りつぶす。

昼過ぎからずっと作業をしていたので、もう全体の5分の4くらいは塗り終わった。窓から西日が射して、タイルに反射する様子をうっとりと眺める。太陽の光もオレンジ色だから、まだオレンジに塗っていないタイルにも色が染まって、とても綺麗だ。

途中、台所でお湯が沸いたので、火を止めに移動した。

やかんの蓋を開けると、もうっと湯気が立ちあがる。しばらくぶくぶくと泡がたっていたが、やがて勢いをなくして静かになる。台所が湯気でいっぱいになって、うっすら汗をかく。換気扇を回したまま窓を開けると、外から涼しい風が入ってきて部屋の温度を下げた気がした。

壁のタイルは、まだ上の方が中途半端に白色だけど、それはそれで綺麗だったので、今日の作業は終了ということにして椅子に座った。ずっと立ちっぱなしだったので思わずため息が出る。幸福なため息。

テーブルの上に置いたままにしてあった、知り合いから借りた本がふと目に留まって手にとる。本の表紙は白地に黄緑で、なんとなく本を持ったまま手を伸ばしてみる。背景にオレンジのタイル、手前には白地に黄緑の本。思わず、「あ」と声が出る。その光景は絵画みたいに美しくて、少しびっくりするほどだった。

午後6時。もうすぐ一日が終わる。

夕飯の準備をしなくてはと思い、私は本を再びテーブルに置いて買い物に行く準備を始めた。

 

 

 

大人だけが持っている特権のひとつに、「あまい秘密を持てること」があると思う。

誰に知らせることもない、自分だけが知っているできごとや、光景や、感情。口にしたらその純度が失われるような気がして、誰にも言えないこと。

たまたま見上げた空の色が、生まれて初めて見るような透き通るピンク色だったことだったり、好きな人に教えてもらった花の名前だったり、とても寂しい夜に見た電車の光と夏のにおいだったり。

それは誰にも言えないし、言ったところで絶対に伝わらない。

誰もその秘密には触れられないし、壊せない。自分のなかで純度を保ったまま、淡い色で光り続ける。

大人になるほど、そういうあまい秘密は増えていくから、ときどきそっと思い出して優しい気持ちになる。好きな人には、心を切って開いて目の前で、「ほら」って言って見せてあげたい気もするし、見せてほしい気もするけど、それができなくても構わない。

過去は執着した瞬間に腐り始めるけど、そうじゃなければきっと綺麗だから。

たくさんのあまい秘密を知って、生きて死にたい。

「世間が許さない」って言うな

デニムの半ズボンにTシャツという中学生のような格好では、服屋に入るのが躊躇われる。お洒落なブランドの店ならなおさら。

それでも、一緒にいる友人が「入りたい」と言えば、さすがに断ることはできない。

店の中にいるのは皆、服を買いに(もしくは見に)やってきた人々で、そんなときぼくは恥ずかしくなってしまう。

誰も自分のことなど見ていないと頭では思っているけど、売り場にある服を手に取ることすら恥ずかしい。

「あの格好であの服見てるの? 入るお店間違ってない?」

頭の中で、誰かの声が再生される。その声を遠ざけるのは、なかなか難しい。

 

 

 

今年の4月に、大阪市で30代と40代の男性カップルが養育里親に認定されていたことが報道された。

2人は2月から、市から委託された10代の子ども1人を預かっているという。

里親制度は、親の虐待や離婚などの事情でその家庭では暮らせない子どもを、一定期間希望した人の家で預かるという制度だ。

家庭が崩壊することを防止するということ、子どもがいずれその家庭に戻ることを目標として、もとの親の同意の下に別の家庭で子どもを一時的に預かり、養育する制度だから、根本的に養子縁組の制度とは違う。

児童養護施設で行われていることが、一般家庭で行われるようなものだ。

そのため、里親には国から養育費が支給される。

子どもが18歳になるまでのあいだに、もとの家庭の問題が改善されれば子どもはその家庭に戻る。もしくは、子どもが18歳を超えた場合は自立することとなる。

つまり、子どもは里親とずっと暮らすというわけではない。

もし子どもが18歳を超えても暮らしたいという希望がある場合は、そこから養子縁組を結ぶということも可能ではある。

里親になるために特別な資格は必要なく、希望する人が面接や実習を経て登録される。

里親はカップルである必要はなく、シングルであっても登録することは可能であるらしい(地域によっては、独身者の場合資格が必要であったり、年齢制限があったりもするそうだが)。

しかしだからといって、「誰でも簡単に、気軽に里親になれる」というわけではない。厳しい研修で里親になることで引き受けなければならない困難さや大変さを知り、辞退する人も少なくはないという。またプロによる審査も受けなければならない。登録された後も、実際に子どもが委託される人はごく一部ということだ。

さらに、子どもの側から、「この里親は嫌だ。児童養護施設に戻りたい」という要求があればその要求は通る。

 

 

この、男性カップルが里親に認定されたというニュースに関して、ネットでの反応は肯定的なものもあれば、否定的なものもあった。

否定的な意見としては、主に次のような発言があった。

 

『子どもがかわいそう。子どもの気持ちを一番に考えるべき』

『同性愛者の権利が主眼になっているようでは本末転倒。子どもを大人のエゴの犠牲にしてはいけない。子どもに健全な環境を与えることが最優先』

『親が二人とも男とか、子どもは絶対に学校でいじめられる』

 

このような否定的な意見に対して、ぼく個人はあまり賛同できない。

全体的に『子どものことをもっと考えろ』ということが言われているような気がするけれど、そもそも『子どものことを考える』とはどういうことだろう。

――子どもが「里親が男性カップル」ということを嫌がっている?

子どもの意思は里親制度を運営する上で確実に尊重されているはずだし、子どもが嫌がっているのなら彼らの下にその子は来なかっただろう。

――子どもの人格形成に、母親の存在が必要?

そう言う人は、子どもを産んですぐに妻が他界してしまった男性にも、同じことを言うのだろうか。女性の存在が人格形成に必要だから、そのままだとあなたの子どもは健やかに育ちませんよ、と? 根拠がないし、女性の存在よりも愛情の存在の方が遙かに重要なことのように思える。

――子どもは大人のおもちゃではないのだから、同性愛者が里親になるのは単に彼らのエゴ?

これに関しては、里親となった男性本人がコメントしている。

里親制度というのは、『子どもを育む役割を引き受ける』ものです。『子どもがほしい』大人のための制度ではなく、子どものために『育つ家庭』を用意する、子ども中心の制度です。多くの大人が、家庭を必要とする子どものために、『育てる役割』の担い手になることに、関心を持ってもらえたら、と思います。

彼は「子どもがほしい」ということではなく、「育つ家庭を必要としている子どもに、その場を与えたい」という思いが強い(制度としてもその色が強い)ということを言っている。これは完全にエゴではない。

 

エゴではないし、これはあくまでぼく個人の意見だけど、そもそも「子どもが欲しい」というエゴで子どもを持つことは、いけないことなのだろうか。

 

異性カップルにとっても、子どもをつくるということはエゴでしかないと思う。親の「愛する人との子どもが欲しい」という欲求で、子どもはこの世に生を受ける(違う場合もあるけど、日本ではこの場合が多いだろう)。

仮にもし今回のこの男性カップルが、「子どもが欲しい」という願望から、里親になったとして(里親は子どもを一時的に預かる役割であるから、「子どもが欲しい」という願望は本当は叶わないけれど)、それはどこが問題なのだろう。

「これまで同性愛カップルの里親は認められたことがなかったから、同性愛者の権利拡大のために里親になろう!」ということであれば、「大人のエゴで子どもをおもちゃにするな」という意見もよくわかるのだが、実際にはそうではない。

そもそも、今回の件では、先ほど述べたように里親はエゴの気持ちから里親になったわけではないようだし、さらには「子どもが欲しいという願望=エゴ」が「子どもをおもちゃにする」ということには結びつかない(だって愛し合った夫婦のもとに生まれた子どもはおもちゃだと思わないでしょ?)。

彼らはただのパートナーで、里親制度を使った。

事実はそれだけで、子どもが彼らのエゴの「犠牲になった」と考えられてしまうのは、ではどうしてなのだろう。

 

「同性愛者の両親(里親)の下で子どもが育つ」ということに問題を感じる理由は大きく、内的な部分と外的な部分の、二つに問題を分けられると思う。

内的な問題というのはつまり、「男性同性愛者の親の下では、子どもが健全な成長をしないのではないか」というような家庭内の問題(「子どもの人格形成に、母親の存在が必要なのでは?」という意見がこれにあたる)。

対して外的な問題というのは、「同性愛者の両親と子ども、という世間的には特殊な属性から、その子が不当な扱いを受けるのではないか」という家庭外の問題(「親が二人とも男とか、子どもは絶対に学校でいじめられる」という意見がこれにあたる)。

内的な部分の問題に関しては、正直、「ただの偏見だろ」と思う。

「子どもも同性愛になってしまう」なんて意見は問題外。性的指向は周囲からの影響でそう簡単には変わらないし、「同性愛であること自体が問題」という発想はどうしてそう思うかについてもっと考えてください、という感じ。

「健全な成長」がそもそも何を指すのかが不明確なところはあるが、グレる(未成年のうちに喫煙をする)とか女性恐怖症になるとか異常性癖の持ち主になるとか、そういうことを「不健全な成長」というのであれば、それは「養親が二人とも男である」という属性から発生した問題だとは言えないのではないか。

男女の親から生まれた「普通の」子どもであっても健全な成長をするかどうかは分からないし、子どもの(人間の)成長には非常に多くの要因が絡まっている。

健全な成長を妨げると「思われる」要因をひとつずつ取り除いていくことなど不可能だし(それを実行するためには、親は完全に正しい日本語で規則正しい生活を送り感情的になってはならず、みたいなことが必要? でもそれだと逆にグレそう笑)、それよりはグレた子どもにどう対応するか、女性恐怖症になった子どもにどう対応するかが重要だと思う。それに関しては「男性同性愛者」という属性はまったく関係がなく、親が愛のある行動をとってあげられるかが問題だ。

つまり、内的な部分に問題を感じるのはナンセンスなのでは? とぼくは思う。

 

そして外的な問題について。

『子どもはまず間違いなく奇異な目で見られる。これに対して里親は責任取れるの?』

『学校では絶対にいじめられるだろうね』

これらの意見に枕詞のようについてくる言葉がこれ。

 

『俺は別に偏見とか持ってないけど、世間が許さないよ』

 

Twitterでたくさんの匿名の意見が見られるようになったこの時代、これまではなんとなく感じているだけだった「世間」というものがよりハッキリと可視化されたように思う。

Twitterだけでなくインターネットの掲示板、ニュースのコメント欄、いたるところに「世間」は顔を覗かせている。

「世間が許さない」と言う人に対して、「世間が許さないんじゃなくてお前が許さないんだろ」と言う人がいる。

ぼくはあまりそうは思わない。

世間が許さない≒お前が許さない というより、 世間が許さない>お前が許さない という方が感覚的にはしっくり来る。世間の方が圧倒的に大きい何かだ。

「世間が許さないよ。学校ではいじめられるし、周りからは奇異な目で見られる」

たしかに、いじめられる可能性は否定できない。周りから奇異な目で見られる可能性も否定できない。

男性同士の里親を擁護して、それでその里子がいじめられた場合、ぼくはその責任をとれるのだろうか?

 

多分とれない。

というか、いじめを直接止めに行くことを、ぼくはできない。

その子がどこの学校に行っていて、何歳で、名前もなんていうのか知らなくて、それなのに無責任に、里子がいじめられる可能性の高くなりそうな男性同士の里親を認めてもいいのだろうか。

 

ももしここで、ぼくも「世間が許さないから」と言ってしまえば、「許さない世間」はさらに補強されるのではないだろうか。

「世間が許さない」と思う人が世間をつくり、その世間が他の誰かに「許されない」と思わせ、その誰かがまた世間をつくり、その世間が他の誰かに「許されない」と思わせ……

「世間」というのは実態があるようでない、集合意識のことだと思う。

個人の意識は集合意識に影響され、また同時に集団意識を構成してもいる。

だから、「世間が許さない」と言葉にすることは、「許さない世間」をつくりあげることに加担してしまっていることになるのだ。

それだったら、「世間が許さない」と言わないことから始めてはどうなのだろうか。

言わない代わりに、どうしたらもっと、その里子がいじめの対象にならないような社会にできるのか、男性同士の里親というのが、奇異な目で見られずに済むような社会になるのかを、考える。その方が「世間が許さない」と言うよりもよっぽど生産的だし、「許す世間」をつくる一歩になるのではないだろうか。

そしてそんな風に考え続けることこそ、責任をとることに繋がると思う。

「世間が許さない。もし問題起きたら責任とれんの?」

この台詞を、言いたくなってしまう気持ちはわかる。わかるけど、責任をとりたくない、とる気がない人の逃げの台詞でしかない。

きっと里親になったご本人たちだって、里親になる前にこんなことは腐るほど考えたに違いないんだ。

それでも彼らは、逃げずに勇気を持って立ち向かったんだから、足の引っ張り合いはもうやめて建設的な未来の話をしよう。ぼくはそっち側にいたいよ。

 

たくさんの意見がネット上で、そのほとんどが匿名の形で表明された同性カップルの里親のニュース。

匿名という名の世間に負けないで、「ぼくは認めるよ!」の声を上げたい。

小さくてもいいから上げたい。

 

 

 

もしも今度、ダサい服装のままお洒落な服屋に入ることがあったとしたら。

周りの目は気にせずに、気になると思うけど気にせずに、自分の気に入った服を手に取って見てみようかな、と思う。

それで友人に、「この服めっちゃよくない?!」とかって笑って話してみたい。