みんな自由だ

酔っ払っている。勢いで書く。

 

なんの因果か武蔵小金井にいる。前回の記事武蔵小金井駅のことを書いたからか。

なんて単純、なんてアホ。

ほんなら千葉の記事書けばよかったじゃん、千葉帰れるし。

そのうちアメリカの記事でも書いて、「気づいたらアメリカ」みたいなことになっているかもしれない。それはそれで楽しそう、万歳。

 

 

明日は大阪に行く予定だ。企業の最終面接なんだけど、「交通費もらえるしラッキー♪」と思っていた自分は、もっと万全スタイルで大阪観光できると思っていた。過去の自分に言ってやりたい。

甘いぞ自分。もっとアホだぞよ自分。

 

 

暇だから、きょう新宿の紀伊国屋書店で立ち読みした「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」の感想でも書こうと思う。著者はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。ナイジェリアのイボ民族出身の作家だ。

 

皆さんは『フェミニスト』と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。男と完全に平等な権利を得て、バリバリ働いている女性? スカートを履かずネイルもしないパンツスタイルの女性? 独身を貫いて男になんて見向きもしない女性?

正直なことをいうと、ぼくは『フェミニスト』『フェミニズム』という単語を最近知った。恥ずかしながら。……だからあまり、それらの言葉が持つニュアンスを特別知らずに生きてきたんだけれど、世間一般的には『フェミニストな女性』は『結婚になんて見向きもせず、パンツスタイルで露出はせず、世間的にはアンハッピーで攻撃的、そしてセックスは嫌いで男に媚びるのなんて大嫌い!』っていうイメージがあるみたい(?)。

チママンダはそれを見事に覆す。自ら『ハッピー・フェミニスト』を名乗り、しなやかに女性の多様な生き方を肯定する。「結婚がしたくて、スカートを履いてマニキュアを塗って男に媚び、セックス大好きな女の子」だって『フェミニスト』になれるのだと彼女は言うだろう。

 

じゃあ彼女がいう『フェミニズム』って何?

おそらく、彼女が言う『フェミニズム』とは、ジェンダーにとらわれることなく、それぞれの人間がそれぞれの特長・性質を活かして周りの目を気にせず生きる、そのことを肯定する、……そういうことでしかないのだろう。そしてそうあるために、現代の女性は特別な苦労をしている。「女性である」というだけの理由で。そのことを彼女は問題視しているのだ。

「40にもなって彼女まだ結婚してないんだって。あの性格じゃ相手見つからないだろうね~」「彼女ってスカート絶対履かないよね。足太いから自信ないのかな(笑)」「彼より収入も学歴も高いけど、言ったら彼が傷ついちゃうから秘密にしてるの」

『女だから〇〇』という言説は、男女平等が叫ばれている現代でも往々にしてあると思う。女なんだから気を使えて当然、女だから無邪気にふるまうべき、女は男におごってもらう方がスマート、etc.

逆もまたしかりで、男はすぐ泣いたらいけない、男はマッチョでなんぼ、男はものをハッキリと主張できるべき、etc.

でもここで勘違いしてはいけないのは、全然泣かない男はNGではないし、ミニスカートを履いて出会い系を使っている女子高生もNGではないということだ。

 

あまりジェンダーとかなんやらかんやらに詳しいわけでもない、というかほとんどまったく知らないのだけれど、これまでの「ジェンダー論」は黒だったものを白、白だったものを黒にしようとする流れが強かったのではないか。

これまでは管理職に男性が多いよね、それなら女性の管理職も多くしよう。

これまでは毛がなくて足が細くてスカート履いてる女性がかわいかったよね、それなら毛がボーボーの足が太いパンツスタイルの女性も肯定しよう。

……こういうカウンタースタイル的な "フェミニズム" は、それまでの規範を無視しているようで実はすごく媚びている。 "それまでの規範" があるからこそ、新しい規範ができているだけで、黒を白、白を黒にしてもその線引きの位置は変わっていないのだから根本的な部分に変化がないのだ。

チママンダはその線引き自体をなくそうよ、と言っているように感じた。

それぞれの人がそれぞれの線を引いて、楽なように過ごそうよ。他人がその線引きにとやかく言うことはやめて、それを認め合おうよ。

 

きっと人間としてこの世界に生きる以上、その線引きから完全に自由になることは不可能だろう。これまで生きてきた中で、美醜やそれを含めたあらゆる価値観について、ぼくらは社会から多大なる影響を受けていて、価値観の形成に社会が関与していないとは言い難い。

けれど、社会があるから個人がある、のではなく、個人があるから社会がある、のだとぼくは思いたい。

社会が持つ問題を無視せずに(「女性というくくりでなぜ問題を見るのだ。それは人間社会としての人間の問題だ」と言っても、結局それは「女性だから」起こっている現代社会の問題なのだ)、個人が生きやすく生の自由を存分に謳歌できる社会になれば、それほど素敵なことはないと思う。

 

酔っ払っている、という書き出しにもかかわらず、なんだか小難しいことを書いてしまった。

でも、チママンダの提唱する「フェミニズム」の姿勢は、女性に限らずゲイやトランスジェンダーやデミセクシャルやAセクシャル、つまりはこの世に生きるすべての人間を漏れなく網羅した楽園への道しるべなんじゃないかなあと思っている。

 

はあ。めっちゃ眠い。

でもそろそろ大阪行き新幹線に乗ってきます。

たこ焼きめっちゃ食べてきてやる。