Blink Blink Blink Blink!!

あした、YUKIの全国ツアー "Blink Blink" の横浜公演に行ってくる。

YUKIに会えるなんて、YUKIを好きだという人たちが集まるなんて、うれしい!

きょうはずっと落ち着かなくて、新品のスニーカーに片方だけ足を入れてみたときのような気持ちでいる。

つまさきから徐々にやわらかな生地に触れて、かかとまで入ったとき。

もう既に満足している気持ちと、早くもう片方も履いて歩き出したい気持ちの、楽しいせめぎあい。

ああ、早くあした来い! いや、まだ来るな!

 

 

 

ぼくがYUKIの歌を初めて聴いたのは、たぶん小学生のとき。

兄がTSUTAYAでアニメ「るろうに剣心」、通称「るろ剣」を借りてきてよく見ていた。

リビングのソファに座って、兄の隣でぼくも一緒によく見ていたのだけれど、そのるろ剣のオープニング曲がJUDY AND MARYの「そばかす」という曲だった。

 

大キライだったそばかすをちょっと

 ひとなでしてタメ息をひとつ

 ヘヴィー級の恋はみごとに

 角砂糖と一緒に溶けた

 

というのが歌い出しの歌詞。

失恋して傷心の女の子が主人公なのに、ぜんぜん深刻さがない。

「本当に恋人のことすごく好きだったけど、あーあ」、みたいな。

大失恋も「あーあ」で済ませちゃう前向きさを感じる。

そばかすも「大キライだった」、と過去形で、この女の子は、恋愛中はそばかすがコンプレックスだったのだろうけれど、別れたいまはもうそんなに気にしていないのだ。

 

……なんてことは、当時、小学校低学年だったぼくは決して考えることなく、キャッチーでパワフルなYUKIの歌声とアニメの登場人物のアニメーションに、これから始まるスリリングで心躍る30分弱を期待させられて、テレビの前でうずうずしていた。

 

たぶんちょうどその頃、JUDY AND MARYがミュージックステーションに出ているのを見てぼくはビックリしていた。

JUDY AND MARYはロックバンドなのでビジュアルも派手で、テレビで見るYUKIはお化粧がとても濃く、バンドメンバーも髪をすごく立てていたりピアスがジャラジャラだったりして、見た目のインパクトが強かった。

「これ、るろ剣のオープニングでそばかす歌ってる人だよ」

そう兄に教えられたとき、だからぼくは、

「うわ、なんか怖いお姉ちゃんだな」

と思った。幼いぼくはロックなんてぜんぜんわからず、平和な世界にいたから、「ピアスってなんか怖い!」レベルの感じで生きていた。だから、「あんな可愛い歌を歌っている人がこんな怖そうだなんて!」と、YUKIに対していわく言い難い驚きを覚えていた。

 

 

それからしばらくして、忘れもしない2010年2月12日金曜日。

高校1年生になっていたぼくは、夕飯を食べ終わって家族と一緒にリビングでミュージックステーションを見ていた。

ぼくは基本的に女性歌手が好きで、当時は大塚愛とか木村カエラとかaikoとか、にはまっていた。だからYUKIが出てきたときも、

「あれ、なんだこの可愛い女の人。新しく出てきた人かな」

と思って、どんな歌を歌うんだろう、と気にしながらテレビを見ていた。

そのときのYUKIはセミロングの黒髪でナチュラルメイク、桜色と黒がまだらになった薄いワンピースの上に黒いコートを羽織っていた。

そのときのYUKIは見た目が24歳くらいに見えたから、ぼくは彼女のことをすっかり「新しく出てきた人」と思い込んでいた。

タモリさんと話すYUKIはとても落ち着いて見えて、「若いのにやたら円熟した雰囲気の人だなあ」なんて思っていた。

 

そしていざ、YUKIが歌う番になって。

彼女が歌う曲は “うれしくって抱き合うよ” という曲だった。

ステージに立ったYUKIは黒いコートを脱いで、桜色と黒がまだらの、肩の部分がフリルになっていて全体的にふわりとしたフォルムのワンピースを着ていた。腰の部分を細いベルトで締め、黒いストッキングを履いていた。

彼女は曲が始まると、軽くステップを踏むような感じで、前奏に合わせて小さく踊った。

その表情は緊張なんかとは対照的で、YUKIはずっと、落ち着いた余裕を感じさせる笑みを浮かべていた。無理しているような感じはまったくなく、とても自然体だった。歌う喜びに溢れ、身体全体を音楽に任せているように見えた。

「新しく出てきた人」と思い込んでいたぼくはこの時点で、完全にやられていた。

そして彼女が歌い始めたのがこの歌詞。

 

“風に膨らむシャツが 君の胸の形になるのさ

 甘い匂いを撒き散らして 僕らはベッドに潜り込んだ”

 

彼女の口角は、“君の胸の形になるのさ” の最後、“さ” で伸ばす音のときも終始あがっており、それは妖しくて魅力的な表情だった。

そうかと思えば、音楽にうっとりするような無表情に変わったり、怯える子供のようなあどけない表情になったり、彼女の表情は歌うあいだころころと変わった。

表情だけでなく、彼女は歌うあいだ身体もよく動いた。

“甘い匂いを撒き散らして” の部分で、YUKIは匂いを本当に撒き散らすみたいに、身体を小さく左右に揺すった。すると肩の部分についた薄いフリルも揺れた。

そして歌は続く。

 

“たなびくサイレン 愛撫のリフレイン 茹だるようなビート

 少し震えているのかい?

 捧げたい僕を 君の広い宇宙に 在るだけの夜に 在るだけの花びら”

 

その歌は、それまで聴いたどんな歌よりもアダルトで、描写的で、湿度が高く、YUKIの歌声は聴く者をそっと包むようなぬくもりを持っていた。

歌詞は自分の身近にある世界ではなく、どこまでも遠い世界へ連れていってくれるようであったし、人間の根源的な感情を歌っているようでもあった。

曲の展開は目まぐるしく、落ち着いて抑制の効いた曲調でありながら、サビに入るとその抑制されていたものが蓋を開けたように溶けだした。

何より、YUKIの身体全体から、声から、喜びとぬくもりが溢れだしていた。

 

“ハナ唄で閃いた! 希望の咲く丘目指せ シグナルは青になる

 うれしくって抱き合うよ

 うつむいたり叫んだり 忙しい僕らの宴 ありがとうに出逢う街

 うれしくって抱き合うよ

 巡り逢い 胸高鳴る 君の頬濡らしてくよ

 僕をあげよう 溢さないよう 火の無い場所 煙は立たず

 欲しいものなら手に入れたんだ 僕と君を繋いだ ハレルヤ!!

 

曲が終わるまで、一秒たりとも画面から目が離せなかった。

YUKIの動きのひとつひとつが、歌詞のひとつひとつが、そして声のいちいちが、肯定感に満ち溢れ、信じられないほどにやわらかく、妖艶で、それが「24歳くらいの新しく出てきた人」という印象からもたらされるものとあまりにかけ離れていて、衝撃的だった。

 

そう、衝撃的だったのだ!

 

ぼくのこれまでの人生の中で、あの瞬間は間違いなくベスト5に入るくらいの衝撃だったと思う。

その後当然、YUKIが何者なのかをインターネットで調べ、彼女がもうすぐ38歳になろうとしていること(!)、彼女が元JUDY AND MARYのボーカルで、幼い頃に見たあの怖いお姉ちゃんと同一人物であることなどを知り、とても驚いたが、同時に、道理であれだけの表現力や歌唱力があるのか、と納得もした。

 

それからぼくは順調にYUKIにズブズブとはまっていき、彼女の歌やルックスは勿論、その性格や人となりも好きになった。

明るくて愉快で、いつも同じ場所にはいない人。あっけらかんとして、いつも笑っている人。いつも笑っていようという、強い意志を持った女性。

 

 

そんなYUKIと、あした会えるのだ!

YUKIYUKIの人生を持って、彼女の希望と愛を携えて、横浜アリーナにやって来るのだ。

そして、YUKIだけでなく、そんなYUKIを好きになった人もあしたはたくさんやって来る。

ぼくが高校1年生のとき、テレビ画面の向こうにいる彼女に衝撃を受けたように、彼女や彼女の歌が人生のどこかで交錯した人たちが、ひとところに大集結するのだ。

だれかは恋人に別れを告げられたときにYUKIの歌に励まされたかもしれないし、だれかは大切な部活の試合の前にYUKIの歌を聴いて気持ちを高めたかもしれない。大切な人の死で途方に暮れているときに救われた人もいるだろうし、何もない生活にYUKIの歌で彩りを添えている人もいるだろう。あした初めてYUKIを知る人も、もしかしたらいるかも。

みんなの人生の一瞬に、微かでも光る瞬間があって、その光はどれひとつとて同じではなくて。

でもその色とりどりの光が、あしたは集まってきっと大きな光をつくるんだ。

なんかそれって、とても美しくてドラマチック。

 

YUKIの最新アルバム “まばたき” の最後の曲、“トワイライト” でYUKIはこう歌っている。

 

“今は 哀しい歌は報われないから

 歌う 薄明りのトワイライト

 君だけに歌いたい”

 

YUKIはきっとあした、「みんなに」ではなくて「君だけに」歌ってくれる。ぼくだけに歌ってくれる。

人生に点を打つみたいに、あしたが永遠になってくれますように。

 

 

遠い未来、ぼくはトンネルに入る。

灯りのまったくないトンネルで、とても暗い。足下もよく見えない。

そこに地面があるのか、地面なんかなくて、ぼくは落下している最中なのかすらおぼつかない。

そんなとき、ぼくはあしたに電話をかける。

「もしもし。どんな感じ?」

「うん、いい感じだよ」

「いい感じなの? 本当に?」

「うん、本当にいい感じだよ。思わず笑っちゃうくらい」

「そっか、ならよかった」

「うん、よかったよね」

そうすると、ぼんやり足下から灯りが灯って、自分が地面の上に立っていることを知る。

気がつけば、うしろにも前にも灯りは灯っていて、ぼくは歩き出せる。

トンネルをやがて抜けて、ぼくはそのまま歩いてゆける。

 

 

たくさんの人にとって、あしたが思い出すべく愛おしい一日になるような予感しかしなくて、そんな温かい予感を抱いてきょうは眠る。

きっとよく眠れると思う。

 

きょうもいい一日だったな。おやすみなさい。