あまい秘密

白色のタイルをひとつひとつ、オレンジ色に塗っていく。

なるべく色むらがないように、ていねいに四隅まで塗りつぶす。

昼過ぎからずっと作業をしていたので、もう全体の5分の4くらいは塗り終わった。窓から西日が射して、タイルに反射する様子をうっとりと眺める。太陽の光もオレンジ色だから、まだオレンジに塗っていないタイルにも色が染まって、とても綺麗だ。

途中、台所でお湯が沸いたので、火を止めに移動した。

やかんの蓋を開けると、もうっと湯気が立ちあがる。しばらくぶくぶくと泡がたっていたが、やがて勢いをなくして静かになる。台所が湯気でいっぱいになって、うっすら汗をかく。換気扇を回したまま窓を開けると、外から涼しい風が入ってきて部屋の温度を下げた気がした。

壁のタイルは、まだ上の方が中途半端に白色だけど、それはそれで綺麗だったので、今日の作業は終了ということにして椅子に座った。ずっと立ちっぱなしだったので思わずため息が出る。幸福なため息。

テーブルの上に置いたままにしてあった、知り合いから借りた本がふと目に留まって手にとる。本の表紙は白地に黄緑で、なんとなく本を持ったまま手を伸ばしてみる。背景にオレンジのタイル、手前には白地に黄緑の本。思わず、「あ」と声が出る。その光景は絵画みたいに美しくて、少しびっくりするほどだった。

午後6時。もうすぐ一日が終わる。

夕飯の準備をしなくてはと思い、私は本を再びテーブルに置いて買い物に行く準備を始めた。

 

 

 

大人だけが持っている特権のひとつに、「あまい秘密を持てること」があると思う。

誰に知らせることもない、自分だけが知っているできごとや、光景や、感情。口にしたらその純度が失われるような気がして、誰にも言えないこと。

たまたま見上げた空の色が、生まれて初めて見るような透き通るピンク色だったことだったり、好きな人に教えてもらった花の名前だったり、とても寂しい夜に見た電車の光と夏のにおいだったり。

それは誰にも言えないし、言ったところで絶対に伝わらない。

誰もその秘密には触れられないし、壊せない。自分のなかで純度を保ったまま、淡い色で光り続ける。

大人になるほど、そういうあまい秘密は増えていくから、ときどきそっと思い出して優しい気持ちになる。好きな人には、心を切って開いて目の前で、「ほら」って言って見せてあげたい気もするし、見せてほしい気もするけど、それができなくても構わない。

過去は執着した瞬間に腐り始めるけど、そうじゃなければきっと綺麗だから。

たくさんのあまい秘密を知って、生きて死にたい。