きょうは満月だというから外に出てみたのに、雲が厚くてぜんぜん見えない。残念! そのまま散歩をする。
大学を出てすぐのところ。押しボタン式の道路で、左右から車が来る気配もないのにボタンを押してみる。少し待って、車の信号が変わる。
黄色、赤。
雨上がりの夜の赤信号は、ちょっと綺麗。湿度の高い空気に光が乱反射して、ぼんやりと、なのにびっくりするくらい鮮やかな赤色が見える。信号って、場所によって色が微妙に違ったりするのかな? きょうの赤信号は特別に綺麗。
一瞬だけその光にうっとりしてから横断歩道を渡る。車は来ない。
イヤフォンの中で大塚愛が、「なんとなく」が何度も歌詞に出てくる歌を歌っている。
「なんとなく 流れてった」
「なんとなく 決めてみた」
「なんとなく 知らん顔した」
「なんとなく 飛び跳ねてた」
僕もなんとなく、うれしくなって大またで歩く。
右手には公園があって、だれもいないみたい。濡れそぼったベンチとブランコが外灯の光でキラキラしている。
大またでずんずん道を歩いていると、以前見た絵のことを思い出した。あの絵もずんずん、ひとりで頼りなく、でも力強く歩いていたなあ、と思って。
思い出して、また楽しくなってずんずん歩く。そうするとベンチもブランコも視界の端に流れていって、やがていなくなった。
絵はこのあいだの週末に見たものだった。
新宿で人と会ったあと、時間を持て余したから近くの画廊に寄ってみた。夜にまた違う飲み会があったから、それまで時間を潰す必要があった。
新宿駅の西口から15分ほど歩いたところにその画廊はあって、歩道に面している部分がガラス張りになっている。ドアは開け放たれていて、僕より先に中で作品を見ている人もいた。
入り口すぐのテーブルに、作品の配置とそれぞれの題名、作者紹介などがされている紙が置いてあったので手に取る。
展示全体の名称は “Light Through the Window” で、光に関する作品が多いのかなと予想して来たのだけど、そんなことはなかった。一日の最後に残った小銭をキャンバスの上に広げ、その輪郭を真っ黒な布地の上に白い線で描いた何十枚もの作品とか、粗い目の布地に、裏側から彫像のイメージを写し取った作品とか。
正直、そこの展示で見られた作品はあんまりピンとこなかった。単に僕の感性が鈍かっただけなのかもしれないけど、うまく理解できなかったし、うまく面白がることができなかった。
1人の作家さんが、僕が作品を見ているあいだちょうど在廊していらして、お客さんらしき人と喋っていた。ベルリンに住んでいて、このあいだ日本に帰って来たばかりで――、みたいな話をしていた。
ひと通り作品を見終わったあと、その画廊を出た。
「まだ時間余ってるなー」と思っていると、今しがた出た画廊のすぐ隣に、もうひとつ画廊が併設されてあることに気づいた。そっちの画廊のドアは閉まっていたけど、中で女の人の2人組が作品を見ていたので展示期間中ではあるようだった。透明なドアには、『Shin Morikita 森北 伸 新作展』と書いた紙が貼ってあった。
中に入ると、ドアが開けっ放しになっていた先ほどの画廊とは違って、しんとしていた。先にいた女の人2人が小声でひそひそ話すのが聞こえるくらい。作品も先ほどと違い、平面作品だけでなく立体作品も多く配置されていた。
入ってすぐのところに、子どもくらいの大きさの黒く塗られた木と、その上にちょこんと乗った黄色で塗られた木、針金のような素材と金属のお皿のような素材が組み合わさってできた作品があった。どことなく、黒い木が胴、黄色の部分が顔、針金がすっと伸びた手、そして金属のお皿がその手に持たれているように見えて、子どもが腕を伸ばして、「何かちょうだい」とねだっているように思えた。
可愛らしくて、ちょっと滑稽で、「あ、好きだな」と直感で思った。
展示されているのは立体作品だけではなく、絵画もいくつか飾られていた。
どれも良かったのだけど、特に気に入ったのがひとつあった。
背景色が上と下でくっきり2つに分かれていて、上はくすんだオリーブ色とでも言うのか、下は茶の入ったグレー。そこに、棒人間をもう少し抽象化したような形で、黒い線の人間が横向きに描かれている。棒人間は大またで淡々と歩いていて、手はだらんと垂れ下がっている。お腹の部分に深い青色で、湖のように水が溜まっている。胸には大中小のろうそくが並んだように、白いささやかな光が等間隔に灯っていて、顔は大きな大きな満月みたいな黄色で描かれている。顔部分はかなり見切れていて、満月のほんの下部分しか見えない。
作品に見入っているうちに、いつの間にか先にいた女の人2人組はいなくなっていた。
画廊の奥まったところに、パソコンでカタカタと事務作業をしている女の方がいた。
手前のテーブルに、1つ目の画廊では入り口すぐのところにあった、作品の配置とそれぞれの題名、作者紹介などが書かれた紙が置かれていた。
はじめに見た、何かをねだる子どものような作品の題名は、「けらいのいない王様」。可愛い題名だ。順々に見た作品の題名を追っていくと、ぜんぶがちょっと哀しくて愛らしく、素敵な題名だった。
そしてずんずん歩く棒人間の絵。あの絵の題名は、「so alone」だった。
心の中で、「ああ、やっぱり!!」と思った。
うれしくなって、もう一度あの絵の前に行く。
大きいけれど、大きすぎない絵。適切な大きさ。
たったひとりで、お腹には悲しみの水を湛え、胸に小さな光を灯し、満月のように大きな光を持って歩き続ける生き物。その絵はいい意味で切実さがなく、悲しすぎず、希望もあり、人間の「愛すべきおかしみ」みたいなものがいっぱい詰まっているような気がして、いつまででも眺めていられた。色の加減もとても良い。
いろいろ理由づけはできるけど、なんとなく、僕はその絵が好きだった。
しばらく眺めてから、外に出る。夜の飲み会に向かうにはちょうどいい時間になっていたので、電車に乗るために新宿駅ではなく初台駅に向かった。好きな絵に出逢えて満ち足りた気持ちだった。
あとから知ったことだけど、あの展示全体の名称も “so alone” だったらしい。
「なんとなく これは恋だ」
「なんとなく これは恋だ」
「何も考えませんよ、だってなんとなく これは恋だ。」
いつだったか横浜の中華街で人生初めての手相占いをしてもらったときに、「あなたは一途ですね」と言われた。
「そうかあ?」とそのときは思ったけど、好きなものに出逢ったらずっと好きで居続けたいよね。そのための努力は惜しみたくないなあ。
YUKIが好き、大森靖子が好き、西加奈子が好き、大塚愛も木村カエラもaikoも椎名林檎もcharaも宇多田ヒカルもチャットモンチーも好き、赤色も好き、本も好き。
だけどやっぱり最終的に好きな理由は、「なんとなく」なんだよなあ。
そんなことを考えながら、ずんずんと夜の道を歩き回った。ひとりで、楽しく。
厚い雲の上では、たぶん満月がにっこり顔でこっちを見ている気がする。