朝起きると泣いていた。
嘘。
正確に言うと、泣きそうになっていた。
目が覚めて、「あ、夢か」と気づいてから、子どもみたいに大泣きした。
夢で心を乱されて、起きた後に泣く、ということは子どもの頃よくあったけど、そういえば最近はあまりなかった。
夢の内容は不鮮明で、でも「ピアノを弾きたかった」ことはよく覚えていた。
ピアノをどうしても弾きたいのに、周りの人が「うるさいから」「弾いてほしくないから」と言って弾くことを許してくれないのだ。
理不尽だと思って、「じゃあ一体いつ弾けるのか」と問うても、
「あなただってまだ論文書いてないじゃない」と、女の人に言われた。
「論文は確かにまだ書いてないけど、それとこれとは関係ないでしょ」
「とにかく、ピアノは弾かないで」
そうやって、屁理屈をつけて私のやりたいことを邪魔するのか、と思ってやりきれない気持ちになった。悲しくて悔しくて、そうして目を覚ますと泣き出す寸前の気持ちになっていた。
朝、目が覚めてすぐに大泣きするのは気持ちがいい。
今日は、昔付き合っていた人の誕生日だ。
忘れていたけれど、朝大泣きした後、iPhoneのカレンダーを見たら彼の誕生日が登録されていて思い出した。
彼と付き合っているとき、私はよく泣いていたと思う。
ヒステリックな感じに泣くことが多かった。都庁の付近でデートしていたときに喧嘩をして、私が泣き喚きながら彼に向ってハンカチを投げつけたこともあった。
地味な色をしたハンカチはひらひらと宙を舞い、情けない感じに地面に落ちた。
彼はそれを、困った熊みたいな顔をして拾った。「こんなとこで泣かないでよ」みたいな真っ当なことを言われ、それにまた腹が立って、私は泣いた。
その頃、私の中で東京は、「見知らぬ人ばかりの場所」というイメージだったから、旅の恥はかき捨て的なノリでそんな大胆なことができたのかもしれない。
今でも東京のイメージはそれほど変わらないが、街中で大泣きなんて、今じゃもうできない。と思う、多分。
人はどういうときに泣くのか。
そのときの彼は、私とひと回り以上も歳が離れていて、広島に住んでいた。
彼からしたら、かなりの年下&遠距離ということで不安要素が多かったのだろう、別れる直前の時期は、「どうせ俺のことなんてそんな好きじゃないんだろ」みたいな七面倒なことばかり言ってきた。
「好きだよ」と言っても、まるで信じてくれなかった。それが何よりも悲しかった。
彼と付き合って学んだことのひとつは、「自分の気持ちが相手に伝わらないことは何よりも悲しい」ということだ。人が死ぬと悲しいのも、もう二度と相手に自分の思っていることを伝えられないからだと思う。
まだかなりの若造だった私は、なんとかして自分の気持ちを伝えてやろうと、泣いたり叫んだりしたけれど結局ダメだった。
泣くのには、びっくりし過ぎたとか、嬉しくて感動のあまりとか、やるせなくてとか、色々な場面があると思うけれど、「自分の思いが相手に通じなくて泣く」のは、もうそろそろ卒業したいなあと思う。
だって、違う人間なのだから、気持ちが上手く伝わらないのは当然だ。
でも、ごくたまに、本当に稀に、「気持ちが通じた」と確信できる瞬間がある。
心を開いて話して、もしくは話さなくても同じ空間に居て、同じ景色を見て、通じ合えたと思える瞬間。
大人になっていくのだったら、そっちの瞬間を大切にできる人になりたい。そして欲を言うならば、できるだけ多くの「その瞬間」を、死ぬまでに見てみたいと思う。
彼が今日一日、いい日だと思って過ごせたことを願う。