選手宣誓

あなたがもし、「自分の人生クソみたいだな」って思っていたとしても。

ぼくは、あなたが生まれてきたことに、「おめでとう!」って言いたいな。

「希望を持て」って、すごくつまらない言葉だと思う。そんな抽象的な言葉ではだれも救われない。誰でも、希望は持ちたいに決まってる。

それでも、希望が見えない、持てないから、苦しいんだよね。

できる限りで、ぼくはあなたの苦しみや悲しみに寄り添って生きていきたいな。辛いことを辛いって言うのは、全然悪いことなんかじゃないよ。

 

障害者だろうと、セクシャルマイノリティだろうと、ホームレスだろうと、引きこもりだろうと、無職だろうと、ブスと呼ばれようと、ウザいと言われようと、社会不適合者と呼ばれようと、「必要ない」なんてこと絶対ないよ。

あなたはこの世界に絶対必要だ。

 

自分の考える理想があって、それに全然届きようもなくて自己嫌悪に陥るとき。

周囲からの心ない言葉に、傷ついてどうしようもないとき。

好きなあの人から愛してもらえなくて、どうしようもなく悲しいとき。

誰からも認めてもらえない、愛してもらえない、誰も救ってくれないと感じるとき。

そりゃあ苦しいよ、しんどいよ、泣いても喚いてもなんも変わんなくて絶望しちゃうよね。苦しいときは苦しいって言っていいよ。悲しいときは悲しいって言っていいよ。寂しいときは寂しいって思っていいよ。

「こんなこと考えちゃダメだ」なんてこと、ひとつもないよ。

 

あなたがクソなんじゃなくて、社会がクソなんだよ。周囲がクソなんだよ。

何か、自分じゃない、ほかのもののせいにしちゃってもいい。あなたは悪くない。

絶対に悪くないよ。大丈夫。絶対に、大丈夫。

 

 

 

でも、ほかの何かのせいにしたところで、なんにも変わらなかったんだ。

社会がクソ、あいつがクソ、自分は絶対に悪くないって思っても、なにひとつ変わらなかった。

寂しい、寂しい、なんで誰も自分を救ってくれないんだって思っても、なにひとつ変わらなくて。

 

だけど変えられるものがひとつだけ残っていた。

他者は変えることができなくても、自分が変わることは、きっとできる。

きっと、自分を救えるのは自分だけなんだと、思う。

それはとても孤独のような気がするけど、でも、大丈夫だよ。あなたの孤独に寄り添おうとしてくれる人がいるよ。近くにいなくても、世界にはいっぱいいるよ。

そして誰よりも、あなたが、あなたに寄り添ってあげられるよ。

 

不幸でいることは簡単だ。

愚痴さえ言っていればいい。

「あれが最悪」「これがクソ」「あいつがいなければ」「こいつなんてクソ」

不平不満を言ってさえいれば、不幸でいられる。楽ちんなんだもん。

考えることをやめないで、感じることをやめないで、自分を見つめることをやめないで、幸せになりたいな。

 

もっと、もっと、もっと、幸せになりたいな。

 

誰かに救ってほしい、認めてほしい、愛してほしい。

それと同じくらい、誰かを救いたくて、認めたくて、愛したい自分がいる。

選ぶのは、自分。

 

自分をきちんと見つめたら、自分はすでに認められていて、愛されていて、救われたんだ。

幸せなんだって、わかったんだ。

でもやっぱり、もっと幸せになりたい。貪欲かもしれないけれど。

 

与えるでも、奪うでもなく、与え合うことが大切なんだって、誰かが言っていた。

与え合って、もっと幸せになろうね。

いつでも、あなたのことを想っているよ。想っていたいよ。想っているよ。

 

 

 

ぼくは希望を持っている。ユーモアを持っている。愛を持っている。

あなたが生まれてきたことに、「おめでとう!」と言い続けます。

あなたの悲しみに寄り添い続けます。

あなたとともに、歓びの花を咲かせ続けます。

ぼくはぼくに、誓います。