なかったことにされた I love you について

2年弱くらい前に、大阪の人がぼくのことを好いてくれていた。

彼は大阪から千葉までわざわざ来てくれて、飲みに行ったり、一緒にディズニーシーに行ってトイストーリーマニアに乗ったりした。

幕切れは簡単で、「弄ばれているような気がする」と言われて、彼との関係は終わった。

弄んでいる気なんて1 mmもなくて、単純に、「今日はゲイの友達と遊びに行く」とか、「今週はやることがあるから会えない」とか、そういうことを報告していただけだった。ぼくが自由に行動しているということに対して、彼が勝手に疑心暗鬼になっただけのことだった。

彼から連絡が来なくなり、「まあ、そういうこともあるのか」と思って、ぼくはぼくの日常に戻った。ごめんね、と言ったけど、きっと彼にとっては、それすら「ぼくが彼を弄んでいる」というストーリーに勝手に組み込まれてしまったんだろうな。そんなことないのに。

 

 

昔から、誤解を受けやすかったような気がする。「被害妄想」はとても嫌だけど、キャラクター付けしやすい容姿と性格なのは事実だと思う。

「綺麗売り」とか、「あざとい」とか、まあ要は「かわいこぶってる」的な扱いをされることが多くて、それはぼくの顔が童顔&割と八方美人で良い格好しいだからそう思われやすいんだと思う。

ぼくは人に嫌われることとか、人を傷つけることとか、人に怒られることが本当に苦手だ。だから人の求めるものを敏感に嗅ぎ取って、なるべく自然な感じに提供するよう努力する。「計算してる」とか「かわいこぶってる」キャラクターとして認知されると、「自分が人に阿諛追従した結果なんだな」と、納得する気持ちと、一方で、「それがぼくの本質じゃない」と反発したくなる気持ちが入り混じる。

好意的にいじられるのなら嬉しいけど、そういうキャラクターとして押しこめようとされることも多くて、「それは誤解だ!」と思う気持ちもとても大きい。自分のことを誤解されたくなくて、「中身は割とおやじですよ」とか、「ご飯はひとりで食べること多いし、お酒はビールでも焼酎でもなんでも好きです」とか、よくわかんないけど「かわいこぶってる子」とはかけ離れていそうなイメージを提示しもしたけど、それすら、「あ~そういう感じね」と、全部、「かわいこぶってる」のイメージの中に放り投げられてしまって、余計にその属性を強くされもした。

「その売り方じゃいつまでもやってけないよ~」と冗談半分に言われることがある。その度、「売り方?」と思う。ぼくはぼくでいるだけだよ、と思う。ゲイの人はよく、自分を「売る」という表現をするけど、ぼくはそれが意味わかんなくて、「売り方を考える」とか、「いやいや。そもそも誰にも売ってねーし」と思ってしまう。誰かに好かれるための自分がメインなんじゃなくて、自分が思う自分が最初にあるじゃんと思う。

もちろん、人からよく思われたいという気持ちはある。

でも、そこがメインじゃない。「人からよく思われたい」って気持ちなんて、誰でもあると思うのに、ぼくだけ相手の勝手に用意したストーリーに乗せられて語られる意味がわからなかった。何を言っても、その枠の中にはめられてしまう。そういうやりとりを繰り返して、そのうち自分の誤解を解くなんて無駄な努力だなと思うようになった。そのイメージも含めて、自分なのかもしれないと思った。その用意された自分イメージにあえて自分から乗る方が、楽にやり過ごせる場面だっていっぱいあった。自業自得かもしれない。でも、それでも、勝手に相手が用意した「かわいこぶってる子」という像に無理くり当てはめられて語られるのは、理不尽だと感じた。ぼくはぼくなのに。ぼくは、キャラクターとか属性とかの前に、ぼくの意思にしたがって生きているのに。

 

 

人が人のことを「わかる」なんて、ありえない話なのかもしれない。

人々が大森靖子について語るとき、椎名林檎について語るとき、宇多田ヒカルについて語るとき、お前は一体何を知っているんだと思う。

ひとつの発言を取り上げて、そのニュアンスも真意も文脈も全部なかったことにして、記号的で味のしないそれを振り回して暴力的な論を繰り出す。その場に大森靖子椎名林檎宇多田ヒカルもいないから、「違う!」と言える人はいなくて、自分の都合の良いように機械的に言葉を解釈して、一瞬を永遠とか絶対にして、自分の主張を強化するための材料にする。

「靖子ちゃんは、わかってくれるんだ」って言う。

ごめんなさい、ぼくはそういうことを平気でしてしまう。ぼくが「嫌だ!」って思ってたことを平気でしてしまう。「人をイメージで語るな!」って言っておきながら、枠に当てはめて、語ったり扱ったりしてしまう。人を捉えるとき、雑なイメージみたいなものとか発言の一部とかをピックアップしてしまうことも、多い。されたら嫌なことなのに。

でも、誠実でいたいなとは思ってるんだ。意図的に、誰かを傷つけたり、馬鹿にしたり、貶めたり、そういうことをしたいなんて思ってないんだ。イメージに人を当てはめてしまっても、それは無意識にしてしまっていることで、悪気があってのことじゃないんだ。

その無意識に後で気づいて、それから発した「ごめんなさい」って言葉すら、「被害者ぶってる」なんて言われたら、ぼくはどうすればいいんだろう。なるべく、人を傷つけたり、怒らせたりはしたくなくて、平和に和気あいあいとやってたい、みたいな気持ちなんだけどな。

でも、「悪気ない」って一番性質が悪いよね。悪気なければ、傷つけていいんすかっていう。

 

気持ち悪い。

 

人と関わると、ふざけんなって気持ちと、愛してるよって気持ちと、ぼくは悪くないって気持ちと、楽しい気持ちにさせたいなって気持ちと、いろんなのが、全部全部、嘘偽りなく混在していて、そのどれもが本当だから、怒られると、吐きそう。

泣きたいし、実際泣くし、ごめんなさい、って言うけど、それは全部、自己弁護してるだけなのかな。「被害者ぶってる」って、本当のことかもしれない。ごめんなさい。あ、また自己弁護。

でも、自己弁護じゃなくて「ごめんなさい」してるぼくもいるんです。愛してるよって、思ってるぼくもいるんです。気持ち悪いですね、そういう自分ばっかり出すようにしてるから、「本当はそんなこと思ってもないくせに」って思われちゃうのかもしれない。

でも、本当なの。別に信じなくてもいいよ、クソがって思うけど。

 

“I love you

 I love you

 I love you

あとはつまらないことさ”

 

靖子ちゃんの “I love you” って曲の歌詞。

I love you 以外はつまらないことなんだって。

ぼくの、つまらなくないことを、なかったことにしないでほしい。

 

ぼくの気持ちとか性格とか人間性とか勝手に都合よく補って悪者にしないでよ!!!

なるべく誠実に伝えるように頑張るからさ!!!

だからぼくにも伝えてよ!!!

面倒でもぶつかり合わなきゃ本当じゃないでしょ、一方的に言い逃げとかしないで言葉を丁寧に放って向かい合わせてくださいなかったことにしないで!!!!!

 

 

傷つけて本当にごめん。