赤い、あまい、やわらかい

「切ないなって、思ったの」

僕たちは日比谷公園にいて、秋で、ベンチに座って空を眺めていた。手を繋ごうか迷ったけど、やめておいた。君の言葉に、うん、と相槌を打った。

ベンチのすぐ後ろには柵に囲われた広場があって、すべり台やブランコなんかの遊具が点在していたけど、開放時間は終わっていて、辺りには誰もいなかった。公園の中はしんとして、太陽がいなくなった空はあたたかな金色と、端の方に赤が滲んでいた。

「知ってる? こういうのって、マジックアワーっていうんだって」

僕はもう一度、うん、とうなずいた。知ってるよ、綺麗だよね。

「マジックアワーって、やっぱりすぐ終わっちゃうのかな。綺麗なものって、だいたいすぐ終わっちゃう」

君が感傷的になるなんて珍しい、と僕は思った。隣で、あどけない顔で空を仰いでいるだろう君の表情を想像した。君は美しいものを見るとき、いつも眠そうな顔をするから、今もきっとそうなのだろうと思った。

「さっきまでいたカフェで、ふたりしてロールケーキ頼んだでしょ。あれにたっぷりついてた生クリーム、やわらかくてあわあわだったよね。あれもすぐ消えちゃった」

あわあわ、という表現が君らしくて、口角が思わず上がってしまう。ふわふわ、じゃないのか普通。

「なんだか、そういうのって切ないなって、思ったの。すぐ消えちゃう系のやつ。雨上がりの道路に光が反射して、歩くと線香花火みたいにキラキラ光るのとか、夏に蒸し暑い部屋で飲む、サイダーに入った氷とか、新幹線に乗ったときに流れていく知らない土地の景色とか、手のひらの上で溶ける雪とか、流れ星とか。マジックアワーもそう。すぐに終わっちゃうけど、すぐに終わるから、綺麗だし切ないよね」

たどたどしく話す君の言葉を、僕は好もしいと思った。こうして会うのは今日で最後だけれど、僕は君の話すことを、できるだけ長く覚えていたいと思った。たとえすぐ消えてしまうから、綺麗なのだと言われても。

僕はずっと空にやっていた視線を下げて、地面に目をやった。雑草がまだらに生えていて、焦げ茶色の地面が見え隠れしている。空の色を映してなのか、ほんのりと景色がオレンジがかって見える。単純に、ずっと空を見ていたせいかもしれない。僕は、ベンチに座った際に手を繋がなかったことを、少し後悔していた。君が、すう、と小さく息を吸う音が聞こえた。空気は乾いておらず、少し湿っているくらいだ。かすかな草と土の匂いが、撫でるような風に乗って運ばれてくる。君が口を開く。

「すぐ終わっちゃうものは綺麗。そう。綺麗なんだけど……」

そこで言い澱み、君は黙ってしまった。今日の空に雲なんてないのに、何かがそこにあるみたいに、ひとつの方向を見つめたまま黙っている。でもそれは、君が言葉を選んでいる時間なのだと僕にはわかる。自分にとってしっくりとくる言葉を選んで、相手にきちんと考えていることを伝えようとする真摯さが、僕は好きだった。もう、しばらく、もしかしたら永遠に味わえないかもしれない君のその沈黙に、僕は目をつむった。ゆっくりと、時間が優しくも冷酷でもない正確さで僕らの上を通っていくのを、じっと待った。

少しして君は、こちらに顔を向けた。ずっと空の方を見ていた視線を僕に移したから、君の目に移る僕の顔は、少しオレンジがかっているかもしれない。

「人と人との関係は、終わらないから綺麗なんだと思うの」

言葉の続きを促すみたいに、なるべく優しく、僕は首を僅かに振った。

「たとえば、君とはもう、今日で会うのが最後だよね。でも、きっと死ぬまで、もしかしたら死んだ後だって、ふたりで紡いだ関係は終わらないんじゃないかな。明日以降、お互いがお互いのことをどう思ってるとかも含めて、お互いのことを忘れちゃっても、一生、この赤くて綺麗な空を一緒に見た関係だってことは、変わらないし、終わらないと思うの」

君の目はまっすぐで、そのてらいの無さに、ぼくは何度だって驚く。そして、救われる。手を繋げなかったけど、それもいいか、と思う。この時間を、一瞬一瞬の、暮れていく空を、共有できたことが真実なら、それでいいかと思う。

「綺麗なものはすぐ終わるから切ないけど、僕たちの関係が終わらないなら、それも少し、切ないね」

君は照れたように、困ったように笑った。

「君が通り過ぎてきた、すぐに消えたり終わったりするもの、すべてが大切だよ」

「うん。ありがとう」

「ありがとう」

いつの間にか空には夕闇が満ちていて、赤色は消えてなくなってしまっていた。世界の向こう側から、孤独と幸福を押し固めた羊羹のような、やわらかくて底無しにあまい色をした夜がやってきている。

僕はベンチから立ち上がって、君に言う。君と過ごした世界に、言う。

「さようなら。本当にありがとう」