きれいな執着

仕事帰り、新宿駅の南口で待ち合わせをする。

君の髪が随分短くなっていることに気づいて、似合ってるよと言う。ありがとう、と言われる。

テニスのガットを張り替えるためだけにわざわざ新宿まで来たと言う君に、何それ、と笑ってみる。普通じゃない? と君が言う。

降りたことのない駅で降りたい、という、ただそれだけのわがままで、東京メトロ丸ノ内線に乗る。荻窪で降りようかと言っていたけれど、もっと近いから新高円寺で降りた。

新高円寺」って、なんか「高円寺」より強そう。「改高円寺」とか、「真高円寺」とかも、ありそう。

そう思ったけど、恥ずかしいから口にしなかった。

その駅に降りるのは、ふたりとも初めてのことだった。それが嬉しかった。

 

新高円寺は、大したことのない駅だった。スーパーや不動産屋はあるけど、肝心の飲み屋はほとんどなくて、結局、ぼくたちは高円寺駅の方に向かって歩いた。

まっすぐの道は、下り坂。ラーメン屋を横目に見ながら、君が地形に関してよくわからないことを言う。台地なんだ、とかなんとか。

もしかしたら、谷かもしれない。ここに川が流れていて。

そんなこと、考えもしなかったから、見えている世界がこうも違うのかとぼくは思った。やっぱりそれも、嬉しかった。

 

高円寺駅の周辺は、金曜の夜なのに大して混んでいなかった。

居酒屋はたくさんあって、ぼくたちは一軒一軒、店を吟味して歩いた。

ぼくは日本酒かワインを飲みたい気分だった。ホタルイカのサラダを出している店があって、とても惹かれた。でも歩いているうちに、一杯目はどうしてもビールを飲みたくなった。焼肉屋が何軒もあって、道沿いの看板に写された写真を見るうちに、ふたりとも、焼肉を食べたい気分になった。

飲み放題が2時間で880円の店があったから、安いね、と言い合って入った。

安い焼肉屋と思って、あまり期待していなかったが、その店は和牛を扱う店だったようで、思いの外、メニューは豪勢だった。

生ビールは、ハイネケンが置いてあって、ぼくはそのビールにあまり美味しいイメージがなかったのだけど、その店で飲むそれはとても美味しかった。一杯どころではなく、焼肉屋にいるあいだ中ぼくたちはハイネケンを飲み続けた。

「瓶だとあまり美味しくないけど、生は旨いんだよ」

君がそう教えてくれた。

「ホルモン食べられる?」

「うん」

「セロリ食べられる?」

ぼくがうん、と言うと、

「好き嫌いあんまりないんだね」

と言われた。なんだか、誇らしい気持ちになった。

大きなカクテキ、セロリのキムチ、ハヤシライスみたいな味のする牛筋の赤ワイン煮込み、ホルモン(焼き具合で油の量を調節できて良いんだよ、と君は言った)、和牛の盛り合わせ、上ミスジ、あとハイネケンとマッコリ。

たらふく飲んで、たらふく食べた。社会人ぶって、お代はぼくが出した。君がトイレに行っているあいだに会計しようと思ったのに、スマートにできなくて笑われた。

 

 

 

生きている証が執着そのものなのだとしたら、ぼくは、きれいに執着してたいな。

何かに執着するのは、格好悪いことだと思っていた。

何にも執着しないで、自由に、すべてを忘れて生きるのは格好いいけど、ぼくには忘れたくないことがたくさんある。山ほどある。それは増えていく。

そのときどきで、ちょっとずつ、どうせ忘れていくのだから、忘れたくないことを大切にすることだっていいのかもしれない。

きっと全部、極端なのは苦しいんだ。

ぼくは真ん中で生きていきたい、軽やかに、楽しく、喜んで、ご機嫌に生きてたい。

きれいに執着して、きれいに手放して、ぼくのすべてはぼくが決められることを、確かめながら、生きていきたい。

 

あの日、二軒目に行ったホタルイカのお店で、君が選んでくれた鳥取の赤ワインはすごく美味しかった。