目印をつけて

ひとりでどこかに行きたい、と思い、家を出た。

海が見たい、夕陽を眺めたい、と思い、立石公園というところに訪れた。JRの逗子駅を降りて、そこからバスに乗って20分ほど揺られて辿り着く。バスはとても混んでいて、ぼくはその中で “デッドエンドの思い出” という、よしもとばななの小説を読んでいた。短篇集で、昔一度読んだことのあるものだった。

そこに着く途中、バスは海沿いを走っていて、だから空が夕焼けていく様子がよく見えた。すうっと通った水平線の上を、はけで描いたように小さく雲が浮いている。

バスを降りると、波が寄せたり引いたりする、低いざばぁという音が聞こえた。綺麗な夕陽が見られるということで有名な場所らしく、浜に降りていく人がたくさんいた。

砂浜には、ゴールデンレトリバーを連れた夫婦や、夕焼けがよく見えるよう、少し小高くなった岩の上に立つ恋人たち、波打ち際を追ったり逃げたりして遊ぶ子供たちなんかがいた。ぼくは少し岩場の方へ移動して、ゆったりと、夕陽が落ちていく様を眺めていた。直接見つめるには、夕陽の光はあまりに眩しくて、軽く目をつむった。まぶたを閉じていても、強い光が見えるのはどうしてだろう。じんわりと、やわらかく目の奥に滲む。軽く目を開いて、それから、夕陽のとなりの山が描く稜線、曇りのない青と橙、そのあわいのうす白い部分を飛ぶ鳥の黒さなんかを、ぼうっと眺めていた。

「立石公園」という名の通り、大きな岩が、立ったような姿で岩場にそびえていた。その後ろに落ちる夕陽を美しく捉えようと、三脚を立ててカメラを構える男の人が、何人かいた。

太陽は、ゆっくりと、しかし確実に落ちていく。

ぼくの隣にいた家族のうちのひとり、男の人が、

「沈んでく、ほらほら、沈んでく沈んでく」

と言う。

「もう半分くらいまできたね」

と子どもが言う。

そこからは、あっという間だった。夕陽の、強い強い光はあっという間に点になり、そして僅かに小高くなった地平線の向こうに消えた。

夕陽の名残りが空に溶けて、陽が落ちた地点の上が明るい橙色にうっすら光っている。

人々の多くが、踵を返して浜を去っていく。ぼくはそのまま、しばらく暮れた後の水平線を眺めていた。携帯で写真を撮ってもみたけれど、画面に写るそれは、この目で見た景色にまったく肉薄しなかった。

波の音と、そのはざまにある静けさが、今も耳の奥に残っている。

 

 

 

大きな自然に触れると、すべてが流れの中にあるんだと感じる。自然に委ねようと思うし、自然に委ねたらこんなところまで来てしまった。

 

誰かと突然に出逢って、大切にしようとしたり、うまく大切にできなかったり。初めてではない別れに、初めてみたいに傷ついてしまったりもする。どうしようもなく動揺する。

 

もしかしたら、過去、ぼくが違う選択をして、そしたらもうちょっと今とは違う形で、一緒に、幸せに過ごせたかもしれない人。ぼくたちはこうして離れ離れで、それぞれの場所で生きてる。ぼくはたくさん間違えて、そのときどうしてその行動を選択したのか、利己的な気持ちだけではなかったことを、誰かにわかってもらいたがってる。

 

 

 

生きていく中で、色々な想いを抱えることは、避けられないことだと思います。それは傷となり、痛みとなり、哀しみとなって、心に残るかもしれない。

自分自身の意思や選択では、どうにもできない哀しみもあります。世界は、本当に、夜にごうごうと流れる川の鈍い光のように、ぞうっとするような怖さを含んでいる。

 

 

“ぼくたちは、次の瞬間なにが起こるかわからない世界にいるわけじゃないですか。次の瞬間、というと大げさに聞こえるのなら、「明日なにが起こるかわからない」でもいい。そういった世界に過ごす中で、なるべくなら楽しく嬉しく過ごしたいし、人と愛し合って生きたいと願うのは当然のことだと思うんです。それでも、うまくいったり、うまくいかなかったりする。その全部が美しいって言えてしまうような、そんな小説を書けたら最高だなと思うんです。今というこの瞬間が、だれにとっても初めてのもので、だから不安で、心細くもなるけれど、そこを勇気を持って楽しむ、そんな力を与えてくれる小説を書きたいと思いました。”

 

 

ぼくは真剣に生きたいと思いました。

それは、これまでもそうだったけれど、より強く。これは切実な想いです。

真剣に、誠意を持って生きていくとしたら、正直にならざるを得ない。楽しく笑って生きるためには、自分の生き方に責任を持たざるを得ない。

 

 

穴ぐらに逃げ込んでいる暇はない。

 

 

覚悟が必要だと思いました。

哀しみをなかったことにするのではなく、ぼくは新しくなっていきたい。

過去と今の対比の中に哀しみが生じるなら、ぼくは今に焦点を当てたい。歓びはいつも “今” あることを、ぼくは既に知っている。

 

もっと殴られたい。もっと曝け出したい。

すべてを初めてのように感じたい。ちゃんと傷つきたいしちゃんと喜びたい。勇気を持って。自信を持って。

愛する人の幸せを願い、出逢う人に愛をもって接するしか、ぼくの選ぶ道はない。

もちろん、ぼくはまだまだ未熟で、幼稚で、子どもかもしれない。

それでも、いつまでも甘えていてはいけないと思いました。自分の未熟さや、幼稚さに。

 

 

 

ぼくは、ひとつひとつ、忘れていく。

だから、ひとつひとつ、目印をつける。

ぼくだけにわかる、ぼくだけのための、目印。

惑っていた自分さようなら。

 

ぼくの愛する人が、それぞれの場所で、笑ったり俯いたりしながら、美しい朝の光を浴びていますように。