2021年9月20日(月)の日記

一日中ずっと心がざわざわしていた。

きのうの朝、江國香織の『落下する夕方』を読み終えたからかもしれない。空腹なまま本を読んでしまうのは危ないことだ。空腹な状態で小説に触れると、自分のからっぽの体に、深く、言葉が入りこんでしまう。自分の空白の輪郭を撫でるように降り積もる言葉は、内側からふつふつと、水が沸騰するときのように心を波立たせる。

落下する夕方』の言葉は、しずかで、澄んでいて、あかるくて、絶望的だった。一度読んだ小説だから結末は知っているはずなのに、ひたひたと満ちていく潮のような悲しみに、いつのまにか体をとられていて、身動きできなくなってしまう。

 

最近は昔読んだ本を読み返してばかりいる。

西加奈子『こうふく みどりの』『こうふく あかの』『白いしるし』、エーリッヒ・フロム『愛するということ』、江國香織落下する夕方』、それから新しく村田沙耶香『地球星人』。

同じ本を何度も読みかえす、というのも、良いものだと思う。心の状態は毎日ちがうので、読むときによって感じる部分は変わる。作品の印象も変わる。

小説を読むことは、その世界に自分も行くことだ。旅に似ているのかもしれない。かつて訪れて好きだった場所には、何度も足を運びたくなる。危険な場所であっても。

江國さんの小説は、特に旅をする気もなく浅瀬で遊んでいたつもりでいても、景色の美しさに目を奪われているうちに、もう後戻りできないくらい遠くの沖に出てしまっていたりする。

「いつのまに、こんなに遠くにきてしまったんだろう」

そう思うのは、戻れるはずもなく、戻るつもりもないときだけだけど、そんなときは決まって誇らしさと孤独を感じる。強く、感じる。

 

昼間、回転寿司を食べ、近所の初めて行くカフェでカヌレを食べ、スーパーで安いバラを買い、携帯のプランを変え(てもらい)、新しいパソコンを注文した。携帯やパソコンに関する設定とか諸々がすごく苦手で、キャリアとか格安SIMとかHDDとかメモリとか、よくわからない。よくわからないのに、やたら手間と時間がかかるから、さらに嫌いになる。苛々してきてしまう。だから詳しい人に任せる。

理系で大学院まで行ったのだから、恐らく学ぼうとすれば理解はできるのだろうけど、理解しようとする気が起こらない。インターネットを使うためにこんな思いをするなら、しばらく(1ヶ月とか)インターネットを使わない生活で結構です、と思ってしまう。だから詳しい人に任せる。ありがとう詳しい人。

最近、携帯をあまり触らないようにしている。そうは言っても、休みの日のスクリーンタイムは2時間くらいになってしまうが、以前よりは短くなった。すこし前にインターネットに辟易して、もうしばらくインターネットいいや、情報要らない、と思った。しかし翌日通勤したとき、世界の情報の多さに驚いた。『こちらにお並びください』『6両目2号車』『アピールしなくても評価される職場』『1,000円で90分の脱毛が受けられる!』『あなたの価値がここにある』。気づいていなかったけれど、電車に乗って会社に行くだけで、これだけの情報に取り囲まれていたのかと、認識した。

「見られる私」に疲れたので、必然、小説を読むか書くこと中心の生活になった。たまに瞑想もする。20分間、静かな部屋に座って目をつむる。目の前に白いスクリーンがあるイメージをする。「なにもしない」に集中することは今の自分には難しく、しかし瞑想をするとその後の行動がはかどる。「揺れる自分」を落ち着かせることができる。継続しようと思っている。

でもきょうは、一日を通して、小説が一文字も書けなかった。読めもしなかった。姿勢も悪かった。かなり猫背だ。心がざわざわしていた。

 

あまりに気持ちがざわざわするので、18時過ぎに外を走ることにした。

家を出ると、低い位置に、とても大きな丸い月が見えた。満月だった。やはり、と思った。

朝起きたとき、顔がぱんぱんにむくんでいたし、こんなにも心がざわつくのは、満月のせいだったのだと得心した。しかし得心したところで心のざわつきは治まらないので、走ることにした。

吐きそうなような、泣きそうなような、叫びたいような、抱きしめられたいような、知らない場所に行きたいような、誰かとデートに行きたいような、眠りたいような、そんな気持ちだった。心許なさと、不遜なほどの強気と、矛盾する感情の入り交じった心。

低くて、黄色い大きな満月の反対の空には、夕暮れの余韻を残した深い赤が残っていた。そちらの方向に向かって、走った。川を渡り、公園を通り、住宅街に出た。本当は叫びたかったが、周囲の人に恐怖を与えてしまうといけないので、控えた。走り疲れたので、あとは歩いた。木村カエラのアルバム『HOCUS POCUS』の “season” 以降の流れを聴きながら歩いたら、すこし落ち着いた。

あの人に会いたいな、と思った。もう一生会わないだろうな、と思った。赤は空から消え去って、一様な藍色になっていた。のっぺりとした藍色だった。満月のせいか星もあまり見えず、きれいな空ではなかった。

 

夕飯を食べた後、近所の銭湯に行った。湯が44度くらいでとても熱く、のぼせる前に水風呂に入り、また熱い湯に浸かる、ということをしたら、サウナ→水風呂→サウナをやったときのように脳みそが溶けた。恐らく世に言う『整った』状態になったのだろうが、これは『整った』ではなく『歪んだ』なのではないか、と思った。

銭湯から出ると、外は涼しく気持ちよかった。事前にコンビニで買った紙パックのルイボスティーを飲むと、さきほどの切羽詰まった気持ちは、かなり陰の方へとなりを潜めていた。あ、確かに『整った』のかも。と、思った。

 

銭湯から帰るころには、月はかなり高くまで昇っていた。家の近くで、ぼんやり2, 3分、満月を馬鹿みたいに見上げてから帰った。雲に隠れても、強い光を放つ満月ははっきりと透けて見えて、美しかった。星は、ぜんぜん見えないと思っていたが、4つか5つくらいは見えた。きれいな空だった。

 

家に着いてから、以前新大久保で購入し、冷蔵庫に入れていた顔パックをし、YUKIの名盤『うれしくって抱きあうよ』を流しながら、この文章を書いている。

早く寝るつもりだったのに、いつのまにか夜更かしになってしまった。

もう眠ります。すこしずつ、強くなっていけますように。これを読んだ方も、きょうの終わりに安らかに眠れますように。

おやすみなさい。愛をこめて。