2022年6月26日(日)の日記

本当に哀しいことは誰にも言えない。

哀しいから誰にも言えないんじゃなくて、言ってもどうにもならないから。

言ってもどうにもならないから、言ってもどうにもならない。どうにもならないなら、言う意味はない。命は美しい。美しいから命が終わることは哀しい。哀しんでいる人のことを、その哀しみに寄り添おうが寄り添うまいが、哀しみは哀しみのままだから哀しい。同情して欲しいわけでもない、救うことができないことに今更絶望するわけでもなく、哀しいことは哀しい。でも、哀しいことを哀しいと感じることすら、涙することに集中することすら、自分に酔っているだけのような気もして、自分の哀しみを哀しむことは気持ちいいから、気持ちよくなるために涙しているような気もして、でも涙してもしなくても哀しみは変わらなくて、それならと思って下北沢からの帰り道に自転車をかっ飛ばしながら泣いてしまった。イヤフォンの中でYUKIが歌ってる。警察に捕まってもどうでもよかった。無敵の人、というけれど、ぼくはもうほとんど無敵の人だった。愛する人が哀しんでいること、あの人にLINEを飛ばすこともしないで、なにも言えないまま、なにもしていないのと同じ状況でただ泣いている。お前がなにか変えられるのかよ、と言いたかった。言いたかった。なにも変えられないくせに。なにも変えられないくせにって言えば、なにか変わるような気がした。変えられる、余地がまるであるみたいに。別に誰のせいでもない。誰のためにもならない自分が気持ちよくなる文章をこうして打ち込んでいる。YUKIが歌ってる。歌ってる。歌ってる。

朝陽が昇る。金色の光がすべてを照らして、また美しい日が始まる。お腹の中の子は、愛を注がれて、注がれて、愛を力に、愛は無力に、夏が始まる、紫陽花はつい先日まで雫をすべらせて瑞々しかった、いまは夏の光に焼かれて、ただみすぼらしく、愛は愛のままに、なにも変わらない一日が始まって、ぼくはぼくのやるべきことをやるだけだ、やるべきことをやっているか、やっているか、やっているかってまた時間が過ぎていく、母と子の愛しくて愛しい一瞬が過ぎて、わからなくて、またわからなくなって、愛してるって言っても人は死ぬ、死ぬけど、生きて、生きてて、生きてて欲しいって、ただ生きてて欲しいってそんな残酷な願いごとを、残酷だって思っていてもただ美しいんだ。

だって、それが愛だから。

星を探して。星を探して。うずくまるのは、君の胸さ。

誰にもわかるわけがない、わかって欲しいわけでもない、あの子の胸の痛みを、痛みを、ただ分け合うこともできず、知ることももしかしたらできず、でもただ黙って見ているだけでは、いてもたってもおれず、ただ、ただ、指を伸ばして、言葉を探している。

言葉を探している。

ちょうど似合う言葉があったとして、それがなにになろう。なにになろう。それでも言葉が欲しかった。なににも、状況に似つかわない言葉でも、ただあげたかった。笑って。笑っていて。笑っていて。大丈夫。大丈夫って、なんの根拠もなくてもぼくが言ってあげたい、ただそれだけだった。背中に手のひらを回して、さすってあげたかった。なにも心配しないで眠って。そんなことは、到底不可能でも、眠らせてあげたい。おやすみ、おやすみ。ゆっくりおやすみ。

どうかゆっくりおやすみ。愛しているよ。ゆっくりおやすみ。心からの愛を、この過去から未来へ紡ぐ。未来に精一杯叫ぶよ。愛してる。