世界は当たり前に美しくて尊いってことを、忘れないための日記

カーリング女子銅メダル獲得おめでとう~!!!

たまたま今日、夕飯を食べに定食屋さんに行って、そこのテレビでカーリング女子の試合が流れてた。

そこの定食屋さんは、中国人かな? と思われる、ちょっとカタコトの元気がいい女の人と、白髪まじりでにっこり人の好さそうなおじさん、そして大学生くらいの男の子がやっているお店だった。

ぼくがご飯を食べてるあいだ中、その3人はわいわいずっと楽しそうに話をしていた。家族なのかもしれない。女の人が携帯を新しく買ったらしくて、その携帯の話をしたり、女の人が電話で誰かに、「迎えにいくぅー?」とか訊いて、それに男勢2人が笑ったりとか、なにで盛り上がってるのかはよくわかんないけど、幸せな雰囲気だった。

ぼくはジューシーチキンカツ定食を頼んで、それが運ばれてくるとき、オリンピックのカーリングでちょうど、日本はイギリスに3対2で負けているところだった。女の人はぼくに、

「日本負けそうだね~」

と言った。ぼくはカーリングの知識があまりなかったから、そうですねえ、と返したら、男の子の方が、「まだ第7エンドで1点差だからわかんないよ」と女の人に言った。

チキンカツと白飯、それからチキンカツにつけるマヨネーズの量を、いい感じにバランスよく食べることに気を配りながらご飯を食べていると、男の子の言った通り、日本はイギリスをだんだんと追い上げていった。

ぼくが座るカウンター席のうしろのテーブル席で、男の子とおじさんは一緒に座って、2人でテレビを見ながらあーだこーだ言ってた。

「もうちょっと伸びればスーパーショットだったのになー」

「マジで3、4センチの世界だかんね」

「イギリスうめぇ」

ぼくの背中越しの会話を聞きながら、徐々にカーリングのルールを把握しつつ、試合の行く末をぼくは眺めていた。男の子の声かおじさんの声か、どっちかわかんないけど、片方の男の人の声が渋くて、かっこよかった。

こうやって、当たり前に日本人を応援して、ミスに悲しんだり、リードすることに喜んだり、その背後には選手の日々の果てしない努力や練習があったり、相手のイギリスチームの選手のお兄ちゃんが会場に応援に来てたり、それでも全力でお互い勝ちに向かって妥協せず試合を行っていたり、カーリング女子のかけ声に店員の女の人が「なに言ってんのか全然わかんなーい」って言って、男の子が「日本語」って冷たくあしらったり、カーリング女子の選手の顔がみんなめちゃくちゃに可愛かったり、チキンカツとマヨネーズと白飯を完璧なバランスで食べ終えることができたり、そういうの全部に泣きそうになった。

「騒がしくってごめんねー」

会計のとき、おじさんはにっこり笑顔でそう言ってくれた。渋い声はどうやら、男の子の方だったらしい。

「いえいえ! 全然、ぼくもカーリング楽しく見られましたし」

おじさんの笑顔はすっごい優しくて、正直、ご飯の美味しさは普通くらいだったけど、それだけでお腹いっぱいになった。当たり前に美しかった。

おつりを貰って、ありがとうございましたと告げる。

「ごちそうさまでしたー! 美味しかったです」

ありがとうございましたー、と店員の女性とおじさんに言われる。男の子は、テーブルでなんだかパソコンと睨めっこしてた。優しい気持ちで店を出て、コインランドリーで乾いた服を回収、カーリングの結果どうなったかなと思って家に帰ったら、5対3で日本勝ってた。やったね。おめでとう、日本!!

 

昨日の夜、シリアの東グータ地区に住む、15歳の少年が撮影した自撮り動画を見てから、ずっと悲しかった。ずっと悲しくて、辛くて、やるせなかった。爆弾はあちこちで落ちていた。がれきに囲まれた街。壊れたぼろぼろの教室。

「私はMuhammed Najem。15歳です。私は東グータ地区に住んでいます」

という台詞で始まる動画。

 

“We are killed by your silence.”

 

彼はそう言っていた。

『私たちは、あなたがたの沈黙によって殺されている』

車に運び込まれる傷ついた人々。ボールを蹴りながらスキップしている男の子。

『いま起こっていることは、虐殺です』

『グータ地区の子どもたちは、食糧も飲料もないです』

 

 

『人々はシリアで起こっていることのすべてを知るべきです』

 

シリアで内戦が起こっているということは、知っていた。けど、ぼくはすぐに忘れてしまっていた。目の前のことでいっぱいになって、大学のこととか、知人を傷つけてしまったこととか、友人とLINE電話で話すこととか、お酒飲んで眠ってるあいだに顔に落書きされたこととか、きょうのご飯なに食べよっかなとか、そういうので埋め尽くされる。すぐ忘れる。

すぐ忘れるくせに、こういうのを見ると、すぐ泣く。すごく悲しくて、どうして、なんの罪もない人々が、毎日爆弾や銃声に怯えて暮らさなければいけないんだろう、命の保証がまったくない毎日を過ごすというのは、どういう気持ちなんだろう、大半の日本人を含め、シリアの内戦のことをなにも知らずにのうのうと生きているなんて、なんて罪深いんだろう、助けてくださいってこんなに言ってるのに、なんでなんでなんでなんで、って、思ってしまう。

「そういう風に思う自分に、酔ってるんじゃないの?」って、自分を客観視してる自分が言う。偽善者、なんもしてないくせに、いまのいままでずっと忘れてたくせにって、言われる。それでも、涙は止まらない。シリアにいる人たちは、日本にいる人たちと、なに一つ変わらなくて、普通に笑ったり、普通にサッカーしたり、普通に美しいものに感動したり、普通に怒ったり、ご飯美味しいとか言ったり、普通に普通に普通に生きてたはずなのに。普通に生きてるのに。なんも変わんないよ。なんも変わんないんだよ? 人間なんだよ? 生きてるのに、なんでたまたまシリアに生まれただけで、たくさんの人の肉がえぐれたり、血が流れたり、死体がたくさんあったり、友人と離ればなれになったり、家族が死んだり、しなきゃいけないの?

シリアに生まれたのなら、しょうがない。って言うのは、多分、知らないから。想像力、想像力、想像力、想像力。

シリアの人々のことを思うと、「なんて自分は恵まれていて幸せなんだ」と思う。

不謹慎と言われるかもしれないが、そう思う。でも、「あー日本に生まれててよかった、ラッキー」という意味じゃない。いや、ラッキーなのかもしれないけど、そこで思考は終わらなくて、その裏にあるアンラッキーのことを考えてしまって、悲しい。ご飯食べても、お水飲んでも、悲しい。なにか喜ぶことが、悲しい。だって、シリアでは、いまも命の危険に怯えたり、家族や友人の死に打ちひしがれる人がいるのだから。

 

そういう気持ちで過ごしていると、辛い。素直に嬉しいって思えなくなるし、コンビニで、可愛い女の子が、すごい無機質に機械的な接客をしてるだけで、すごく悲しい気分になってしまったりする。部屋で少し泣く。

ぼくは、毎日明るく、できるだけ笑顔で喜んで生きていたいって思ってる。し、ちょっとずつ、そういう自分になれてるとも思う。

でも、たくさん笑えてる自分でもありたいけど、たくさん悲しんでる自分でもいたいし、ちゃんと傷つきたい。ちゃんと傷つきたいし、ちゃんと悲しさに寄り添いたいし、ぼくがシリアの人のことを思ってもなんも変わんなくて、部屋でぼくが泣いた、という事実ただそれだけで、無力で、内戦が起こった経緯とか調べても、それはぼくが部屋でただインターネットいじってるだけで、なんも変わんなくて、でもちゃんと知りたいし、知るべきだし、ちゃんと悲しみたいし、ちゃんと喜びたい。

生きてるってめちゃくちゃ気持ち悪いけど、めちゃくちゃ気持ち悪くなきゃ、めちゃくちゃ気持ちよくなれない。

めちゃくちゃ悲しまなきゃ、めちゃくちゃ喜べない。ぼくは命を燃やしたい。

結局は自分のためかもしれないけど、人のために生きてたい。

日本に住んでる限り、めちゃくちゃ幸せでなきゃ失礼だと思う。でも、現実、日本に住んでる人で「めちゃくちゃ幸せ」と思ってる人少なそうだし、シリアのことなんてあんま誰も言及しないし、他人事だと思ってるし、てかぼくだって一昨日まで忘れてたし。シリアだけでなく、世界にはたくさんの悲しみがあって、それ全部はカバーできないし。でもシリアのことを思うほど、幸せでいなきゃいけないのに悲しくなるし。コンビニの接客くらいで泣きたくなるし。

実際、幸せな人も、シリアのことをぼくの何十倍と考えている人もいるのに、悲しみに呑まれると、そういうマイナスなことを考えてしまう。

だから、やっぱり明るくいたい。誰かやなにか発信じゃなくて、自分発信で、明るくいたいし、明るくしたい。生産性のある思考をしたい。

 

そんな気持ちだったから、定食屋さんで見た景色は、すごーく綺麗だったな。オリンピックの選手のお顔、とても美しかったな。店員さん、みんな可愛かったな。

世界は当たり前に美しくて尊いっていうこと、思い出させてくれた。

世界は当たり前に美しくて尊い

その当たり前は、当たり前じゃないけど、世界は当たり前に美しくて尊いんだ。

ぼくには姪っ子がいるけど、姪っ子とか、生まれたばかりの甥っ子とかまたまた姪っ子とかに、世界は当たり前に美しくて尊いってことを、信じていてほしい。

信じたものだけが真実だから。信じることだけが本当だから。

 

 

 

世界は当たり前に美しくて尊いってことを、忘れないための日記。