2021年6月24日(木)の日記

紫陽花の青紫が褪せるまでひとつひとつつまんで親指の腹で押し潰してゆくとき指の腹にうつる紫陽花の汁なのか紫陽花にうつる指の脂なのかわからないほどに夏は湿度を増してゆき触覚と視覚の境界があやふやになると一瞬の隙間へ足を踏み外してしまう今を今足らしめているものってなんだっけ? 私が私じゃなくなってゆく、あの瞬間に閉じ込められた私に私は二度と会えない、そんなことを考えている私は今に閉じ込められてゆくもう二度と会えない、こうやって私は私からすら隔離されてただただ本当に独りになってゆく、なって「ゆく」というのは時間経過が前提となっている時点で感覚から乖離している、全ての時間は「今」であり「今」はもはや意味を成さない、一瞬の閉じ込められた時間の中で永遠に彷徨い続ける私は私を探したまま探している意味さえも忘れてただ気持ちよくなりたかったけれど気持ちよくなりたかった自分すらいつの間にかなんのために気持ち良くなりたかったのかを忘れてしまうというのはとても怖くて怖いのは私が本当に独りで意味なんて何もないということを知ってしまったから。そうだ気持ち良くなりたかったのは、それを忘れるためだった、いつまでも忘れたり思い出したりを繰り返しながら、同じところをぐるぐる回る、それは怖いから、どうせなら気持ちよくなりたい、それも一瞬のことだ、怖い。知ってしまった。嘘だよ、知ってしまってなんかいないのに知ってしまった気になるのが一番怖い、ということは理性があるから初めて認識できることであって人間は空間や時間を認識しているつもりになっているが人間ができているのは認識ではなく集中なのである。常に自分の腕の感覚を意識している人間がいるだろうか、腕に感覚の入力信号がなければ私は私の腕を認識しない、刺激を知覚したときに私は初めて私の腕を意識するのであってそれはもとから私の腕だったものではない、長い時間をかけて刺激と視覚から得られた情報をもとに私という意識が、私からほど近い位置にある私がある程度自由に動かすことのできる部分に刺激が伝達されたということを私の意識に結び付けて捉えているものを「腕」と呼んでいるのであって、私の本質は腕にはない、同様に私の本質は私の足にはない、私の本質は私の顔にはない、もし目が見えなかったのなら違う刺激をもとに私は腕を私と認識したり足を私と認識したり顔を私と認識したりしたのだろう、私はケサランパサランのようにふわふわと漂う、私が私の感覚器官をもとに認識した私と周囲の空間に存在する物質との関係性でしかない。自分から切り離された髪や爪のことを、自分の本質とは誰も認識しないのに、自分の腕を自分だと当たり前に認識するのは、さらには顔を自分の本質に近付けて皆が認識するのはなぜだろう。そこに必然性はなく、あるのは直観だけだろう。顔には感覚器官が集中し過ぎている。私が私を私足らしめているのは、なんなのか、というのは、当たり、前の、疑問です、が、馬車を馬車足らしめている、のは、車輪でも、馬でも、なくて、馬と、車輪の、関係性なのです、車輪は馬車ではなく、馬は馬車ではありませんが、馬と車輪が繋がって、それに人間が乗ることができるからこそ、それは馬車であって、車輪と馬の関係性、ひいては乗る人間との関係性によって馬車は馬車となる。私を、私、足らしめている、のは、私と、世界の、関係性、です。その中心にあるものを魂と呼ぶのなら、私とは、私の魂と世界との関係性であり、つまりは私が私の顔をどう思っているか、私が私の腕をどう思っているか、私があなたをどう思っているか、私があの人をどう思っているか、それでしかなく、そうであれば私の魂は時間という概念から切り離されている。時間とは変化、変化によらず私の魂は常に一人称、それが私が私であるということ、私であり続けるということ、その絶望、その希望、今を今足らしめているものってなんだっけ? 今を今足らしめているものって私の魂。私が殺したい私の中の私くらい私が選びたい、私は昨日の私にもう会えない、私は一秒前の私にもう会えない、関係性が変化してゆく、私の残像が私からすら見えなくなる、魂は不変なのに浮き世はいつも騒がしく、それは魂から拡張された私が常に移り変わってゆくから、私が殺したい私も殺した私も時を超えて私の魂の中にすでにあったのだし、これからあるのだし、私がどの私を生かすのか、というのは私が今をどう生きるのか、ということと同義であるからして、私が私を知ってゆくのは、私が世界を知ってゆくのは、私が私の魂を知ってゆくということで、私は私の魂を如何様にも導いてゆける。私はどんな私を殺すこともなく、私はどんな自分を生かすかで、つまりどんな生き様を晒すかで私の魂へと近づいてゆく。

 

自分の魂に近付いていかないことは不純ですよ。

いつまで足の引っ張り合いをしているのか。ルッキズムフェミニズムポストモダニズムナルシシズム、ズムズムズムズム、主義主張ありおりはべりいまそかり。

自由ってなんだろう。私達は本質へどれだけ近づけるだろうか。

芸術を愛しているのは、人間の魂の営みだからです、よ。