2023/4/7(金)東京 深夜
乗り換え駅で停車している電車。
電車の端の席で仕切り板に寄りかかるように眠っているひとつの肉塊がある。
まだ26歳くらいだろうか。顔には幼さが残る。髪は直毛で全体にボサボサと広がり、眼鏡をかけている。心底安心し切ったように口を開け瞼を閉じており、口の開き具合を見るとそこに指を入れたくなる。黒い穴。
向かい側の列の端の席、彼の真向かいに座ると少し上向きの顔に拭ったように鼻血の跡がついているのがよく見える。それは鼻から左方向へと掠れて続いている。鼻の穴と穴の間の肌に、強く赤色が残っている。ぶつけたのだろうか。彼は泥酔しているのか微動だにしない。白いイヤフォンが耳から続いて足元へと伸び、それはどこにも繋がっていない。刺されなかった充電ケーブルのように、太ももから垂れ下がっている。呼吸をしていたら少しくらい肩が上下に動きそうなものだが、彼は微動だにしていない。ように見える。私も酔っているから視界が揺れており、彼が肩を上下させているのか、呼吸し肺を膨らませているのかがわからない。自分の呼吸のせいで自分の視界が上下する。彼が呼吸しているかどうか、生きているかを判断するために自分の呼吸を止める。死んだように止める。しかし尚も視界は酔いでぐらぐらと揺れており、彼は死んでいるように見える。見えるだけではなく、本当に死んでいるのかもしれない。電車の端の席に、死体が載っている。両の鼻の穴が、開いた口の奥が、やたらとぽっかり黒く見える。
目の前に死体が座っている。
進行方向右側ドア閉まりますというアナウンスが流れるが停車しているからどちらが進行方向なのかわからない。左へ進むだろうかだとしたら奥のドアが閉まる、と思ったら手前のドアが閉まって、この電車は右に進むのだとわかる。停車しているのに、進行方向右側のドア。ドアが閉まって初めて、これから進行するだろう方向がわかる。
目の前に死体が座っている。
死体は途中から肩が上下し始め(私の酔いが醒めてきたのか)、終点で駅員から回送電車になりますからと言われ、それでも生き返らず駅員に立たされていた。私はそこまで見届けてから離れた。死体がその後どうなったのかは知らない。
4/8(土)成田 昼
成田空港の第3ターミナルは遠い、ということを思い出す。昔、大阪から来た男を見送った後、果てしなく続く通路をひとり帰ったのを思い出す。たしかそのとき、空港の本屋で西加奈子『ふくわらい』の文庫を見つけ、おすすめした記憶がある。その男は律儀に買って帰ったが、読む人を選ぶ小説だし、彼が楽しんだとは思えない。
一昨日羽田空港に行ったときも思ったけど、空港は外国人が多い。当たり前かもしれないけれど、東京の窮屈さから抜け出せるような気がして僅かずつ高揚感が高まる。
4/8(土)熊本 宵
昼前にサンドイッチとおにぎりひとつを食べたのみだったため空腹だった。
スリランカ料理屋に入る。本日のスープ、チキンとダールのカレーを注文。タンカレーのジントニックを注文したが、ジンがいまない、とのことだったためウォッカトニックを代わりに頼んだ。
カレーは1辛~5辛は無料で頼めて、6辛以上だと有料になる。4辛で、と言うと、辛いの大丈夫? と訊かれる。大丈夫、と微笑もうとして口角がうまく上がらず、疲れているとそのとき気づく。
4辛は想像以上に辛かった。次郎系を食べるときみたいに味わうよりも早く次々とスプーンを口元へ運んだ。体力を使う食事だ。ウォッカトニック一杯でまあまあ酔う。
店を出ると肌寒く、夜が黒かった。土地の陰陽の激しさを感じる。死の欲動が強まる。黒いアスファルトへ倒れこみたくなる。
4/9(日)熊本 朝方
デスゲームをしている夢を見た。狭い通路を複数人で走る走る走る逃げる。振り向くこともできないほど必死に走ってしかし次の瞬間死ぬかもしれない、自分が死ぬかもしれない、とかなり切迫した気持ちで目を覚ました。目を覚ましてもしばらく、死の恐怖が消え去ったとは思えず、しばらくベッドの上で身を縮めていた。
昨日に続き快晴。焼けるような強い陽射しが肌を刺し、信号待ちをしながらホテルを出る前に日焼け止めをたっぷり塗って正解だったな、など考える。
美術館の近くのパン屋から芳しい匂いがして、つられて入店した。サンドイッチとトロピカーナ(マルチビタミン)を購入し公園のベンチに座って飲食する。銅像に偉人が並んでいて、それを写真でパシャパシャ撮り続けるおばさんがいた。
熊本城へ向かう道すがら、頭がくらくらする、と思った。空ってこんなに青かったっけ、と思う。すべてが眩く、色がはっきりとしている。輪郭が強固なまま揺れている。
綺麗な曲線を描く石垣を眺めながら、茂った木々の根本の地面を見ながら、そこに血が染みこんでいるような気がする。血の匂い、とまでは言えないが、歩いているだけで鳥肌が立つ。えずきそうになる。鮮やかで美しいが、その裏にたくさんの血生臭い戦いがある。西南戦争。陽がはっきりと強い分、また陰も色濃い。熊本城の暗がり通路。地下の、暗く湿った匂い。
入場のとき「失礼ですが高校生以上ですかー?」と訊かれ、少なからず嬉しくなってしまい自分の卑俗さを感じる。大人です、と答える。私は大人です。
4/9(日)熊本 夜
ホテルで自分の書いた小説を読み発狂。しばらくのあいだパソコン画面に意味不明な文章を打ちこむ。自分の自我が、エゴが、憎かった。エゴを殺したいがエゴがないと文章が書けないというパラドクス。書いても書いても満足できない。本屋に行けば素晴らしい文章が溢れていて、夕方書店を訪れた際は大層うきうきした気分でその空間に身を浸したのに、自分の小説を読み返した途端に自分が存在して書く意義などこれっぽちもないような思いに駆られる。存在する意義が砂のようにぼろぼろと崩落して塵が風に吹かれ消え去る。自分の価値がなくなる。それがいっときのことだとわかっているから大音量で音楽を耳に流し込んでベッドで死んだように横になる。目をつむる。受動的に音楽を聞く。やがて起き上がり音に合わせ踊る。死体のまま踊る。鏡を見て自分の形を確認する。4/7(金)の深夜に自分宛のLINEメモに書きなぐった文章をなぞってパソコンに打ちこみ、なんとか形を取り戻す。
私は言葉の力を借りて私を助けることができる。私は言葉の力を借りてあなたを助けることができる。陰陽のコントラストがあまりに過剰なこの土地で、死と絶望と隣り合わせに生と希望が光っている。