坂口恭平日記 感想

熊本に着いて、空港の外に出ると気持ちのよい風が吹いていた。陽射しの強さに反して涼しさすら感じる。

シャトルバスで市内へ向かいながら植物の多さに感心した。生えている木はどれも力強く、茂った葉を風に揺らし、そのひとつひとつに光が反射してさざめく姿は圧巻だった。東京にはない光景。なんだろう、光が東京のそれとはまったく違う。強くはっきりしていて、空の青さが強い。鮮やか、というのも、彩度が高い、というのも違う。なにか力強いものを感じた。葉のひとつひとつ、草の一本一本が光を反射して、細かくうごめく。道が広く、空が広い。

 

以下、熊本市現代美術館で開催されている展示『坂口恭平日記』に行った際、その場でLINEのKeepメモ(自分宛にメモ用のLINEを送れる機能)を使ってその場で書いた感想。リアルタイムに書いたから、読み返すと「言いすぎているな」と感じることや破綻した日本語もあるが悪しからず。

 

時系列順に記載。

 

 

4/8(土)快晴

“広い絵。開かれている絵。

光が描かれており、時間的な広がりを感じる。海に光が差していれば、やがて暮れていく日の動きやその色を映す海面の姿が脳裡によぎる。しかし、その絵に捉えられているのは暮れる海ではない。

 燦々と日差しの降り注ぐ青さ、眩く反射する光。その一瞬なのだと思う。やがて移り変わっていく景色、生活、時間的にも空間的にもひらかれていて、これから食べられるだろうケーキ、これから汚れるだろうお皿、それに繋がる部屋、海は一辺だけでなく360度広がっているように思う。ただその一点に焦点を当てているような気になる。集中してしまったときの景色のような。”

 

“少し離れた位置から見ているのだが、そうすると隣の絵の色彩が目に入ってくる。ひとつの絵に集中しているつもりでも、隣の、鮮やかな(くすんでいたとしても決定的な)色が目に飛び込んでくる。そちらへ注意を向ける。そうして次々と視線が移っていく。自分の目にパッと入って、そのときその瞬間の気分で良いと思った絵へと移りたくなる。”

 

“そこには別の世界が広がっている。”

 

“絵によって上手い下手がある気がする。”

 

“ずっと眺めていられる。空をずっと眺めていられる感覚と近いかもしれない。勝手に絵の月が動き、沈み、雲が動き、流れ、その奥にある景色を見たいと思う。時間の流れが愛おしくなる、それでいてその一瞬一瞬が愛おしくなる。”

 

“絵を見て「絶景だな」と思う。暮れていく夕闇の空気、震えて光る月。”

 

“同じ景色を見ていると思う。坂口恭平と同じ場所に立って、同じ景色を見ている。”

 

“暑い日だろうと思う。陽射しは激しく、植物が生い茂っている。

 木々の影が道へひたと落ち、植物の影にいると空気が途端にひんやりと湿り気を帯びるが、陽射しはやはり、強い。”

 

“基本的にはずっと3メートルくらい離れて見ているのだが、近づくと途端に鮮明さは失われぼやける。いま書いていて思ったのだが、これは不思議なことだ。近づくとぼやけるのだ。この絶景はどのように描かれているのかと思い、その正体を、種明かしをして欲しいと願って近づくとぼやける。パステルの粗いタッチがそこにある。色彩も思っていたほど鮮明ではない。しかしその色と色の明確な境目、赤と青の境、がはっきりと力強く描かれている。細かくはないが、強いのだ。それが遠くから眺めることで、脳が光を捉えるときのその強さが再現されるのか。”

 

“熊本を訪れたとき、光の強い土地だと思った。熊本市内へ向かうバスの中で、木々の揺れる葉、そこに反射する光のさざめきを見た。草むらは風に吹かれ細かくどよめいた。細かすぎるものは認識しきれないという脳のバグが起きたかのように、葉や草の揺れる様子はうねうねと何か細かな生き物が触覚をなめらかに動かしているかのようであり、気持ち悪く、そうして圧倒的だった。パソコンのデータで3Dで再現して処理落ちした感じの、なめらかだけれどどこか飛び飛びで、夜中のテレビの砂嵐の白黒がうねうねと蠢くような様子に見えた。視界は常に世界を粗く捉え、それをそのまま坂口恭平は描いているのかもしれない。近くで見ると粗いのだけど、描くときは必然近くで見ながら描くわけで、意味がわからない。”

 

“人は嫌なことがあっても青空を10秒眺めると嫌なことを忘れられるらしい。坂口恭平の描く青は、それと同じような効用があるように感じる。ただずっと、訳もなく、眺めていることができる。それは自然の色や光をそのまま写しとっているということではないか。なんだそれ。”

 

“隣に人がいて、同じ景色を見ているみたい。「綺麗だねー」て言って、ずっと眺めていられる。なんだこの展示は、天国か。”

 

“絵を見に来た、というよりは「美しい景色を眺めに来た」という感じがする。”

 

“とてもじゃないがこの点数を見切れない”

 

“多分展示の高さもちょうど良くて、目線の高さが水平線の高さになっていたりする。途中にある椅子に座って作品を見ると水平線の位置が上になり過ぎてなんか違った。”

 

ちゃぷん、ちゃぷん、と水の音がする。”

 

“美しい景色を眺めて、何度も何度も、その正体を知りたくなる。近づいて見る。懐かしく力強い色たちが並んでいる。”

 

“この世界の美しさを思い出しにいく展示。”

 

“目が霞んでくる。トリップする。近づく。絵の世界に入り込む。自然への畏怖。山の恐れ多さ。圧倒的なもの、自然、世界への恐怖、そして美しさ。”

 

“自画像。ポートレート。アイコン化されたものと内省の世界へ。”

 

“明るくて鮮やかな黄色の空と、濁りマットな質感の紫の沼、湖、境目に生い茂る緑。”

 

“絵をカメラで撮る人々には懐疑的だ。その写真を誰がいつ見る?自分のカメラで見つめフィルターを通し味わうべきだと思う。”

 

“ユーモアとかわいらしさと鮮やかさと哀しみを感じる絵の群。”

 

“内省からくすんだ景色はやがて鮮やかな外の世界へと向かう。”

 

“光を描き始める。”

 

“黒い雲たちをやがて夜が包み、塗り潰す。”

 

“近づいて見ると懐かしい気持ちになるのはなぜだろう。”

 

西加奈子の「あおい」の解説にて山崎ナオコーラが「フィルター外し」と評したが、坂口恭平の絵にもそれと同じことが言えそう。”

 

“それにしてもすごい絵の数。”

 

“そんなことを言いつつぼくも写真を撮りたくなってくる。この景色を持ち帰りたい。”

 

“ずっと見ているうちに段々、世界が絵を近くで見ているときのようなタッチで見始めている気になる。原色で、強く、美しく。”

 

“優しい絵、やわらかな緑、青、目に優しい。”

 

“人の世界に人非ざる者の世界が混じり合う。”

 

“生活への愛おしさが溢れ出ている。”

 

“時折挟まれる抽象画が異彩を放っている。本当に見えている景色として、差し挟まれる。”

 

 

4/9(日)快晴

“綺麗な景色に出会ったとき、日常の中で立ち止まることは少ない。けれど逃し続けてしまったその一瞬を保存してくれているかのような絵画の、瞬間の数々。瞬間の集積が時間で、時間の集積が人生なのだとしたら、この美しい絵画の数々は美しい人生をまざまざと目の前で見せられているような気すらする。”

 

“波の絵をずっと眺めていると、船酔いしたように胃が浮遊してゆらゆらとちょっと気持ち悪い。でも綺麗。”

 

日本画のような陰の深さ。でも日本画のように湿り気はなく、確かで強固な光景がある。光が描かれているからか。”

 

“ともぶれしていくにんげんのかたち。見る角度によって絵柄の変わるカードのように、五重、六重にひとのかおのかたちが重なっている。”

 

“どの人も静かな佇まいをしているように見える。攻撃性を持ち合わせていない、もしくはそういうモードではない人間。落ち着き、湖のように静かな。でもそれは哀しみに似ている。”

 

“思い出の中の人。”

 

“光と、水と、風。”

 

“作為を感じない。具体と抽象のあわい。”

 

“いい風景の中にいるように、欠伸がでる。”

 

“小さくてもどでかい絵。”

 

“絵を見てまぶしい!と感じる。なんだろうこれは。”

 

“走馬灯みたい。”

 

“その日の気温や湿度までわかってしまう。”

 

“水の絵。ずっと動いてるから船酔いみたいに酔う。”

 

“風がどっちから吹いてきているかも、水がどっちに流れているかもわかる。”

 

坂口恭平eyeを、ちょっとだけ手に入れられた気になる。”

 

“絵を見て、景色の中にいるとき、ひとりで見ている感じがしない。必ず、誰かが傍にいる。それは作者?それとも別の?”

 

“「写真みたい」という人がたくさんいてなんだか辟易。”

 

“アトリエのエリアにいくと照明が暖色系。調光がいい。”

 

“見るということは食べるということ。体内に摂取し、何物かを残し、そうして出て良く。光。そして私が変わる。”

 

“熊本城の石垣みたい。色とりどりの石垣、月のカケラ、反射、鏡、青紫色をした優しい闇。”

 

“切り貼りしてるゾーン、近づいてもぼやけないのがいいね。”

 

“光と陰が明瞭。”

 

“近景って感じする。”

 

“切り貼りとパステル画の良いところがどんどん上手く組み合わさっていく。その流れも含めていいな。初めは抽象的な題材から徐々に具体へ近景へと進み、やがてそれらが自由自在になる感じ。見てて楽しい。”

 

“斜めから見た時の立体感がすごい。象嵌ていうの?風景画をそれでやるとすごいね。”

 

象嵌いろんな角度で見られる。楽しい。”

 

象嵌は純粋なパステル画よりも固定感が強い。時間が流れていく感じが弱まる。でも物体の物体感が強くなる。物の存在感。影の存在感。ごろごろと物が転がっている。”

 

“風景画の中に象嵌。なんじゃこりゃという感じ。なんじゃこらずっと見ていられるぞ。奇妙で心愉しい。夕暮れに透ける(透けない)色の正方形と無限の角。”

 

“アトリエゾーンの最後の五つすげえな。目みたいな機械も生で見られてよかった。”

 

“抽象と具象がどんどん混濁して平然と同居してる感じ格好いい。見たままを描いてるんだろうな。”

 

“「目」が彼にとって大事な部位なのだろうか。人を捉えるとき目を中心に据えている?心象風景の中に浮かぶ物の中に人がよぎるとき目が映る。”

 

“改めて見ると天井も高いし余白もすごく広くとった展示なのに、全然そんな風に感じなかった。それはひとえにひとつひとつの絵がもつ空間の広がりと時間の流れのせいなのだろうと思った。”

 

象嵌で取り入れた技法を絵にも適用していたりしてすごい。どんどん色々挑戦して色々なことができるようになっていくその過程までもが見える。勇気がでる。”