2023年10月30日(月)の日記

大事なのは群れないことではない。

群れから距離をとること。

 

群れは体制、組織。ぼくは適応しやすいから、体制に簡単に取りこまれてしまうだろう。

簡単に人を殺す人間になるだろう。

人間は群れの中で、簡単に “群れ” そのものに変わってしまうから。

 

連帯することが良いことなのかわからない。

連帯したくない。

群れたくない。

愛したい。

連帯することと多数決が勝ちであることは、どう違うのか。

連帯する、という言葉につきまとう「多」のイメージはなんなのか。

人はひとりでは生きていけないけれど、無数のひとりとして生きていくことはできないだろうか。

 

群れは、悪者探しをする。

政治的な話をしているように見えても、その実、ほとんどが群れの話で、

だから飽き飽きする。

そんな話をするくらいなら、きょう食べたカレーの話をしたい。

 

 

孤高じゃないと会話もできない。

 

 

怒りを大事にするのは、最悪なことを最悪だったと切り捨てられるようにいるため。

最悪を受け容れるために、最悪を乗り越えた自分を過剰に評価する人生と、

最悪を受け容れないために、最悪に怒り続ける人生。

最悪をなかったことにしないために怒る人。

最悪に引きずられないために忘れる人。

 

じゃあ連帯すべきは、怒りの共鳴ではなく、改善のための学びと対話ではないのか。

 

自由の最終行使が、殺人であることの悲しみよ。

自殺が残された最後の自由の場、であることも、あるのだろう。

荒野のような、人間の自由と尊厳の、恐ろしさよ。

 

「私に意見などというものはありません。

 いつも “どちらか” を選ぶことが恐ろしく、二の足を踏んで、

 ふたつの扉の前で立ち竦んでおります」

 

「怯えた瞳で、じっと見るのです。

 扉がふたつではなく、無数にあることを、立ち竦んだまま、知るのです。

 きっと、

 

 扉がいくつもあることを知って、

 私は一層恐れるでしょう。立ち竦むでしょう。

 それでも見るのです。それぞれの扉の色を、形を、鍵穴を、ノブを、蝶番を、大きさを」

 

同じ扉をふたりで通り抜けることはできない。

ひとつの扉をくぐれるのは、いつも、ひとりだけ。