いつもあなたは笑っているわ

カーテン越しの朝陽がまぶしくて、思わずタオルケットを引き上げる。

薄目でそろそろと時計を確認すると、"6:27" の表示が目に入る。

なんだまだ眠れるじゃん。

朝陽に背中を向けてもう一度目をつむる。

 

携帯のアラームが鳴って目を覚ます。

右腕を伸ばして半ば無意識に止める。

カーテン越しの光はいよいよ力を増し、部屋は電気を点けなくても十分に明るい。

ふてくされた子どもみたいにもう一度目をつむり、うとうとし始めると、けたたましいアラームが再び鳴りだす。

携帯はすでに胸もとにあるから、反射神経で素早くアラームを止める。

 

それを、何度か繰り返す。

 

いま何時?

携帯の画面を見ると、9時32分で、ぼくはゾンビみたいにベッドからようやく抜け出す。

何度も繰り返されたアラームのせいで最後の1時間くらいはごく浅い眠りを眠っていたように思う。

毎日こうなのだから、いい加減アラームの時刻を遅めるか、一発で起きればいいのに。

蛇口をひねって、冷たい水で顔を洗っても、まだ脳は目覚めない。

でも大学へ行く準備を整えて、部屋から一歩踏み出した途端こう思う。

「うわ! めちゃくちゃ天気良くて気持ちいいー! もっと早く起きればよかった」

 

 

何事も始めるまでが億劫で、掃除も洗濯も料理も、どんどん先延ばしにしてしまう。

思えば、小学校の夏休みの宿題もそうだった。

課題になっていた “毎日の記録” なんかも最終日にまとめてひーひー言いながら書いていた。

それはそれで夏休みを謳歌していたのかというと、宿題やらなきゃって頭の片隅で思いながら遊んでいるから、遊びにも集中できずにいた。

なんで昔っからこうなんだろう。

うーん……だって、やる気出ないんだもん!

 

 

きょう、『作業興奮』という言葉を知った。

なんでも、人間の脳みそっていうのは「具体的に動くと気分がだんだんと盛り上がり、やる気が出てくる」ようにできているらしい。

作業興奮には、脳の一部である「側坐核」が関与していますが、実際の行動で刺激されることで側坐核は活発になります。これが活発になるとスイッチがオンされた状態となり、私たちは集中できるのです。”

(引用元はこちら)

つまり、「やる気が出たからやる」のではなく、「やるからやる気が出る」ということか。

お酒を飲むから酔っ払うのではなく、酔っ払ったからお酒を飲むということか。

いやそれは違うか。

 

その昔哲学者のウィリアム・ジェームズが、

“楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる”

と言ったそうだけど、これも同じこと。

まず自分から動く。待っていないで、動く。

しっあわっせは~、あ~るいってこっないっ。だーからあーるいってゆっくんっだね~♪

元々が怠け者のぼくだから、たぶん大きいことはすぐにはできない。小さいことでいいから、毎日「動く」ことを目標にしたい。

少し前に見たCMで、「子どもは一日平均400回笑う。大人になると15回に減る」とやっていた。

「えぇ! 大人少なっ!!」

と思ったのはきっとぼくだけじゃないはず。

たしかに、大人になると仕事やらなんやらで、笑っていい機会って減っちゃうもんね。

それにLINEで「笑」って書いたり、「www」って書いたりしても、実際に笑ってることってあんまりないよね。

それならなおさら、笑えるときに笑っとかなければ! 笑えるチャンスを、逃したくない。

 

 

大好きなYUKIの “キスをしようよ” という歌の一節に、

“楽しいことばかりじゃないはずなのに

 いつもあなたは笑っているわ”

という部分がある。

初めてこの歌を聴いたとき、ホントだ!! と思った。

楽しいことばかりじゃないはずなのに、いつもあの人は笑ってばかりいる。

逆に言えば、あの人はいつも笑っているけど、あの人の周りでだって嫌なことや悲しいことは起きているはずなんだ。

“笑う門には福来る” というように、笑えば楽しくなるし、嫌なことが少しは寄り付かなくなると思う。

でも避けがたい苦労や悲しみだって絶対にあるはずで、それすら笑い飛ばせる人間にぼくはなりたい。

 

やる気がなくてもやる。

楽しくなくても笑う。

悲観主義は気分、楽観主義は意志。

意志の強い、いつも軽々笑って何かを成し遂げる大人にぼくはなりたい。