虚構のベールを脱げ

先月、大森靖子のライブに行った。

大森靖子 2017 LIVE TOUR “kitixxxgaia”』の東京公演。場所はお台場のZEPP Diver City。

彼女の3rdアルバム ”kitixxxgaia” を引っさげたアルバムツアーの最終公演だった。

 

会場に入ると、まずステージに目を奪われた。

床も壁も全体が黒い空間の中で、ピンク色の十字架がステージの上に立っていた。

そしてその十字架を守るように、背後には、青と紫と赤をそれぞれ基調とした、3つの大きな絵がスクリーンのように垂れ下がっていた。祭壇のようだった。

ピンク色の十字架の手前にはドラが置いてあって、それもまた儀式に使う道具のように見えた。

会場に入ってすぐは、お客さんもまばらだったけれど、開演時間が近づくにつれてどんどん人が集まってきた。ライブハウスだからスタンディングで、ステージは思いの外近かった。

なにかに祈るみたいにして、彼女がステージに登場するのを待った。

じっと息を詰めていると、バンドメンバーがステージにやってきて、大森靖子もやがてステージに登場した。彼女は真っ白いドレスのような服と、同じく真っ白なベールを頭にまとってステージに登場した。

 

「感情のステージに上がってこい」

 

彼女はステージ中央のマイクめがけてそう言うと、手に持った桴を大きく振り上げドラを叩いた。

倍音の多い荘厳な音が鳴り響くと、バンドメンバーがコーラスで宗教音楽のような和音を歌い始める。真っ黒なライブハウスの中、そこだけライトで眩しく輝くステージは神々しく、たくさんのファンに見つめられる大森靖子は神のようだった。

神はステージ上からある一点を、じっと見据えていた。彼女の一挙手一投足が、指の動きの一本一本までもが、見逃してはならない瞬間を描いていた。

ぼくは彼女が歌い始める前の、その前奏から既に泣いていた。なんで泣いているのかはよくわからなかった。その日のぼくは特に嫌なことがあったわけでもないし、なにか思い詰めていたことがあったわけでもなかった。

だから、「きっと一曲目だから感動して泣いているのだろう」と思った。

人前で泣くことなんてそうそうないし、ライブに集中しよう、と思って、少ししてから泣き止んだ。

 

でも結局、ぼくはライブ中に2回や3回どころではなく、何度も涙を流した。

一曲目のように「あ、泣きそう」と思って、「感動している」感じで泣くこともあったし、全然泣くつもりなんてないのに、さらさらと汗が流れるような感じでいつの間にか泣いていることもあった。そういうときは、泣くつもりなんてないから、手で何回顔をぬぐってもさらさらと涙は流れ続けた。悲しいわけではまったくなかった。

強いて言うならば、「赦されている」ような感覚だった。

 

 

 

 

 

幼いころから、自分の感情を抑えて、周りの気分を害さないように生きてきた。

周囲から浮かないように、必死だった。周囲から浮かないためのルールには、明文化されたものもあれば、不文明なものもあった。孤立しないためには、所謂「空気を読む」ことをしなければならなかった。

 

まだぼくが幼稚園や小学校に通っていたころ、隣のマンションに住む同級生たちからよく野球に誘われた。

ぼくの家は一軒家で、隣には野球ができるくらいには大きな公園があった。遊具は少なく、同級生はその公園で野球やサッカーをして遊んでいた。

ぼくは家でゲームをしているのが好きな子どもで、運動は苦手だし好きではなかった。しかも誘ってくる幼馴染のグループは皆、少年野球団に入っていて野球が上手く、ぼくは到底そのレベルには届かなかった。

いつも家のインターフォンが鳴るとびくりとした。母親が玄関に出て、幼馴染がぼくを呼ぶ声を聞くのがとても嫌だった。母親に頼んで具合が悪いことにしてもらったり、家にいないことにしてもらったりしたかったけれど、「自分で行きたくないって言いなさい」と最後には諭され、渋々玄関に向かった。

幼馴染の何人かが外に立っていて、「野球しようぜ」と誘ってくる。初めは「あんまり気分じゃなくて……」などと言って断ろうとするも、毎回相手の勢いに押されて断りきれなかった。「野球好きじゃない」の一言が、どうしても言えなかった。仲間外れにされるのが怖かった。

公園でする野球は、「ミスをしないか」という不安を感じながらするから、いつも緊張していた。気の強い幼馴染に叱られ、ときに褒められ、野球が終わって家に帰るとき、いつも安心した。「なんとかやりおおせた」という達成感からか、「楽しかったかも……?」などと思って、自分の行動を無理に合理化しようとしていた。

 

学校では、大人が基本的に正しいと思っていた。

ぼくは先生が言うことをお利口さんに聞き、クラスでは優等生だった。大人は自分のことを認めてくれて、粗野で野生的なクラスメイトとは違う安全な生き物だと思っていた。

だから、みんなが先生の悪口を言うのを聞いて、複雑な気持ちになった。でも周囲から浮かないために、その悪口に乗っかることもあった。いざ悪口に乗っかってみると、前から自分はその先生のその部分は嫌っていたのではないか、という気がした。

自分の本当の気持ちなんて、どこにもなかった。

あるのは周囲への順応だけで、嘘をつくことはとても簡単なことのように思えた。

中学校に入り、好きな女の子の話をするときも、だから嘘をつくことは簡単だった。自分は男が好きなのだとぼくが気づいたのは中学1年生のときだったけれど、中学生のあいだは性に関することにまだ関心を抱いていない純粋な男の子を演じることで乗り切った。本当は好きな男の子がいたし、普通に性にだって興味を持っていた。中学3年生に上がるころには、「性にうとい純粋なぼく」は確実に周囲から浮いていたけれど、男が好きなのだと言うよりは随分ましだった。

 

学校の外では、法律や良心が絶対的に正しいと思っていた。

横断歩道で信号無視をする人は正しくないし、気軽に「あいつ死ねばいいよね」などと言う人は軽蔑していた。

高校生のとき、姉と外出する機会があって、一緒に歩いていると姉が当然のように信号無視をしたので驚いた。

「なんで渡るの」

と訊くと、

「え、だって車来てないじゃん」

と答えられた。

確かに車は来ていなかった。短い横断歩道だったし、危険はなかった。でも、車来てなくたって信号無視は駄目じゃん、と心の中で思った。

ぼくは、誰かになにかとても嫌なことをされても、「死ねばいいのに」とか、「いなくなればいいのに」とか、そういうことは思わないようにしていた。代わりに、「きっとその人にもいい部分があるはず」と思うようにしていた。「嫌いな人いる?」と尋ねられれば、「嫌いな人はいないよー、いるとしても苦手な人かなー」と答えていた。そんな自分が好きで、酔っていたのかもしれなかった。

 

大人になって。

色々なことを経験して、それまで考えていたことが本当に正しいことなのか、疑わしくなってきた。

信号無視がよくないのはなぜ? 見晴らしがよくて左右が1 kmほど見渡せる横断歩道で、左右どっちからも車が来ていなくても、信号が赤なら絶対に渡ってはいけないの? かつて姉を軽蔑した自分が言う。

とても執拗な嫌がらせを受けて、その人をどうしても許しきれない人が、「あんな人なんていなくなればいいのに。死ねばいいのに」と友達に言ったとき、友人が「死ねばいいなんて言っちゃだめだよ」と言ったらその人はどう感じると思う? かつて「死ねばいい」なんて、どんな状況でも言ってはいけないと思っていた自分が言う。

それまでぼくが「ぼくの考え」だと思っていたことは、本当にぼくが考え、感じていたことなのだろうか。幼馴染のグループ、学校の友人、大人たち、法律、社会、国家、世間。いろいろなものの顔色を伺って生きてきた。相手が期待することを感じようとし、いつの間にかそれが「自分の感じていたもの」だと思っているのではないか。

 

幼い頃、友人の野球の誘いを断れなかったぼくは現在、大学の研究室でも教授の顔色を伺って、ご機嫌を取ろうとしてしまう。笑いたくないときにも、愛想笑いをしてしまう。

 

 

 

 

 

大森靖子のライブで、何度も泣いてしまった理由が、ライブに行った直後はよくわからなかった。

ただ、「感動したんだな自分」くらいにしか考えていなかった。

でもそれだけの理由ではなかったような気がして、こじつけでいいから色々と理由を考えてみた。けれどどれも釈然としなくて、ライブに行ってからしばらく、大学に行き、本を読み、友人と会い、ということを繰り返しながらどこかでずっと考えていた。

あの日の気持ちはなんだったのだろう。なんでぼくは泣き続けたのだろう。

そうして生活を続けているうちに、ふと気づいた。

あのライブでは、総ての感情が赦されていたからだ、と。

大森靖子の曲の歌詞は、日常の中で生じたやるせなさだったり、だめだめなときの気持ちだったり、自分の中の劣等感だったり、そういう感情を歌ったものが多いように感じる。それは日常の中で簡単に誰かには見せられないもので、見せるとしてもごく一部の親しい友人もしくは恋人くらいだろう。

でもそれだって、親しい友人に話すほどのことではないかも、恋人に言ったら嫌われちゃうかも、という気がして言えないことの方がきっと多い。気持ちが正しく伝わるかだってわからない。

Twitterに書こうかな、と思っても、「メンヘラ」とか「病んでる」とか思われそうで書けないことの方が多いかもしれない。愚痴アカウントを作ったとして、誰からも見られていないのは虚しい。

誰かに聞いてほしい、わかってほしい、話したい、でも自分のこんな気持ちは誰にも話せない。

誰にだって、元気がないときや寂しいとき、甘ったれたいときはあるはずなのに、それを吐き出した瞬間に「不適切だ」と言われてしまう社会。どす黒い気持ちを受け止めてくれる受け皿が、いまの社会には少ない。だからぼくたちは、その気持ちをなかったことにして、見なかったふりをして感情に蓋をする。感情までもが自分自身のものではなくなり、周囲から求められる偽物の感情をつくる。偽物の感情を合理化するために、偽物の思考が生まれ、偽物の行動をとる。どんどん自分が「自分」から乖離していき、虚構の自分ができあがっていく。

でも、大森靖子のライブでは違っていた。

あのライブのあいだ、確かにぼくは赦されていた。

どのような感情を抱くことも、どのようなことを考えるかも、どのように振る舞うかも。

現代の社会で生活を行う中で抑圧されがちな感情や、振る舞いや、思考を、大森靖子は音楽という芸術に昇華してぼくらに届けてくれる。「こんなことしてもいいんだよ」「こんなこと思ってもいいんだよ」と、包むような優しさで歌ってくれる。

 

ライブの最後、彼女はマイクを通さず、生声でこう言った。

 

「あなたがあなたのことを醜いと思っても、今日私が見たあなたは、嫉妬もできないくらい圧倒的に最高でした! それを覚えていてください!!」

 

 

あのライブのあいだ、ぼくは完全には感情のステージに上がりきれていなかったかもしれない。

周りの人とぶつからないかな、手を挙げたら後ろの人がステージを見えなくなってしまうのではないかな、足下に落ちているペットボトルの水が邪魔だな、拾った方がいいかな、いや拾っても邪魔になるよな、でも誰かが踏んで転んだら嫌だな。

周りを気にして、そんなどうでもいいことをライブ中に考えてしまったりもした。

それでもぼくは涙を流したし、あのライブのあいだはとても生きている感じがしたんだ。

今度、大森靖子のライブに行くときは、もっと自分を曝け出したい、もっと感情のステージに上がりたい。虚構のベールを取り去った自分で臨みたい。

ライブに来ていたファンの方々は皆素敵で、とても曝け出していた。アンコールで靖子ちゃんは「きょうあった嫌なこと選手権」というのを開催した。「きょうあった嫌なことを言って、一番最悪なことがあった人が絶対彼女という曲のソロパートを歌える」という選手権だったんだけれど、当てられたファンの方々は本当に赤裸々なことを語っていて、とても素敵だった。それをみんなが温かく見守っている雰囲気も、とても素敵だった。

ライブハウスの中に、新しい地球が一個、できたみたいだったなあ。

いつでもそっちの地球に住めるように、ぼくもなりたい。

そう、ライブのあいだも勿論だけれど、本当はいつだって虚構のベールを脱いで、感情のステージに上がっていたい。靖子ちゃんが、そっちのぼくの方が最高だよと言ってくれたから。

 

周りに期待されて作り上げられた偽物のあなたより、あなた自身の感情や、思考や、行動で作り上げられた、本物のあなたの方が美しいです。

あなたは絶対に美しいです。

本当に美しい人を、汚いと言わないでください。

ぼくはぼくに誓いたいです。美しいぼくを汚さないでください。

ぼくはきょうも、感情のステージに上がりたくて生きています。