いつか会いましょう ~その2~

前回(いつか会いましょう ~その1~)の続きです。

 

 

 

夏といえど午前1時、外は少し肌寒かった。

知らない街で、真夜中で、お金もない私は途方に暮れて、駅の近くでしゃがみこんでいた。時刻も遅く、お酒を飲んだ後ということもあり、かなり眠かったため、私はしばらくのあいだしゃがんだままうつむいていた。

 

ふと、携帯を見てみると、先ほどまで飲んでいた友人から連絡がきていた。

「いきてる?」

「死んだ~」と返信して、「ぼく電車どこから乗った?」と訊くと、「新宿」と返ってきた。総武線に乗るはずが、間違って反対側の中央線に乗ってここまで来たようだった。

新宿駅に入るときにはSuicaを使って入ったのだから、財布は、電車で眠りこけているうちに盗まれたのだろう。

「どうしよう~」と友人に泣きつきながら、財布をなくしたときどうやって家に帰ればいいかを携帯で調べていたが、携帯も電源残り数%。八方塞がりな状況だった。

 

ここで夜を明かしたとしても、一文無しのためどうしようもない。電車に乗るお金も、ましてやタクシーに乗って帰るお金なんてない。けれど、かなり眠かったし、とりあえずもうこのまま、ここでしゃがんだまま夜を明かそうかなと思い、再びうつむいてうとうととしていた。もう盗られるもんなんもないし、と、半ば開き直っていた。

眠ろうと思っても、眠気はあるのに不思議と眠れず、どうしようかなあ、と思っていると、突然大きな声で話しかけられた。

「おう、どうしたの!」

顔を上げると、陽気そうなおっちゃんが目の前に立っていた。

「俺はね、人のオーラが見えるんだよね。陽なのか陰なのか。すごく落ち込んでるねー」

酔っ払いに絡まれたかと思い、私は少し身を固くした。

「あ、はい……」

「どうしたのこんなとこでしゃがみこんで」

「あ、いや、友達とお酒飲んでたんですけど、千葉に帰るつもりが酔っ払って逆方面に来ちゃって」

どこで飲んでたの、と言いながらおっちゃんは私の隣に腰かける。近くで喋っているのに5メートル離れた人に話すような大きな声は、しかし不思議と威圧的ではなかった。

「新宿です」と言うと、彼は笑った。

「か~!! 馬鹿だね~!! 千葉帰るつもりがムサコまで来ちゃったんだ!!」

オーラが見える、などという彼は、冷静に考えれば怪しい、というかむしろ関わるの危険だろって感じなのだけど、絶望的な状況で陽気に人から話しかけられたことを、私は少し嬉しく思った。

それで、「実は財布もなくしちゃったみたいで……」と打ち明けた。すると、彼はさらに大きな声で笑った。めちゃくちゃ大きな声でガハガハ笑うのだけど、それはただの酔っ払いの下品な笑いというより、心を許した仲間に向ける親密な笑いのように響いたので、私は彼に対して親近感と、それでも少しの警戒心が綯い交ぜになったような気持ちでいた。

「いやでもムサコまで来ちゃうなんて馬鹿だよな~」

とりあえずこれ飲みなよ、と言って彼は私に缶コーヒーを差し出した。差し出された缶コーヒーはすでにプルタブが開いていて、なぜか真ん中あたりがベコンと凹んでいた。

一口すすると、それはすっかり冷めていて、わざとらしい砂糖の甘さが口に広がった。でもそのときは、それが不思議と安心感のある味に思えた。

「なんでここ凹んでるんですか」

缶の凹んでいる部分を指さして尋ねると、

「これさっき酔っ払って何回も道路に放ってたから。缶って以外と硬いのな」

おっちゃんはなんでもないことのように言った。  

「うちに泊めてやってもいいけど、とりあえず警察行こうか。ほら、あそこに警察署あるから」

私がコーヒーを飲み終えると、彼はすぐそこを指さしてそう言った。真夜中で暗かったし、うつむいてばかりいたから気がつかなかったけど、確かに駅の目の前には警察署があった。

やはり、彼は酔っ払いではなくて親切な人の好いおじさんなのだ、と私は思った。

 

警察署には無表情で少しだけ体格のよい女性警官と、優しそうだけれど冴えない色黒の男性警官がいた。

「こんばんはー」

私が男性警官の方に事情を話すと、彼は遺失物届けを奥から持ってきて、ペンと一緒に渡してくれた。

私がそれを書いている横で、おっちゃんは大きな声で喋りはじめた。

「ねーちゃん、こいつおもしれーんだよ! 千葉まで帰ろうとしたのになぜかムサコまで来ちゃって財布ないんだってよ!!!」

なぜか少し嬉しそうに喋る彼の声は、酔っているのかもともとなのか、やはりとんでもなく大きくて、私は彼が警察に捕まるのではないかとハラハラした。女性警官がおっちゃんに、「うるさいんで、少し静かにしてもらえますか」と無愛想に言うと、「別に悪いことしてるわけじゃねーんだからいいだろ!」と返すものだから、私は苦笑しながらも内心は本当にドキドキしていた。

「いや、うるさいんで。5デシベルくらいで話してもらえませんか?」

女性警官は彼のことをただの酔っ払いだと思っているのか、至極冷静だった。彼女の声は、3デシベルくらい。

「ねーちゃんは名前なんていうの?!」

相変わらずおっちゃんは、100デシベルくらいで話すけれど、女性警官ももう諦めたみたいだった。

「え、私ですか? ……私は三浦です」

「三浦ちゃん! 三浦ちゃんはもっとヒューマンを出した方がいいよ!!!」

ヒューマン!!! ヒューマンて!!! 私も笑ったけど、三浦ちゃんも少し笑っていた。

遺失物届けには、財布の中に入っていたカードなども書かなければいけなかったけれど、何が入っていたのかうろ覚えな上、眠気と酔いで面倒になっていたので私はそれを少し適当に書いた。

三浦ちゃんは私の事情を聞くと、「一応、警察でお金貸すこともできますよ」と、やはりぶっきらぼうに言った。

「そうなんですか?」

「家までいくらかかります? 千円くらいなら貸せます」

彼女がそう言うと、

「あー、大丈夫、今日は俺がなんとかするから」

とおっちゃんが言ってくれた。彼は私の面倒を完全に見てくれるようだった。

「もしかしてそれって、ラグビーの××ってブランドのやつですか」

三浦ちゃんは、おっちゃんの服装を見てそう言った。あ、三浦ちゃんヒューマン出し始めてる、と思って私はちょっと笑った。

「あー、よく知ってるね! そうそう、ラグビーの××のやつ。動きやすいからいいんだ」

「でもそれ高いですよね」

「三浦ちゃんラグビーやってたの?!」

「いえ、でも動きやすいんで、いいなと思ってて」

私が遺失物届けを書き終えると、男性警官は、「書き終わりました? そしたらこれ、遺失物届け出番号なので、持っててください」と言って番号の書いた紙を渡してくれた。

「よし、それじゃ行くか! 三浦ちゃんじゃあなー!!」

三浦ちゃんはヒューマンを出しかけたけれど、軽く首を下げるだけで最後まで反応は薄かった。私も「ありがとうございます」とお礼を言って、警察署をあとにした。

 

おっちゃんが歩く後ろをついていきながら、私は彼にもお礼を言った。

「ありがとうございます、本当に助かった」

「いやいや、だって駅前でうずくまってて、これ以上ないほど落ち込んでるように見えたからさー。俺、新潟で暮らしてるんだけど実家がムサコなのよ。で、明日帰るからホントにタイミングよかったよなー」

真夜中と明け方の真ん中みたいな時間に、まったく知らない土地で、まったく知らない人について歩いているという嘘みたいな事実が、可笑しかった。いい人に拾ってもらえたという安心だけがあって、海の底みたいな夏の夜に浮かぶ、駅前のたくさんの明かりのあいだを、泳ぐようにゆらゆらと二人で歩いていた。エネルギーの塊のような彼に影響されたのか、眠気も遠くにいってしまい、目はピンと冴えていた。

どこに向かっているのかな、と思っていたら、彼はするりと日高屋に入っていった。夜中に発光する店は、光る深海魚のようで、私も彼に続いて深海魚に食べられた。

 

時刻は午前三時過ぎだったけれど、店内はそれなりに混みあっていた。

「さっきまで俺も飲んでたんだけどさ、まさかこんなことになるとはなー」

店に入っても、彼の声は相変わらずの大きさだった。店内の人がこちらを見た気がしたけれど、私も段々そんな彼の声に慣れてきてあまり気にならなくなった。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

「これと、これと、餃子と、あとハイボール。なんか飲むか?」

正面に座った彼が私に尋ねる。私は財布を持っていないから、当然ここは彼のおごりということだが、ここは甘えておこうと思い、「私も同じので」と言った。

「実家だから親もいるけど、今日はうちに泊まっていきなよ」

「うん、ありがとうございます」

 

注文を終えて一息つくと、突然、

「お兄さん、屋台かなんかやってたの?」

彼が私の後ろに向かって話しかけたので振り向くと、小太りで赤と黒のアロハシャツを着た、ガラの悪そうなおじさんが私の席の後ろを通るところだった。サングラスをかけて少し白髪がかった坊主頭をしていて、ヤクザというには程遠いけれど「チンピラ」という言葉が似合いそうな雰囲気だった。一瞬おっちゃんの友達なのかと思ったけど、「お兄さん」という呼びかけ方から、彼がただ一方的に話しかけただけなのだとわかった。本当に、誰にでも話しかける人だ、と私は思った。

「え、ああ、自分ですか? はい、テキヤやってたんです」

チンピラは見た目によらず、突然話しかけられたことに少し戸惑ってからそうこたえた。

「ははは! やっぱりそうだったの! どう? 儲かった?」

「まあボチボチですかねえ」

おっちゃんの話しかけ方はあまりに突然だったけれど、それと同時にあまりに自然だった。そうして会話が成り立ってしまう。彼にはそういう、人の気持ちのすぐ隣にすうっと入っていってしまえる何かがあった。

「お祭りかなんかあったんですか?」

私が尋ねると、「え!! 知らねえの?!」とチンピラ、もといテキヤのおじさんが言った。

「あー、こいつ酔っ払って間違ってムサコまで来て、財布失くしたやつだから知らないのよ」

おっちゃんが代わりにこたえて、「昨日と今日、この辺りで祭りがあったのよ」と教えてくれた。そして視線をテキヤのおじさんに戻し、彼はまた話しだした。

「兄ちゃん、地元ここ?」

「そうっすよ」

「なに中?」

「北中です」

「え!! マジで?! 何歳?!」

「42です」

「えぇーーー!! 俺の二個下だ!!俺も北中」

私は取り残されたまま、よくわからないなりに会話を聞いていた。

「え! じゃあ高崎さん知ってます?」

「え、高崎知ってるよ?!」

「いま店の外いますよ」

「え! マジで!!!」

おっちゃんはそう言うと、テキヤのおじさんと一緒に、まだ注文した料理も届いていないのに店の外に出ていってしまうので、私は本当に取り残されてしまった。私は一人置いてけぼりで座っていたけれど、「高崎さん」がおっちゃんの同級生なのだろうと思い、面白そうだから私も店の外に出た。

 

店の外では3人の男たちが立ち話をしていた。一人はおっちゃん、一人はテキヤのおじさん、そしてもう一人は、二人に比べるとやや弱々しそうな、でも常識人風に見えるおじさんだった。そのおじさんと並んで見ていると、テキヤのおじさんは明らかにガラが悪いけれど、おっちゃんはおっちゃんで、顎にヒゲを生やしていて、サーフィンでもやっていそうな少しやんちゃな印象があった。

「マジ!? 高崎と会うと思ってなかったわー!!」

「俺もカズと会うとは思わなかったよ」

3人のおじさんたちは仲良くわーわーと騒いだ後(主に騒いでいるのはおっちゃんだったけれど)、やがて解散して、私とおっちゃん――カズと呼ばれていた――は日高屋に戻った。

 

席を随分と外していたような気がしたけれど、まだ料理はやってきていなかった。

「いやーマジで高崎に会うとは思わなかったなー」

おっちゃんは興奮した様子で呟いていた。

「あいつ中学のときの同級生で、同じサッカー部にいたんだけどさ、昔はあいつの方がモテてたんだけどなんだか老けちゃってたなー」

やがて料理が運ばれてきて、すでにたらふく飲んでたらふく食べた後だったけれど、やってきたポテトサラダや餃子を、私は美味しく食べられた。ハイボールも、味が薄かったけどその安っぽい味がとても良かった。おっちゃんはそれから、私を拾う前は高校の同級生と飲んでいたのだと話してくれた。

「さっきカズって呼ばれてましたけど、お名前伺ってもいいですか」

私はそのときになってようやく、彼に名前を尋ねた。もう随分と仲良くなったような気分だったから、それは不思議な感じがした。

彼はヒロカズというのだと名乗ってくれた。

彼が名乗った後、私も名乗った。

「ヒロカズさんは今いくつなんですか?」

「俺? 44」

そのとき私は22歳だったから、彼は私のちょうど2倍生きているのだった。

「お仕事は何されてるんですか?」

「家具作家」

彼はそう言った。家具作家として生活していて、新潟で妻と、子供3人と暮らしながら、木のテーブルや椅子を作っているのだと。

私も、今は大学院で研究をしていること、その研究の内容や自分の夢について話した。そのときの私は(今もだけれど)、研究が自分の本当にしたいことには思えず、「その研究はどう役に立つの?」と彼に訊かれたとき、あまり上手にこたえられなかった。でも自分の本当にやりたいことは研究じゃないんだ、と格好の悪いことを言っても、彼はうんうんと聞いてくれた。彼は私の話をよく聞いてくれ、彼に話をしていると、深い部分で私のことを理解してもらっているような気になった。

「でも大学の人とは、あんまりこういう話できないから嬉しいです。周りには、大学院に入って忙しくなってからは特に、自分のことで精一杯になっちゃって、周りのことを考える余裕がない人が多いから」

「そうかー、でも今の若い人からそういう話を聞くと少し悲しくなるなぁ」

 

ほかにも仕事に関して話を聞いていると、彼は、「最終的には誰かの役に立つっていうところだから」というようなことを言っていた。そしてこうも言っていた。

「作品をつくるときは、やっぱり孤独だよ」

孤独? 私が尋ねると、

「作品を作っているあいだはずっと孤独だよ。それに作品っていうのはやっぱり、認めてくれる人がいないと何にもならないから」

しばらく話をしていると、まったく私は彼のことを尊敬してしまっていた。オーラの見える怪しい100デシベルおじさんではなくて、成熟した一人の大人だと思った。

彼はとてもオープンマインドで、ひらいている人間だった。「心をひらく」というのは、自分の弱さもずるさも認めた上でさらけだすということで、本当に強い人間しか世界に対して心はひらけない。でも彼は世界に対して心をひらいているから、誰に対してもすぐ、相手がひらいている分だけ近づくことができる。

私たちは夜明け前の、武蔵小金井の、地域の祭りが終わった日の日高屋で、たくさんの話をした。

その内容のほとんどを、今は忘れてしまった。

でも、彼のオープンマインドさを忘れることは決してないと思う。周りの目なんかに負けない、自分がいたいようにいるという強さと自由さ、そして突拍子もないユーモアと他人を思いやり、勇気づける優しさ。彼は44歳になったときの、私の目標になった。

 

日高屋を出たのは午前4時を過ぎた頃だったと思う。

まだ暗いけれど、うっすらと空が朝の気配を滲ませて、それから逃げるようにタクシーに乗って彼の実家にあげてもらった。ヒロカズさんの両親が寝ているから、起こさないように静かに家に入り、布団を敷いて横になった。テレビの画面が消えるようにあっという間に眠りに落ちた。

 

 

朝、まだ八時頃にヒロカズさんに起こされた。お酒をたくさん飲んで、風呂にも入らずに寝た自分の体は酒と汗のにおいがするような気がした。

居間には、ヒロカズさんの両親がいた。昨夜は暗くてわからなかったけれど、居間から見える庭にはたくさんの植物が茂っていて、開け放たれた窓からは心地いい風が吹いてきた。外は気持ちよく晴れていて、昨日の体を引きずった私とは対照的に、新しくて清々しい一日を始めていた。

「こいつね、千葉に帰ろうと思ったら酔っ払ってムサコに来ちゃって、財布なくして困ってたから俺が拾ったの」

彼は昨日から何度か繰り返した説明をもう一度言った。彼の声は、昨夜のようにもう大きくはなかった。

「そうなの、千葉から。大変だったねぇ」

お母さんは、「こんなこと日常なのよ」とでも言うみたいに、見知らぬ男の子が家にいることにまったく驚かなかった。

テーブルの上には、久々の息子の帰省に腕をふるったのか、朝ごはんがところ狭しと並んでいて、私もご馳走になった。

白ごはんとお味噌汁、だし巻き卵、畑で採れたというトマトのサラダ、同じく畑で採れたという茄子の煮物、野菜の肉巻き……

最後には、昨日お父さんが買ってきたのだというプラムまでご馳走になった。

ご飯を食べながら、ヒロカズさんは高校生の娘さんが今度オープンキャンパスに行くことや、「あいつ食品に興味あるとか言い出して」などという話を両親に話していた。お父さんは話を聞いているのかいないのかわからないぐらいずっとニコニコしていて、お母さんは私に「おかわりいる?」と訊いたり次々とおかずを運んできたりしていた。

ご飯を食べ終えると、お母さんが私に、「カンパだから」と言って三千円をくれた。お父さんも二千円をくれて、2人からは合わせて五千円を頂いた。もちろん、後日そのお金は返したのだけれど、「カンパだから返さなくていい」なんて言って、見知らぬ子にお金をあげ、ご飯までとことんご馳走してあげる人がいるなんて、「世の中捨てたもんじゃないな」って思った。本当に。

 

ご飯を食べ終えると、ヒロカズさんは、「じゃあ材木置き場に寄ってから帰るから」と言って、支度を始めた。ヒロカズさんは私を駅の前まで送っていくと言った。

家の前に停めてあったトラックに乗せてもらい、彼の両親にお礼を言って家を出た。

トラックで駅に向かうあいだは、「これから新潟まで帰るんですか? 睡眠時間短いし、気をつけて帰ってくださいね」「いやーなんか不思議な縁でしたね」みたいな、中身のあまりない話を、まだ眠い頭を引きずりながらしていたように思う。

駅に着くと、「スキーにでも遊びにきなよ」と言って、ヒロカズさんは名刺と、彼のやっている工房のパンフレットをくれた。また会おう、と言って握手をして、それから私は車を降りた。信号が青になって、進んでいくトラックに手を振って見送った。

 

朝の武蔵小金井は明るくて活気があり、昨夜私がしゃがみこんでいた場所とはまったく異なる表情をしていた。

JRの改札をくぐり、電車の席に座ると、日常に無理矢理ひっぱり戻されたような気がした。

座席で先ほど渡されたパンフレットを開いてみる。小さくすっきりとしたスツールやテーブルなど、木そのものを活かした家具たちの写真が載っていた。

電車に揺られながら、いつか、と思った。いつか自分でお金を貯めて、彼に家具をつくってもらおう。それまでに、私も彼のような自由さと優しさを、身に着けられるだろうか。

お酒が運んだ遠い場所から離れながら、私はぼんやりそんなことを考えていた。