2023年1月8日(日)の日記(お酒を飲みたい世界線)

高熱をだしてしまったため予定していた三連休の飲み会すべてに不参加となり申した。高熱をだしてしまったため若干頭がらりり申しあげている。らりり申しているついでに新年早々に金原ひとみのらりり小説『AMEBIC』(アミービック)を読んだ。熱で外出できないためECサイトで購入しようとしたのだが、どこも品切れ、ここも品切れ、あっこも品切れ、くそう、こうなったら電子書籍でもなんでもええわい! えええい! ポチ! てな感じでkindleにて無事購入。熱っぽい体と熱っぽい脳みそで、きのう購入して今日読み終えた。

摂食障害の傾向がある女性作家「私」のパソコンには、錯乱状態の「私」が夜な夜な書いた意味不明の文章=錯文が断続的に残されている。翌朝目覚めた「私」は錯文が意味する内容の解読・分析を試みる。担当編集者であり恋人でもある「彼」との関係は、その婚約者である「彼女」と錯文の存在によって漸次的に歪んでゆき、「私」の現実は次第に分裂してゆく……、といった内容。

小学生だか中学生だったころ、『自分の家の鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けると徐々に頭がおかしくなり、最後は完全に気が狂う』という都市伝説を聞いて、ひどく恐ろしかったのを思いだした。なにそれめちゃ怖! と当時思ったし、なんなら、いまでも恐ろしい。すぐにでも実行できちゃうところがコワイ。コワスギル、と思って、『鏡 お前は誰だ』で先ほどググってみたら、案の定試してみた系の記事が一番上にでてきて、案の定試した人は気が狂いはしなかったみたいで安心した。この都市伝説のコワイポイントは、発狂は日常すぐのとこ、ほら、あなたの、そこの足元にも、落ちてますよん。なところだし、自己同一性がまだいまよりは不安定だったころに聞いた話だからより一層恐ろしく感じたのだろう。

…… “自己同一性がまだいまよりは不安定だったころ”? 果たして小学生の自分といまの自分とを比較して、自己同一性がより堅固なものとなっているのかの自信はない。そもそも連続体としての自分という存在に疑問を持つ、なんて七面倒なことを大概の人はしないだろうし、これはもう性質の問題だと思う。読書メーターで『AMEBIC』の感想にざっと目を通したが、“理解できない” “読みにくい” 等の感想を抱いている人は、ある種の健やかさがある。これは「俺はわかってるぜー」的な話ではなく、性質の話だ。感覚として、数秒前の自分からいまこの瞬間の自分に移行するあいだに世界線がずれていないという保証はなく、だとしたら「いまこの瞬間」に移行しなかった世界線の自分はいったいどこに? 消失した? 死んだ? 死んだ世界線もあるかもしれない。そもそもずれていない世界線とは? なにをもってなにからのずれとする? もう二度と交わることのできない世界線があるかもしれない。分離してしまったからぼくはそれを知ることすらできない。とても大切だったかもしれないのに、もとはひとつだったのに切断された、大切なぼく自身とはぐれてしまった、伝えたいことがあったとしてももう二度と会うことはできない、さようなら数秒前の自分、と思っている自分ももうはぐれている、はぐれていることすら忘れている、忘れているというか知覚できない、認識できない、いまここにいる自分はなにもわかっていない、なにもわからない、わからない、孤独、孤立、断絶、分離、うわあああああああああ!!(発狂) ……みたいなことをね、感覚として感じるかどうか、みたいな。感覚の問題であり性質の問題であると思うし、これを感じる方が一般的ではないことも自覚はしている。だからこそ、鏡という物質(ぼくには違う世界線の象徴そのもの、具現化そのもの、に思えてしまう)がトリガーとなっている都市伝説をこんだけ恐ろしがる人も珍しいのだろう。ただの鏡じゃん、で済ませられる人が多いのだろうし。熱で若干らりっているとはいえ、この感覚をここまで克明に文章化して思いださせるの凄いよ、金原ひとみ好きだ、うっ……。

 

ああ、お酒のみたいな。

きのうも今日もあしたも、飲み会の予定があったのだ。解熱鎮痛剤(ディパシオとかいうやつ)を1回2錠、1日3回ものんでいるので、お酒を入れるのはさすがによくないのかな、と思うのだ。のだ? こういう部分は結構保守的なのだ。

明日の飲み会はK氏、Pさん、Tくん、ぼく、という、ありそうで実現していなかった夢の(?)ゴールデン(?)メンバー飲み会だったからとても楽しみにしていた。全然、ちょっとくらい熱あっても行けるんだけど、てか割と黙って行こうかな、明日には熱治まってるっしょ! 行けるっしょ! とすら思ってたけど、すこしばかり冷静になり、みんなにウイルス撒いちゃうのどうなの、風邪うつしちゃうのどうなの、それは厭だ、となったから歯を食いしばりながら不参加LINEを打った。K氏はいつも、うんうん、うんうん、とこちらの吐いたまとまりも意味もない話を「購入したてのスポンジか?」と見紛うほどの吸水力をもって聞いてくれるスーパー穏やか人間、かと思いきや数秒沈黙し、にっこり目を細めたまま「え、全然わかんないんだけど」と突如吸った水をすべて吐きだして笑いだすし、PさんはPさんで、うーん、うーん、と哲学的な命題を考えるかのごとく真面目に話を聞いてくれているかと思えば、最後には「ほんと凄い」「ほんとかわいい」と、K氏やぼくを柴犬と勘違いしているみたいにわしゃわしゃする(比喩的にも直接的にも)。K氏Pさんぼくの三人フィールドだと批評性が皆無の天国モード突入しちゃうので、ぼくの中で勝手に、四人飲み会ならTくんがツッコミ役になるのかなあなどと妄想していた。いや、でもなんだかんだTくんも大らかに見守っているお母さんタイプだし、子どもたちがわちゃわちゃしてるのを、あの無表情なネコ科のようなお顔で見ているだけかもしれない。Tくんのあの、表情があまり表にでないんだけどよくよく見ると恥ずかしがっていたり、嬉しそうにしてたり困惑してたりする感じ、好きなんだよな。ネコ科の人(基本無表情)が笑ってるの見るときゅんとしちゃうんだよね。

 

ああ、お酒のみたいな。

昨年のクリスマスイブイブくらいに、昔の恋人と寿司を食べ、バーで酒をのんだ。新宿三丁目の「ナドニエ」という店。友人に教えてもらって、最近よく通っている。「どん底」の姉妹店で、「どん底」に行くよりは落ち着いてのみたいときに使っている。スプモーニ→ダークラムのソーダ割→白ワインと移行したが、ダークラムが驚くほどおいしかった。パンペロのアニヴェルサリオで、こっくりとした甘さとコクがあって香りは豊かなのにキレがよく、後引くおいしさだった。「ラムに苦手意識があるので、払拭したいんです。おすすめのラムありますか」と伝えたら、バーテンダーが選んでくれた。「産地はベネズエラです。糖蜜アメリカに運ぶと、それで得られたお金はなにに使われると思います? 奴隷です。その奴隷がまた、サトウキビ栽培の労働力になるんです。負の三角貿易でしょ」といたずらっぽく教えてくれた。バカルディのラムしか知らなかったから、ラムの味の幅広さに興味が湧いた。ダークラムだったからかもしれないけど、まっったく別物。また別のラム酒ものんでみたい。

スプモーニも最高で、もともとカンパリ党だからというのもあるけれど、トニックウォーターとグレープフルーツの割合が絶妙だからだろうか、飲み口すっきりなのにカンパリ独特の味わいも活きていて、バーの妙!! といった風情。白ワインは正直そこまで、って感じだった。

元恋人はナドニエカクテル→ラフロイグソーダ割→ラフロイグのロック、の順でのんでいた。ラフロイグがうまいうまい、と言ってちびちびしており、ぼくたちも大人になったねえなどと言って楽しんだ。

ああ、お酒のみたい。

 

ウイスキーといえば去年京都でたらふくのんだクライヌリッシュ。「これおいしい! またのみたい!」と言って写真にまで撮った。また飲みたい。そういえばそのときお土産でもらった余市まだのんでない。あしたにでも飲みたい。くうう。

あ、そうか。別に外にはでなくても、家でのめばいいのか、という、緊急事態宣言の初回みたいなことを考える。ああ、でも。絶妙な配合でだされる、様々な種類のカクテルの数々に詠嘆したい、「ナドニエ」行きたい。ナドニエ~、と思って食べログの「ナドニエ」メニューをみる、と、クライヌリッシュあるじゃん。今度絶対頼む。ジントニックも今度頼む。卵リキュールのアドヴォカートを使ったスノーボールも気になる。今度頼む。ショートカクテルもなんか頼みたいな。ああ、お酒のみたい。

お酒の夢が見られますように。おやすみなさい。