2023年6月27日(火)の日記(collapse)

赤い砂でつくったみたいな月の玉が、脆くも半分ほど崩れかかった。湿ったぬるい六月の夜は海の底だ。Tempalayを爆音でイヤフォンから流しながら、跳ねるように歩いて帰る。低層マンションのレースカーテン越しの光が、濃い赤と、落ち着いたオレンジ、白色と斜めに並んで綺麗なのを横目に、くるり一回転する。大音量の音楽はぼくをいつも主役にしてくれる。

あの人の家から帰るときいつも子どもみたいに浮かれてしまう。さみしいと思ったことはない。ぼくが家を出るときいつもさみしそうなのはあの人の方だ。家を出るときに玄関でハグをすると、子犬のようにこちらを見るから笑ってしまった。背の高い彼の、形の良い頭をゆっくりと二度、撫でた。恋愛関係というのは、片方が不安になるともう片方は不安でなくなるよう、できているのかもしれない。ドアが閉まる間際、彼が好きで集めているというガチャガチャの奇妙なキャラクターと目が合った。もう梅雨は終わった? 夏になったら花火をしようねと約束している。

 

大切なものを大切にすればするほど、その大切は決定的な崩壊を孕む。大切であるほど、その崩壊は不可逆で甘美だ。

パートナーと暮らし始めてもう二年が過ぎようとしている。コロナ禍で緊急事態宣言が繰り返される中、デートすら憚られる日々に倦んで、もういっそのこと一緒に暮らしてしまおうかと家を借りた。互いの個室を用意したお陰で最低限のひとり時間は確保できている。初めはぎこちなかった生活も少しずつ回り始めた。リビングのソファで一緒にアイスや果物をつまみながら、Netflixやアマプラの映画を観る時間は至福だ。でも、放っておいた桃や葡萄が、どんどん熟れて、甘みを増して、やがて腐り始めるように、甘い時間が増えれば増えるほど、そこには倦怠と衰退の気配が漂った。生の果実を腐らせるか、煮詰めて無菌の瓶に詰めてジャムにするか――。ぼくたちは煮詰めて甘いジャムにすることを選んだ。特別に話し合ったわけではないから、「選んだ」というのは正確でないかもしれない。自然とそうなった。酸味も苦味も取り除いて、ふつふつと、大量の砂糖を混ぜ込んで煮込んだ。ぼくたちは “恋人” ではなく “パートナー” になった。恋人との非日常ではなく、生活者としての日常を、意識的にせよ無意識にせよ、やはり、ぼくらは選んだのだった。

でもジャムみたいに安心で平坦な甘い日々が続く中、ぼくは思った。このまま腐っていければ良かったのに。ふたりでぐずぐずになり、小蠅がたかるようになっても、極限の甘さまでいったその一瞬を、いつまでもいつまでも思い出しながら駄目になってしまえれば良かったのに。ぼくは爛熟したかった。そうして徹底的に壊れたかった。傷みたかった。

 

あの人との関係はどんどん甘くなって、やがてぼくの望み通り、爛熟の極みを迎え、腐るだろう。こんな湿った夏の始まりには、想像もつかない乾いた涼しい風が吹く秋の夜に、ぼくはあの人と別れるだろう。秋の闌けた空気とともにひりひりとした傷になってくれるだろう。

……でもそんな過程さえ、パートナーと辿ろうとした関係の軌跡を踏襲しているに過ぎず、それならばぼくはもう、二度と恋愛において本当の意味で傷つくことはできないのかもしれない。ぼくをいま徹底的に傷つけるものがあるとすれば、それはパートナーでしかない。このジャムの日々がどんな終わりを迎えるのかわからない。わからないものでしかぼくはもう傷つくことができない。

切実に生きたい。本質的に生きていたい。本質とは両極をこの身に宿すこと、でも両極に惹かれて片側の極みへと至るときそれは俗物的な生き方でしかなく、結局のところ本質とは中道であるとはわかっている。傷つきたいという欲求のために恋人を決定的に傷つけようとしているのなら、どうせ碌なことにはならない。こんな関係さっさと手放した方が身のためなのに、恋人からはLINEで今度行く小旅行の行先候補がいくつも送られてきている。ぼくは自室でPCにこの文章を打ちこみながら、その通知を見て甘やかな気持ちになるのを抑えられずにいる。