2022年5月31日(火)の日記

五月最後の日。きのうはずっとYUKI漂流教室を聴いていたから、今日も頭の中にその音が流れるんじゃないかと思っていたけれど、どんより曇り空でそのような軽快な曲は流れなかった。

朝は眠い。とにかく眠い。八時間、九時間くらい眠りたい人間なのに、睡眠時間を削ってまで日記を書いているのは、調子の良いときの自分を残しておきたいから。五月って良い季節だと思う。「風薫る」という言葉がよく似合う。緑が若く、夕暮れの空の色はパステルカラーでかわいらしく、気温も過ごしやすくて、好き。前までこんなに五月好きだったろうか。「好き」って、いつも後から自覚するよね。好きになろう、とかじゃなくて、気づいたら好きになっちゃってる。恋しちゃったんだ~たぶん~気づいてな~いでしょ~(これはYUKIじゃなくてYUI、でもなくて実は向井秀徳)。

 

 

ここ数年はいつも、六月になると心が不安定になることが多かったから、六月を迎えるこのタイミングからすこしドキドキしている。気温なのか気圧なのかバイオリズムなのかわからないけど、六月は不安定。六月も好きなんだけどな。すこしずつ暑くなってきて、雨も多くて、紫陽花が綺麗で。青い花が好き。悲しみを、一緒に悲しんでくれているような気持ちになるから。一緒に、というのは、一緒の悲しみを悲しんでいるのではなくて、紫陽花は紫陽花の悲しみを悲しんでいるような気がする。それがなんだか美しい。デルフィニウムを買って愛でていたのは何年前だっけ。もう忘れた。

不安定な気持ちっていうのもすこし好きで、わざと悲しい気持ちになったりすることとか、ないですか? 酔ってみるというか、悲劇の主人公ぶるとかよくあるじゃないですか。そういう感じ。そういうときは安定しているときには出せない感性や自分が出てくるじゃないですか。それをわざと見てみたいというか、別に気にせずに流してしまえるようなことをずっとしつこく気に留めて、深堀りして、自分の傷口を延々といじくり回し続ける、みたいなことを六月はしてしまいがちで、インターネットで良くない情報にアクセスしてみたり、やたら人と繋がってみたり、そのくせ自分の殻に閉じこもってみたり。そういうとき安心の自分と不安心の自分を、自由にスイッチングできると思っていたのに、いつの間にか不安心の自分からもとに戻れなくなってしまっていたりして、あれ、本当の自分というか、自分の本体を安心側に置いていたはずだったのに取り残されてる、まずい、まずいぞ~、ってなってしまって、じたばたする感じ。でもやっぱりぼくは、安心の自分に軸を置いていたいと思うし、それで他人に優しくできなくなったら元も子もないので、今年はもっと自分の中にいるマスターの自分に手綱をしっかり握らせておきたいと思います。自分を自分のコントロール下に置いておきたい。

 

 

六月は昔好きだった人の誕生月だな。

 

 

ビジュアルというかビジュアライズされたものって良いな、という気持ちがむくむくと膨らんでいて、服とかも勿論だけどさ、やっぱり髪とか顔とかもその人を表現しているもののひとつだと思うんだよな。大前提、「所詮見た目の話」であって、本質的な価値とかは目に見えないものなんだけど、価値という目に見えないものがビジュアライズされるとその表面には人間の肌だったり服だったり髪だったり筋肉だったり動作だったりが出てくるわけで、そう考えるとやっぱり「所詮見た目の話」ではなくて「大切な見た目の話」として大事にしたいという考え方もありだよね。表現としてのビジュアル、であるならそれは勿論良い悪いの判断は出てくるわけで、ただの表現でもなんでもないビジュアルに良いも悪いもないのはそりゃ当然過ぎる話なんだけど、うーん、ビジュアルについて話するのって難しいよね。さらに面倒くさいことに表現でもなんでもないビジュアル(=形状や質感や色)であったとしても、そこにタイプというかフェティシズムとかは存在するわけだもんね。なんかフェチの話を大衆に対してするのってナンセンスというか、それを楽しみたい人だけで話す方が全体的に幸せじゃない? と思うんだけど、表現としてのビジュアルについて話す人とビジュアルについて話すのであればそれは必然フェチの話ですよねと感じる人とが同時にいて、後者の中にもそのビジュアルが表現としてか表現ではないものとしてなのかを意識してる人としてない人のレイヤーがまたあって、すごく「ルッキズム」という言葉が浸透したことによって言外に「この言葉を使ってるってことはみんな同じレイヤーで話してるよね~」ってなってその勘違いの前提で混乱が生まれてる、みたいなことはありそう。

女性の顔の個人的なフェチはベイビーフェイスなのかもと最近気づいたけど、表現としては強く光る目を持っている方が大好き。そんなことを、この文章を書きながら思ったりした。

 

 

五月の日記を書いている途中で、日をまたいで六月になった。今度、大切な友人とクチナシの花の香りを探しに行く予定を立てた。六月はクチナシの季節。六月って、ドラマチックな季節だよね~。真夏みたいにそのドラマチックさを昼間の熱でちゃらにする潔さもなくって、すこし湿っぽくて、でもまだ初夏の爽やかさもすこしあって、青い花が咲いていて。

なんだかんだで、ぼくは六月が好きみたい。おやすみなさい。