2021年11月18日(木)の日記

もうどうにも行き詰まって、息詰まって、日記に逃げる。

小説。物語。その構造。むずかしい。

なんとなく感覚で、手癖で、どんどん進むことはできるのだが、構成力。うまくいかない。ごく短い話であれば、なんとなく誤魔化せる部分が、ある程度長くなってくると誤魔化しきれなくなる。

小説の神髄とは、変化することである。え、そうなの? 知らないけど。

変わることが苦手だ。変化することは、怖い。だって、変わらない方が楽だ。それでも、変わらざるを得ない。そこには時間が流れているから。変わることは美しい。

YUKIの “ポートレイト” という大好きな曲の歌詞で、“次に進めなくても 次に 次に 自然に” という部分がある。そうなのだ。人間は変わっていく。善いことか、悪いことか、わからなくたって、変わっていく。それを描写するのだ。きちんと描写できていれば、それは必然美しいものになるのだ。たぶん。

構成力。もっと引いて、引いて、引いて見てみて。客観力。え、むずすぎる。むずすぎるから楽しすぎる。ばーか!

 

 

LGBTという言葉が一般的になって、セクシュアルマイノリティという言葉が世間に馴染み始めても、そんなことと関係なく、ひとりひとりの人生はマイノリティ中のマイノリティだ。あなたの人生って、(世間的にマジョリティと言われようが)マイノリティ中のマイノリティ中のマイノリティ中のマイノリティですよね、というごくごく当たり前な、ごくごく普遍的な事実を、いつだって小説くんは美しく見せてくれて、本当すごいなと思うよ。尊敬です。

「マイノリティである」という意識は、「自分はこの世界の理解の範疇にいないのだ」という傷つきから生まれる意識であって、だからLGBTとかクィアとかいう言葉が普及して本当よかったね(世界の理解広がったね)、とも思うし、その一方で天邪鬼な私は、「永遠にこの世界の理解の範疇になんて収まってやるもんか」(世界は本質をなんも理解してないね)と息巻いてしまいます。「意味」なんてもの以上に無意味なものはないね。だって意味って常に後づけでしか体を成さないし、だったら意味を振り切って先走って意味と意味と意味のガラクタをかき分けたその先頭に立って「あー意味なんてなんにもない!」って叫んでただただ一等美しい光になりたい。光って眩しすぎる。ばーか!

 

 

基本的に自分の欲望も他人の欲望もしっかり直視したら割とキモめだと思うんですけど、ほら、希望って「望みを希う(こいねがう)」って書くじゃないですかあ、っていう金八先生じみたことを考えてしまう。足りない足りないっていう渇望感のある人も割としっかり美しめな気がするんだけどそれはぼくの性癖なのか希望なのか。希望ってことにすれば割と綺麗に収まるじゃん、っていう自分の安っぽい欲望に若干自分で引いたりもする。詩は無責任かつ誠実に描けるが、小説となると(社会に)責任持って書かなければという自意識が芽生えてしまいそれはそれで不誠実。向き合ってる時間が圧倒的に足りてないんだと思う。好きなことにならしつこいくらい向き合うの大好き人間のはずなんだけどなあ。

思い通りにならない他人が、面白くって本当最悪で、憎らしくって、本当憎くて、それでも他人はぜーんぜん変えられなくて、勝手に変わっていってしまって、本当に最高大好き。だからもうちょっと信じてみようかな。その人に委ねる。その先を見ようね。

 

 

ごめん全然なに言ってるかわかんないと思うんだけど日記だから許して。おやすみ~。