たったさっきの出来事

2020/1/20(月)

 

21時過ぎ帰宅。窮屈なスーツはすぐに脱ぎ捨てて、脱皮をした蛇はこんな風に自由だろうか。自由というよりか気楽。パスタは簡単だからパスタを作ります。これは帰宅中から考えていたアイディア。仕事のあとに自炊をするとなんだかとても偉い気分になって、私という王国の王様はいつも自分なのだということを確認する作業としてとても優秀。けど、ポストに入っていた不在配達表は私のだらしなさを見透かしている。ごめんね、配達員さん。こうして地球温暖化とか不景気とかは進んでいく気がする、気がするが、今はそれよりもカルボナーラだ。「青の洞窟」は一人前しか入っていないから贅沢だ。実家から母親が送ってくれたおかずを自然解凍、中途半端に解凍されたいわしの煮付けは未だ食べるとシャリシャリと凍っていそうなので電子レンジでチンとして食べた。部屋が、すこしばかり魚臭くなった気がする。鶏のつくねもチン。タンパク質多めの晩ご飯を食べた。

 

どうしても炭酸を飲みたくなって、家のすぐそばだから、と思って薄手の白パーカーと部屋着のハーフパンツで自販機に向かう。夜遊びするときみたい、夜中に私服で外に出るのはひとり暮らしで覚えた甘い心地のひとつ。やはり23時過ぎの外気は冷たい。冬だ。空気が足だけでなく、パーカーのあいだからするすると肌の近くまで近づいてきてひんやりとした。カルピスソーダが飲みたい。そこの自販機のカルピスソーダは百円だった。迷わず購入しようと思うのに、財布には小銭がなくて千円札ばかりだし、自販機にはおつり切れの赤い表示があるし、どうしようどうしようと考える間にも、ひょうひょうと身体を舐める冷気が憎い。一旦体勢を立て直すために帰宅した。下だけ丈の長いジャージを重ねて着る。家の中は温かで安心する。

 

イヤフォンをつけて、崎山蒼志「むげん・(with 諭吉佳作/men)」を聞きながら近所のファミリーマートに向かう。そこで千円札を崩して百円玉をゲットし、カルピスソーダを飲む魂胆だ。サンダルをつっかける。サンダルは構造が人間を舐めている気がする、親指と人差し指のあいだが痛くなるだろうこんなんじゃ。ペタンペタンと歩く度に音がする間抜けな履き物。だんだん道路が濡れていって、サンダルがぱしゃぱしゃと音を立て始める。ペタン、ぱしゃん、ペタン、ぱしゃん。すこしずつ水位は増していく、アスファルトが黒いから色がよくわからなかったが、道路を濡らす液体は私の足の裏を浸していく。どうやら炭酸のようだった。足の裏で破裂する泡が濡らしているのはアスファルトなのか、私の足の裏か、くるぶしか、鼓膜を揺らしているのか。いよいよ足首も浸かって、それはカルピスソーダだとわかった。ファミリーマートに辿り着けるか心配になってくる。白濁したしゅわしゅわの、甘い匂いが周囲に立ち込めて、ここに私の退屈が溶けたらもっと甘くなるのかもしれない。

 

架空の妹に話しかける。

「このカルピスソーダって、どっかに流れていくのかな」

架空の妹は答える。

アインシュタイン先生は、時間の流れが速いとこから遅いとこへ向かうのが引力って言ったみたいよ」

「そうなの?」

「知らない」

「じゃあ人と人が引き合うのは? 谷川俊太郎万有引力のこと、ひき合う孤独の力って言ってたけど」

「浮気しちゃったら元も子もないけどね」

「そうなの?」

「知らない」

架空の妹は、架空の恋人に浮気をされてしまってすっかり傷心中なのだった。

「早く別れればいいのに、そんな浮気者

「あたしの方が時間の流れが速いんだから、しょうがないよ」

「そうなの?」

「そうなの」

カルピスソーダは水位を増していく。そろそろ私の胸のあたりまで上がってきそうだ。架空の妹は肉体を持たないからそんなことは関係がない。

「このままカルピスソーダに溺れて死んでしまったらどうしよう」

「甘いものに埋もれて死ねるなら幸せじゃない?」

「甘い嫉妬とか、甘い退屈とか?」

「甘いセックスとか、甘い記憶とか、甘いスープとか、甘い孤独とか、甘い雨とか、甘い執着とか、甘い時間とか、甘い習慣とか、甘い人生とか」

「全部ほとんど同じことじゃん」

「ほんとだ」

架空の妹は笑った。私も笑った。

 

 

 

たったさっき、私はカルピスソーダを飲み終えたところだ。